「ん……」 三蔵はゆるりと目を開けた。視界は暗いが、カーテンの隙間から差し込む光が、今が朝だということを知らせている。いつも自分一人には十分過ぎるほどに広いベッドだが、どこか自分の身体が端に追いやられている気がして、三蔵は片眉を跳ね上げた。そしてゆっくりと固まった身体を弛緩させながら、首を廻らせて頭を横に傾けた。 「……っ」 その瞬間声を上げなかったのは上等だと言って良いだろう。一瞬三蔵は、自分は昨日の晩何をしてしまったのだろうと必死に脳を機能させた。目の前にいたのはまだ幼さの残る少年。白い面に長い睫毛が流れ、少しだらしなく口が開いている。時々何かむにゃむにゃと口を動かしているが何を言っているのか分からない。心臓がばくばくと音を立てている。その胸を押さえながら、三蔵は昨日のことを思い出した。 (そうだ……焔から預かって……) うっかり酔っ払いでもしてその辺のウリの少年に捕まってしまったのだろうかと早合点し掛けた三蔵は、自己嫌悪に陥った。 「ぅ、……ん、ぐ……」 もぞもぞと布団の中で動く少年の身体にどきりとしながら、三蔵はゆっくり上体を起こした。少年は布団の中で膝を体に寄せるようにして丸まり、三蔵の方に向かってころんと転がっている。小さな身体が少し寒そうに見えて、三蔵はその身体にもう一度布団を掛けなおした。そしてその隣に再びゆっくりと体を埋める。今日はどうするか。とりあえず隣の空き部屋を掃除してゴノウのための部屋を作ろう。そして……服を用意しなくては。本人も連れていって上着、下着、パンツを一通り何組か買ってこよう。靴も買って。 (それを全部自分一人でか……) 朝一番から力の抜ける思いだったが、自分自身に立てた誓いは遂行する他にない。布団の中頭をぶるぶる振りながら、三蔵は大きく息を吐いた。 振り返ると隣にはくうくうと小さな寝息を立てながら眠る小さな姿がある。生憎子供を持った例がないため分からないが、きっと子どもがいたらこんな気分になるのだろう。きっと自分が守らなくてはそのまま死んでしまう。しかもゴノウは最も死に近い場所にいた。何かふとしたきっかけがあればそのまま死の淵から飛び降りてしまいそうな危うい場所だ。 (……ったく、大した厄介に関わっちまったもんだ) 大きな溜息は、暗い部屋の中に消えた。時計板の針が、六時を差すのを見ることもなく三蔵は、再びゆっくりと瞼を伏せた。 次に目覚めると、三蔵は一人でベッドに横たわっていた。身体は硬直して動きづらかったが、首をゆっくり動かして隣に何かいないかと首を動かした。 「……」 何もいない。 (夢か? 夢なのか? どこまで? ひょっとして全部?) 硬直していた身体のことも忘れて、三蔵はがばりと身体を起こした。あの小さな熱が隣にない。夢だったのなら彼も自分も喜ぶべきだ、と心の中では思いつつも、昨日の真夜中にこの腕に抱いた筈の熱がそこにないことに大きな喪失感を感じて、どこか空気が寒く感じた。 自分の隣にぽっかり空いた場所に手を置くと、ただただ冷たいだけで、三蔵は顔を顰めた。そしてその伸ばした手を引っ込め、その手で前髪を掻き毟った。たった一日かそこら、一緒にいただけだろう。……全て夢だったかもしれない相手なのに、そこまで執着するなんて自分らしくない。 「阿呆らしい……」 そう自嘲の笑みを浮かべた瞬間、カシャーン、とリビングの方から何かが落ちる音がした。 「……ゴノウ」 「あ、お早うございます……コーヒがいいですか?お茶がいいですか?」 「……番茶」 「はい」 何と言うか、倒錯的過ぎる。猫の耳と尻尾をつけた少年が、ダイニングテーブルに座った自分に配膳しているというのが。うっかり第三者に見られたら自分は変態、ということになるのではないかと考えて一瞬ゾッとする。自然と顰め面になった三蔵を見て、味噌汁を零さないように丁寧に運んできたゴノウは、きょとんと目を見開いて、しゅんと項垂れた。ゆらゆら揺れていた黒い尾が元気なく下に垂れる。 「すみません。勝手に台所……」 「っ、いや、それはどうでも……いや、勝手に使ってくれて構わん。……怒ってないぞ」 「はい」 そう念を押すように告げると、ゴノウはほうっと顔から力を抜いた。少し微笑んでことん、と三蔵の目の前に汁物の椀を置く。見ればテーブルにはご飯、あり合わせの野菜の炒め物に目玉焼きが置いてある。とたとたとカウンターをぐるりと回って戻ってきたゴノウは、茶器を持っていた。 「お茶、淹れますね」 「ああ……」 「あ、あの、もし朝はパンがよかったら……次から直します」 「いや、米で構わん。……顔、洗ってくる」 そう言って、三蔵はふらりと席を立った。顔を背ける瞬間にゴノウがこくりと頷いたのが見えたが、振り返らずに三蔵は俯きがちに洗面台に向かった。洗面台に映る自分の顔をじっと見つめる。 どこか安心してはいなかったか。彼が夢のものではなかったことに。本当に彼を守りきれるのか、と考えていた。人一人簡単に消すような大企業を敵に回したことは別に後悔してはいない、自分が殺されるだなんて微塵にも思っていない。だが、彼を傷つけずに生活していけるのかどうかが一番の悩みだった。 「……阿呆らし」 何を深刻に考えていたのか、と昨日の自分を嘲笑いたくなった。傷つけたらその時はその時だ。それに、傷つける気はしない。何となくのことだが。蛇口を捻って水を出す。その冷水を顔に掛けながら三蔵は、水音の向こうからチャイムが鳴るのを聞いた気がした。 ぴんぽーんぴぽぴんぽーん 三蔵は、はた、と動きを止めて、数秒間静止した。そしてゆっくりと水を止める。リビングの方からゴノウがとたとたと駆けて来る。 「お客さんですか?」 (……この独特の鬱陶しいチャイムの鳴らし方は……) 「……出んでいい」 「でも……?」 「茶は淹れたか」 「あ、はい」 洗面台の脇のラックから新しいタオルを引っ張り出して顔を拭きながら、三蔵はゴノウの背中を押してリビングに追いやった。時折振り返りながら玄関を気にしているゴノウに、茶を出すよう促して気を逸らせる。が、しつこくチャイムは鳴った。 (ウゼェ……) 「あの……やっぱり出た方が……」 「……俺が出る」 出て尻蹴って追い返してやる、と三蔵はインターフォンも取らずにどかどかと玄関に向かって歩いていった。その後ろをそろりとゴノウが追う。チェーンロックを外し鍵を開けた。 「ピンポンピンポンうるせぇんだよこのゴキ! また勝手に上まで上がってきやがって!」 「……朝一番それはねぇんじゃねえの? 三ちゃん」 そこにいたのは、想像通りの鬱陶しい顔だった。朝から見て気分のいいものではない。そう、決して。三蔵は眉を跳ね上げて、鼻息荒く腕組みをしたまま言い放った。目の前の男、悟浄に向けて。 「とりあえずウゼェから消えろ」 「キツッ。……ってゆーか俺、アンタのオバサマに遣われて来たんだけど?」 「あ? 見合いなら断る」 「そーゆうと思ったけどよ。……お?」 朝から喧しく言い合っていた大の男二人の後ろから、それをじっと見つめる小さな瞳があった。悟浄はそのつぶらな瞳と目が合った気がして、そのうるうると濡れた翠玉をじっと見つめた。一瞬たじろいだようだったその目も、悟浄に興味を持ったのか、じっとこちらを見返して来る。まずい、と三蔵は咄嗟にドアを閉めようとして、見事にガン、と悟浄の首をドアに挟む。 「げえええッ?! ちょ、ちょっと待て三蔵! いい加減にしろテメー!」 「うるせぇ河童は沼に帰れ!」 「だ、大丈夫ですか……?」 さすさす、と自分の首に出来た赤い痕を擦りながら三蔵に今にも殴りかかろうとする悟浄に向かって掛けられたのは、まだ声変わりする前の少年の澄んだ声。それに、二人は動きを止めた。悟浄はきょとん、と、三蔵は少しきまり悪そうに。 「……ちょーっと、見合いを断る理由にしてはハードすぎるんでない?」 「……手加減ねぇ……」 「たりめぇだドアホ」 三蔵に思いっきり振り下ろされた鉄拳の痕、たんこぶを撫でながら悟浄は不貞腐れたようにソファに体を埋めた。ゴノウはじっとそれを少し離れたところから心配そうに見ている。それに気付いた悟浄は、三蔵にバレないようにゴノウに向かって手招きをした。ちょっと面食らったようだったゴノウは、それでもそろそろと悟浄の座るソファに近付いた。振り向いた三蔵は悟浄が手招きしたのを知らないので(何で俺に慣れるのには時間がかかったのに悟浄にはすぐに懐くんだ……)と少々傷付いていた。 そんな葛藤を知らないゴノウは、悟浄の座るソファの端に膝を乗せて、物珍しそうにその赤い目をじっと覗きこんでいる。悟浄はじっとゴノウの頭上を見ていた。黒い猫の耳。アレは何だ。実は三蔵はショタコンで猫耳派だったのか、とちょっとドキドキしながら、怖がらせないようにゆっくりとその耳に触れた。 「……れ?」 悟浄に触れられると、その黒い物体はひくひくと動いた。というか、ほのかに暖かい。というか、体温?ふかふかとした手触りは、きっとこれは合成繊維ではないだろうということを知らせていた。 「……言っておくが、本物だ。オモチャじゃない」 「へ……?」 呆気に取られる悟浄を、ゴノウは首を傾げて覗き込んだ。目は見事なエメラルドだ。肌はビスク、髪は濃茶の絹糸。……と、猫の耳。そんな悟浄に追い討ちを掛けるように、ゴノウの背後で何かがゆらゆらと揺らめいている。 厭な予感を感じつつ、ゆっくりとゴノウの後ろを覗き込む。……シャツの下から、ゆらゆらと黒い尻尾が覗いている。しかもそれは自分の意思で動くように時折ゆらゆらと揺れる。 「……まさか、キメラかよ……? 三蔵ってばそんなに淋しくって買っちゃったわけ?」 がっつりと三蔵から二個目の拳骨を頂いた悟浄は、むすりと膨れて三蔵を睨めつけた。その視線すら受け流すように三蔵は腕組みしたまま鼻で笑った。ゴノウは目の前に振り下ろされた鉄拳に、慌てて悟浄の頭の具合を確かめている。 「生憎だが俺はショタコンじゃない」 「へーへー……従兄様と同じでそのケがあるのかと思ったぜ……」 「あいつのことを俺が知るか」 「否定しろよ、身内の名誉のためにも」 口角を皮肉に歪めた三蔵に、呆れたように悟浄は言った。その隣ではまだゴノウが悟浄の目をじっと見つめている。無垢な翠玉の瞳に見つめられ、何とも居心地が悪い。ゴノウが厭だという訳ではなく、腹の内に暗いものがある人間は綺麗なものに居心地の悪さを感じるというようなそんな感じだった。 その妙にきらめいて見える視線に耐えかねて、悟浄は驚かせないようにそっと声を掛けた。 「……あのー、俺の顔になんかツイてる?」 「あっ……すみません!」 無意識の行動だったのだろう、悟浄の声に我に返ったゴノウはびくっと身体を強張らせてぺこぺこ頭を下げた。それが何とも可哀想になって、悟浄は何でもない風に首を振って見せた。 「いーっていーって。で、名前は何つーの?」 結局子供や動物に弱い悟浄は、そうにっこり笑って言った。ゴノウは下げていた頭をそっと上げて、大きな目を何度か瞬かせた。 「ゴノウです」 「ゴノー?」 こくりと頷く少年を見て、よしよしと頭を撫でてやる。半分猫の少年は、その大きな手に心地よさそうに目を細めた。それを見て面白くないのは三蔵、ただ一人である。 (……俺が頭撫でた時どれだけビビられたか……) 確かに自分は人相が悪く、近付きやすいオーラもないだろう。が、こうも差があるというのは痛い。大体に自分は子どもや動物といったものが特に好きな訳ではない。むしろうっとうしい子どもであれば嫌いな部類に入る。騒ぐ動物なんかであれば近くにも寄らせたくないタイプだ。しかし、面白くない。 「で、このキメラはどちらさんの?」 「……焔。ここから先の話は口外無用だ」 いつになく真剣な面持ちの三蔵に、悟浄は冗談っぽい表情を引っ込め、きちんとソファに座りなおした。そして三蔵はその向かいの広いソファに腰掛ける。するとゴノウはとたとたと悟浄の傍を離れ、三蔵の隣にちょこんと収まった。 「お? やっぱご主人様の方が好い訳? 妬けるねぇ」 「黙れ」 茶化す悟浄に睨みを利かせた後、さり気なく隣に座るゴノウを見下ろすと、無垢な子どもの目が不思議そうに三蔵を見上げていた。思わずその視線にどきりとしたものの、彼が当たり前のように悟浄よりも自分を選んだことに少しほっとしたりもしたのだった。 「……成程、あの焔がねえ……やりかねないけど」 「あの馬鹿が変なところに片足突っ込みやがって……」 全てを悟浄に説明すると、彼はそう驚いた風でもなく、ふんふんと何か納得したように頷いている。 「昔っから変な奴だったけどなぁ……まさか犯罪紛いに手を出すとはな」 「フン、別に人殺ししてるわけじゃねぇんだ」 「まーね、ある意味救済だけどよ……で、こいつはその研究所に追われる立場で、お前が匿ってるわけね」 話に飽き始めたのか、それとも習慣になっている昼寝の時間なのか、くあ、と口を開けて欠伸をしたゴノウの頭を三蔵が撫でる。 「早く寝ねぇからこういうことになるんだ」 「すみません……」 そういえば昨日の晩寝たのは午前三時頃だった。三蔵も途中で二度も起きたせいで今朝起きたのはもう太陽のすっかり昇った九時だった。今はと言えばもう十時半である。朝早くに不躾な来訪だと思ったが、もう普通の人間は活動している時間だったらしい。 「何、三蔵様ってば夜通しゴノウのこと……」 「お前は本当に命知らずな奴だ」 「わ、ちょ、勘弁!」 変な事を言うな、と一発ハリセンで殴って中央のテーブルに沈めると、ゴノウが変に思っていないかとそっと視線を送った。が、ゴノウは突然のハリセンの出現に、一体どこから出たのだろうときょろきょろするばかりで最前の悟浄の言葉は大して気にしていないようだった。 よく考えればあまり性知識もなさそうな少年だ。聞いていたとしても意味は解っていないだろう。そう考えて三蔵は大きく息を吐いた。だとしたらゴノウの傍に悟浄を置くのはあまりにデンジャラスだ。どんな知識を植えつけるか解ったものじゃない。知識ならともかく、三蔵に関する間違った情報などを教え込まれたらそれこそ円満な同居生活の終焉を意味する。 「ってェなこのクソハゲ!」 「黙れ無節操河童!」 「かっぱ……?」 こてん、と首を傾げるゴノウは、じっと悟浄を見つめている。 「かっぱ……」 「俺は河童じゃねえー!」 「河童じゃなきゃゴキブリだな」 「ご、ゴキブリは嫌いです!」 その言葉を聞くなりソファの上で小さくなってしまったゴノウの背中を三蔵の手が撫でる。そりゃああの施設じゃゴキブリも出るだろう、と三蔵は焔の研究室を思い出した。 「だからゴキブリでもねえよ! 俺は人間だっつの! そうだ、兄ちゃんは悟浄ってんだ」 「ごじょう?」 小首を傾げるゴノウに悟浄が頷いてやると、ゴノウは嬉しそうに顔を綻ばせた。 「うおっ……可愛いなお前!」 にこっとそれはもうきらきらの笑顔を見せたゴノウを悟浄がテーブル越しにぎゅっと抱き寄せた。悟浄は小さい子どもをちょっとだっこするとか、動物を抱き上げるとかそういう気分でやったのだろうが、三蔵の目の前でやったのはまずかった。 「いてーんだよクソボ――――ズ!」 「るせぇ! こっちのこと散々変態呼ばわりしてお前の方こそ犯罪者じゃねぇか!」 「俺はショタコンじゃねぇ!」 「さんぞう、さんぞう」 「あ? 何だ?」 「しょたこんってなんですか?」 二人の間に沈黙が走った。 「……ショタコンっつうのはな」 「教えるなっつうの、無垢な子供に何教え込む気だ!」 「アブねぇ男に気を付けろと注意するのの何が悪い」 「……しょたこん、には近付いちゃいけないんですか?」 「ああそうだ」 「もう黙って!」 段々悪くなって行く立場に、悟浄が泣きを上げたことでその一幕は終わりを迎えた。 悟浄は不貞腐れながらも、ゴノウが甲斐甲斐しく運んできてくれるコーヒーを飲んで少々機嫌がよくなってきたようだった。それを見はからって、三蔵はゆっくり口を開いた。 「……お前、今日一日暇か」 「は? 何、美人は美人でもハゲのお誘いは勘弁……」 「黙れ。……ゴノウの服を買いに行かにゃならん。手伝え」 三蔵はあまりファッションへの執着がなく、子ども服となれば余計に勝手が分からない。その点、悟浄ならばそういったことにも詳しそうだと思ったのだ。 「……そっか、お前服ねぇのか。……流石に……今のカッコは、なぁ?」 今までいろんな衝撃で悟浄の頭から吹っ飛んでいたようだが、ゴノウは昨日寝た時のまま、三蔵のワイシャツとトランクス一枚だけという恰好をしているのだ。猫の耳と合わせるといろんな意味で危ない。不安そうにじっと悟浄を見つめる一対の翠玉に、悟浄は苦笑して手を伸ばした。そしてふかふかとした猫の耳に触れる。 「そうだな、じゃ、一緒に服買いに行くか。……お前金は出すんだろうな」 「……俺も行く」 「は? ……ああ、そう、んじゃいいか」 ゴノウを悟浄に任せて自分は家でゆったりするつもりだろう、と考えていた悟浄は一瞬目を瞠ったが、ゴノウを不安がらせないように頭を優しく撫でて笑いかけた。 「ほれ、おーきいだろゴノウ」 「すごく大きいです!」 それから間もなく、三人は悟浄の車で出発した。ハンドルを握るのは悟浄、後部座席に三蔵とゴノウが並んで座っている。そのゴノウといえば、少し開けられた窓から目をキラキラさせて外を見ている。それもそうだ、長きに渡って屋内に監禁されていたようなものなのだから、こんな大型の百貨店を見るのは久しぶり……もしくは初めてなのだろう。 悟浄が向かったのは三蔵のマンションから車で十数分のところにある、家族連れが多く訪れるような大型百貨店だ。ここならば必要なものも一気に揃うだろう。 ゴノウはそのままの恰好で家を出る訳に行かなかったので、三蔵の学生時代のハーフパンツのウエストの紐をキリキリ締めて穿き、悟浄が着て来ていたフード付きのパーカーを着せた。勿論フードは被せて、尻尾もパーカーの中に入れている。そのため、ゴノウがびくびくするたびに背中の中で何かが蠢くのだが、それは二人のうちどちらかがゴノウの後ろに立って歩けばどうにかなるだろう。靴はどうやら三蔵よりも少し小さいくらいらしかったので三蔵の物を貸した。そういえばもうゴノウは十五であって、もう骨格も大人のものに変わる時期なのだとその時に三蔵も思い至った。 久しぶりに外に出られたゴノウは、嬉しそうに流れていく景色を眺め、流れ込んでくる風に目を細めている。 「えーと、服買って靴買って?」 「……」 あと枕も一つ買わないといけない、と思いつつ、悟浄に言ったらまた変な探りを入れられそうなので口を噤んだ。 「ほら、到着だぞー」 悟浄の愛車が太陽の光を弾き、大きな駐車場へと入っていった。 「まず服な、えーとサイズサイズ……まいっか、店のおねーちゃんに測ってもらおうぜ」 三蔵は全く知らなかったが、実は買い物が好きなのだろうか。それとも人込みが好きなのだろうか。悟浄はゴノウの手を引きながらテナントの一つの中へ入っていく。そこは比較的カジュアルな男物を売っているようだ。三蔵はそういったものに詳しくなく、しかも人込みが好きではないため、その店舗の前にあるベンチに座って、灰皿の隣を陣取った。行き交う女たちの視線を煩わしく感じながら、ひたすらに煙草を吹かし続けた。話しかけてこようとする果敢な女もいたが、三蔵のあまりにも強い“近付くな”オーラに圧されて結局話しかけられずに去っていった。 (……だから人込みは嫌いなんだ……) これでゴノウの用ではなかったらわざわざこんなところにはいない。悟浄とゴノウを二人で出掛けさせるのが不安だったからこそこうして買い物に同伴しているのだ。一ケースの最後の一本の煙草を吸い終えた三蔵は、その吸いさしを灰皿に押し付けて捨てた。ポケットにあと二ケースは入っているが、何となく今開けるのは躊躇われて、ぐるりと首を廻らせる。そして、ふと目に入ったものに視線が止まる。 「……」 「あー買った買ったー、三蔵ー……って、アレ?」 大量のショップの袋を持ち、店から出てきた悟浄は、目の前のベンチに三蔵がいないのに気付いた。後ろから軽めの紙袋だけ持ったゴノウがとたとた追いかけてきて、同じようにベンチに目をやる。 「さんぞうは?」 「んー、煙草がなくなったとか? すぐ戻ってくるって」 少し不安そうに言ったゴノウの頭を撫でて、彼を連れて先ほどまで三蔵が座っていたところまで行き、荷物を降ろす。 「服買った、靴買った、んじゃあ……」 「あ、さんぞう!」 ベンチにどっかり座りこんだ悟浄の横に、ちょこんと座っていたゴノウが嬉しそうに声を上げた。それにならって悟浄も顔を上げると、いつもながらの憎らしいほどの美形が仏頂面で立っていた。手にはどこかの店の小さな袋を提げている。 「おーおかえり。ほれ、カード」 「ああ」 服を買いに行く際に借りたカードを三蔵に返す。しかし、今までカードを悟浄が持っていたということは、その袋の中身は三蔵のポケットマネーということだろうか。三蔵はポケットマネーを使ってまで買おうとするものとは。 (……好奇心は猫をも殺すっていうしな……) きっと三蔵はゴノウにまでは隠さないだろう、今度会った時にゴノウに聞こう、と思い至った悟浄は、聞かないでおこうと見なかった振りをすることにした。 実に五・六年ぶりの人込みに、流石にゴノウも疲れ始めたのか、よたよたと足取りが危なくなってきた。ゴノウが持っていた袋は三蔵が取り上げたものの、ふうふうと少し辛そうに息をするのを見ているのは心苦しかった。人酔いしたのかもしれないし、寝不足のせいもあるだろう。どうせもう買うものはない、と三蔵はもう帰るようにと悟浄に声を掛けた。悟浄もそのつもりだったらしく、そのまま二人はゴノウのペースに合わせるようにしてゆっくり、出口へと向かっていった。 いくつもの袋を車の後ろに放り込みながら、ゴノウを後部座席に座らせる。三蔵がゴノウの隣に乗り込むと、彼はもう既にこてんと頭を横に垂れて眠りに就いていた。 「あれ、寝ちゃったんか?」 「ああ、揺らすなよ」 無理な注文を……と愚痴りながらも、悟浄は比較的穏やかに車を発進させた。時折揺れる座席に身を任せながら、三蔵は窓から外を眺めていた。時計を見たところ今は一時だ。これから帰って部屋を掃除し、ゴノウの部屋を作る。十分な時間はある。そう納得して目を伏せ、息を吐いた。その左肩に、ふと柔らかい重みが寄り掛かってきた。 「……?」 視線を動かすと、自分の肩辺りに濃茶のさらりとした髪が見える。そこから生えているのは黒いふさふさの耳だ。どうやら車の揺れで三蔵の方に凭れ掛かってしまったらしい。寝惚けているのか、時折すりすりと三蔵の腕に額を擦り寄せてくる。 ―――――守らなくては。 守る必要のあるものなど欲しくなかったはずだった。それは今まで守りたいと思えるほどの存在に出会ったことがないせいでもあった。誰かに依存して、寄り掛かって生きていくことを好まないからでもあった。 自分をどうにか出来るのは自分だけ。そんな自分勝手な自分に他のものを守る余裕などなかったから。しかし今回は形振りを構ってなんかいられない。多少情けなくても、格好悪くても。 「守るから」 囁いた言葉は、遠いクラクションに掻き消された。 悟浄出すと楽しい……!書き忘れましたがこのシリーズは38です。というか三蔵×ゴノウ。(まさかの年齢差9歳) 2005/9/22 |