「昔から変な奴だとは思っていたが、こんな仕事に手を染めるとはな……」 「失礼な言い方を……でも、ギリギリ合法なんだ、これでも」 呆れたようにそう言われ、少し苦笑しながら、オッドアイの青年は、目の前に並ぶ幾つもの檻に視線を送った。 「合法……か。あの莫大な需要がある限りそうだろうな」 黒いスーツに身を包んだ青年、三蔵は嫌そうに顔を顰めて、奥の並びのデスクに顔を向けた。そこには幾重にも厚い茶封筒が折り重なっている。それから視線を無理矢理引き剥がして、嫌なものでも見るような目を、目の前の悪友に向けた。少し困ったように笑った彼は、小さく肩を竦めて見せた。 「俺でも良心は痛むさ。だが今は“正義”だけで生きていける時代じゃないだろう」 「……全くだ」 そうしゃあしゃあと言ってのけるところは、学生時代から変わりない。三蔵とオッドアイの青年・焔は高校時代からの友人同士だった。といっても、好んで付き合っていた訳ではなく、いつも何故か成り行きで一緒になってしまう、所謂悪友というものだ。大学を卒業、そして企業に就職し、何ヶ月かは二人で会って酒を呑む、ということもあった。が、突然数ヶ月前から焔と連絡が付かなくなっていたのだ。電話番号は変わっている、住んでいたマンションは売却済み、以前いた企業の社員名簿に名前はない―――――と、何かヘマをやって抹消されたのか、と半ば三蔵が居場所を探すのを諦めていた時のことだった。突然休日の早朝に、指定された山の麓まで来るようにと電話が入り、それが何ヶ月も失踪していた友人からだったというのだから。 「メモの一つくらい残しやがれ。山で白骨死体にでもなってやがるのかと思ったぜ」 「まあ、山というのは間違いではないな。山の中の研究所で開発責任者に抜擢されて殆ど三ヶ月缶詰状態、というわけだ」 「……で、開発されたのがこれか?」 そう言って三蔵はもう一度視線を眼下の檻に巡らす。無数に並べられたそれは、蛍光灯の下で鈍く光っている。その中にいるのは。 「これで合法だっていうのが信じられんがな」 その中にいるのは、年のころ九、十歳ほどの少年少女たち。しかしその彼らには、獣の耳と尾が付いていた。猫のようなものもあれば、犬だったりもする。そんな彼らが、無防備に檻の中ですやすやと眠っているのである。 「キメラを愛玩動物として売るってことか」 「平たく言えばそういうことだ」 「キメラの開発は国家的にタブーとされてるだろう。倫理的には最悪だな」 「確かに」 「どんな奴等が買うんだ、こんなの……」 スツールに脚を組んで腰掛けて、悪友の反応を笑って見ていた焔は、その独り言を耳にして、デスクの方へと舞い戻っていった。そしてまたコツコツと靴を鳴らしながら戻ってくる。手には辞書のような厚さの書類の束が綴じられたファイルを手にしている。 「代議士の先生方に豪遊三昧の成金、そしてちょっと淋しい一人暮らしの女性まで。……金のある人なら誰でも買っていく」 そう言って焔は、手にしていた書類の束を三蔵に差し出した。それに軽く目を通すと、それは顧客リストのようだった。本名から住所、電話番号、年齢……と細かな個人情報が活字で打ち込まれている。 「客のプライバシーなんじゃないのか……」 そうニヤリと笑ってみせると、焔は肩を竦めただけだった。 「こっちを訴えるとしたら金持ちだろう。だけどバレた時一番困るのはその金持ちの著名人だ。それが分かっていれば訴えるような馬鹿な真似は誰もしない」 「……悪徳だな」 そう言って三蔵は、書類の束を焔に投げ返した。そして再び折り重なった檻へと目を向ける。 「……こいつらがどんな“用途”で使われているかと思うと反吐が出るな」 「“愛玩用”とはいえ……買っていく客にもよるだろう。若い女性が買っていったり、子どものいない老夫婦が買っていったりする場合もあるから……その時は俺も安心して送り出してやれるがな。中には異常性癖の持ち主もいるかも知れない」 そう言って焔は、苦虫を噛んだように顔を顰めた。 「可愛がってもらえていると、いいんだが」 そう呟くように言った後、嘲笑を浮かべた。自分にそんなことを言う権利などないと、気付いたのだろう。 「……死ぬ方がいいか、玩ばれてでも生きる方がいいのか、それは本人の意思次第だろう」 「え」 「……何だ」 突然怪訝な声を出されて、不機嫌そうに顔を上げた三蔵に、焔は少しびっくりしたように手を振って、何でもないと言った。 「前に、同じことを小さな子に言われたことが、あったから」 「……?」 その表情が意味深で、探るような視線を焔に向ける。彼は暫くそれから逃れるように視線を逸らしていたが、やがて根負けしたように大きく息を吐いた。そしてまたスツールから立ち上がり、三蔵に手招きをした。 「何だ」 「見せたいものがある」 そう言ったきり、焔は振り向くことなく、檻の立ち並ぶ中央の通路を歩いていく。その異様な光景に生理的な嫌悪を感じながらも、三蔵は大人しくその後ろについていった。 「……おい焔、どこまで行くんだ」 「地下だ」 「地下?」 いつまでも足を止めない焔に大人しく付いていくこと五分、まだ目的地に辿り着かない。しかも視界に入るのはコンクリートの味気ない廊下、古い病院のようなタイルの床、そして饐えた黴臭さ、それに混じる薬品の匂い。非常出口の緑色の明かりが毒々しく思えた。 二人分のずれた足音が反響するのを聞きながら三蔵がぼんやり歩いていると、前方を歩いていた焔が急に足を止めた。彼が足を止めたその先にあるのは、他のものと特に変わりないドア。第三研究分室、と札が付いている。 「……ここか?」 「ああ」 そう言って頷いた焔の顔は、影が掛かっていて表情を窺い知ることは出来なかった。 焔にならって、その部屋に一歩足を踏み入れる。そこは先ほどまでの廊下と同じ場所なのか、と思うくらいに空気は澄み切り、光は蛍光灯ではなく太陽光が差し込んでいる。匂いも黴臭さとは無縁の、森の中のような匂いがした。 「ここは研究室なのか?……」 「まあ、表面上は。俺が篭って仕事をする時に使うから、他には誰も立ち入らないようになっている」 言外に他の用途もある、と示した焔は、そのまま部屋の奥へと入っていった。 簡素な部屋だ。しかし元から綺麗好きな焔の部屋であるだけに綺麗に掃除され、薬品棚も使いやすいように整頓されている。机も書類だらけではあるが綺麗な方だろう。何故地下なのに光が入ってくるのだろう、と窓辺に寄ってみると、窓の外は庭のようになっていて、この部分だけ土が掘ってあるようだった。勿論その掘った土の上には厳重な鉄線が巡らしてある。手狭な部屋だと思ったが、他の部屋へ繋がるドアが幾つもあるようだった。札を見ればトイレやバスルームなどといったものがついているらしい。そして、さっき焔が入っていったのは簡易のベッドルームだった。 「焔?」 そう呼びかけると、開けっ放しにされたベッドルームのドアから、焔が顔を出して、手招きをした。子供か動物を呼ぶような仕草に苛立ちはしたものの彼に言ったところでどうなるわけでもなく、それに今は興味の方が先に立ったため、三蔵は焔に呼ばれるままにベッドルームに踏み込んだ。室内は簡素な作りで、タイル張りの床に白のシンプルなパイプベッド。他には二、三の小さな棚があるばかり。そんな白い空間の中に一際異様なものが置かれていた。 そこにあったのは、黒光りする一つの大きな檻。しかし、檻の戸には鍵が掛かっておらず、その戸は開いていた。下には大振りな南京錠が開いたまま落ちている。そして、焔のものであろうベッドには、うずくまる小さな身体が。 「……何でお前が俺をここに呼んだか、解ってきた」 「面倒事を頼んですまん」 いつになく素直に詫びる焔に、居心地の悪いものを感じながらも三蔵はどういうことかと問い質した。 「あの子も、さっきの部屋にいた子たちと一緒の、キメラだ」 「見りゃわかる」 返ってきた返答は予想通りのもので、欲しかった答えとは異なり苛立ちが隠せずに彼を睨み付ける。その小さな姿は、こちらに背を向けて転がっているものの、頭にちょんと付いた猫科のものと思しき耳と尾が判別出来た。 「……面倒な話になる。コーヒーでも出そう」 そう言って焔は、戸口に立っていた三蔵の肩を叩いて、また部屋に戻っていった。反射的に三蔵もそれを追おうとして、一度だけその小さな後ろ姿を振り返った。 「あの子は何度も、この施設を脱走したことがあるんだ」 「脱走?」 「ああ。大概の子は、自分の将来に一体何が待っていたとしても生きられるだけでいいと言う。研究対象にされるのは、今の世の中で食べることもままならない子たちばかりだからな……」 コーヒーを三蔵に差し出した焔は、自分のマグカップに入ったそれを少し啜り、少し懐かしいような表情を浮かべ、すぐにそれを厳しいものに変えた。 「だけどあの子は、ここに連れてこられて、俺の前に差し出された時に言ったんだ」 「……?」 「『こんな風にされてまで生きたいなんて思わないから、殺して下さい』って」 「それからも何かから逃げるように脱走を繰り返して……この研究所は機密機関だ。キメラがこの付近で発見されては困る。二、三度捕獲されて、それでも逃げようとするから……薬殺されそうになったところを、俺がこうして自分の部屋に匿っている」 「……」 「そうして脱走を繰り返している内に、販売に適した年頃を過ぎてしまったんだ」 「年頃?」 「本来は、さっきの部屋の子たちのような幼い年代で売って、幼いうちから買った客を主人と覚えこませなければならない。それを過ぎると自我が生まれて、忠実な愛玩動物にはならないからな……」 「……あれは、幾つになるんだ」 先ほどのベッドルームを顎でしゃくってみせると、焔は複雑な顔をして、十五になる、と呟いた。 「まどろっこしいことは嫌いだ。焔、お前が俺に依頼したかったことは何だ」 そう告げると、じっとマグカップを持ったまま、俯いていた彼は観念したように大きく息を吐いて、カップを机に置いた。そして椅子に座り直し、正面から三蔵の顔を見据えた。 「……あの子の、引き取り先を探して欲しい」 「需要は幾らでもあるんじゃないのか?」 ぎゅっと唇を噛み締めた焔は、両手で顔を覆ってまた大きく息を吐いた。そして俯きがちに、ぽつりと呟いた。 「彼を性欲の捌け口に使ったりしない、良心的な客を、探して欲しいんだ」 そう言ってから一息置いて焔は立ち上がり、奥の大きなデスクの脇に屈んで、引き出しを漁り始めた。そして一枚のクリアファイルを取り出して戻ってくる。そのファイルの中には、二枚の紙が入っていた。それを差し出された三蔵は、その紙に添付された写真に目を向けた。 「あの子の写真だ」 「名前は?」 「キメラの名前は買った客が決めて、それを本人に記憶させることになっている。だからあの子にはまだ名前がない。記号だけだ。5-n/OWという。……俺は捩ってゴノウと呼んでいるが」 焔が何かをずらずら話しているのは分かったが、内容が頭に入ってこない。三蔵の全神経はその写真に向かっていた。写真の中の少年は年の頃十三、十四だ。焦茶の癖のない髪が、少し長くなって頸部を覆っている。そこらの少女よりもすっと透き通るような白い肌と、髪と同色の長めの睫毛。……そしてそれに縁取られた、翠玉の瞳。しかしその美しさに反して、周りを一切拒絶したような暗い色が宿っていた。 「さっき、『死ぬ方がいいか、玩ばれてでも生きる方がいいのか』って言っただろう」 「……ああ」 一旦書面から目を離して、顔を上げる。膝の上で手を組んだ彼は何か思い出すように目を伏せている。 「あの子は……ゴノウはお前と同じことを言った後、『そのどちらかなら死んだ方がいい』と言った」 「……」 「このままここには置いておけない。近々ゴノウを薬殺処分することになった。担当は俺だ」 それを、書類に目を通しながら聞いた。彼の身体的特徴、怪我の傷や黒子の位置まで事細かに書かれている。そして普段の素行、声の質や口調など、まるで商品のセールストークが聞こえてきそうだ。 「俺が一人で処分した、と言って逃がしてやることは出来る。だけど、誰かが匿って手引きしてくれなければ見つかってしまう」 「……そのキメラってのは、育てるのが難しいもんなのか」 「いや、調子が悪くなったら専門の治療がいるが、それは俺が対応することにするから多分、難しいことはないと思うが」 それを聞いて、三蔵は残っていたカップのコーヒーを飲み干した。そしてそのカップを焔に返しつつ、書類をトン、と叩いた。 「引き取ってやるよ、俺が」 「な……お、お前が?!」 先ほどまでの深刻な雰囲気はどこにいった、というくらいに焔はどもりつつ三蔵に詰め寄った。勿論三蔵は適当な事を言う男ではない。だが、普通の犬や猫でも育てられるか微妙な、しかも人嫌いの気があるあの三蔵が。 「……本気か?」 「俺は冗談は言わん。それともなんだ、薬殺処分の日までに引き取り手が見つからなかった時のことを考えていないのか」 それもそうだ。組織から追われたキメラを匿ってくれなどと言ったとしてもそうそう引き取り手が見つかるはずがない。誰も危険なことにわざわざ足を突っ込みたがるわけがないのだ。こんなことをしている組織のことだ、引き取り手もろとも消す、ということもなくはない。 「みすみす組織に追われる立場を望むような奴がいると思うか?」 「……っ……だが、見つかったらお前も、お前の親会社も……」 「加担したなら同じだろう。それにうちの会社がそう簡単につぶれるはずがないことをお前だってよく知ってる」 それを聞いた焔の脳裏に浮かんだのは、三蔵の叔母である女の姿。確かにあの女の傘下にいる三蔵に被害が及ぶ可能性は低い。それでも焔は悩むのを止めなかった。その様子を正面からじっと見つめていた三蔵は、胸ポケットから煙草を取り出して火を着けつつ呟いた。紫煙がゆったりと流れていく。 「お前、手放したくないんじゃねぇのか」 書類の端を弄びながら三蔵が言うと、焔は組んでいた両手を合わせて、そこに額を乗せた。そして嘲笑混じりに呟く。 「……かもな」 「一旦うちに避難させろといっているだけだ。お前が、あいつが恋しくて仕方がないって言うなら会いに来ればいい」 「そんなじゃない……」 そう焔は顔を顰めてみせたが、先ほどの眠る少年へと向けた視線の柔らかさがそれを肯定していた。暫く黙っていた焔は、一度ちらりとベッドルームの方を窺った後、小さく溜息を吐いた。 「この部屋に匿ってから、いろんな話をした」 「……」 「ここに連れて来られる前、どこで何をしていたかとか。連れて来られた時、まだ彼は九つだったらしい。俺が初めて会ったのは半年ほど前の話だが」 そこまで話して、焔は顔を上げた。そして壁に掛けてある時計に視線を送る。 「そろそろ持ち場に戻らないといけない。……次の休憩までここで待っててくれるか? 誰もここにはこない」 「ああ」 「ああ……じゃあゴノウと顔を合わせておいた方がいいな」 焔は立ち上がって、書類をファイルに戻して引き出しにしまった後、椅子に掛けてあったドクターコートを羽織った。そして寝室のドアを指し示して見せて、先に寝室に入っていった。 (……俺も大概だな……) この自分が、だ。焔の戸惑いや不安も尤もだ。犬猫の面倒を見るのも好きではなく、人付き合いを好んでするタイプでもないと自分でも分かっているのに、どうしてそう簡単に子供を一人引き取る気になどなれたのか。 「馬鹿か俺は……」 そう自嘲めいた笑みを浮かべつつ、椅子から立ち上がって寝室へと足を向けた。 「ゴノウ、ゴノウ、起きろ」 寝室に入っていくと、丁度焔が、ベッドに転がったその背中を優しく揺すっているところだった。その揺すり方じゃ起きるどころか余計に眠くなる、というようなそれに、思わず溜息が漏れる。 「甘やかしすぎなんじゃねぇのか、お前……」 自覚はあるのだろう、焔は曖昧に笑って、さっきより少し強くその背中を揺すった。 「ゴノウ、起きなさい」 「……ん、ん……」 揺すっても揺すっても、寝言を呟いては焔の手から逃げていく少年に、三蔵も思わず口元を笑みの形に歪めた。それに焔もきまり悪そうに笑った。そして再び少年の小さな背中を見下ろす。 「……しかし、俺以外の人間が近付いても起きないとは」 「何?」 ずかずかと無遠慮にベッドの脇まで歩み寄ってきた三蔵に、ぽつりと焔が呟いた。 「ゴノウは敏感な子だから、慣れない存在が近付くだけで跳ね起きたもんなんだが」 そう言って、肩を竦めてみせた。確かに、三蔵が近寄っても、覗き込んでも起きる気配はない。顔はシーツに伏せられているせいで窺うことは出来なかった。 「起きろ、起きろってば……ゴノウ!」 時間が迫っていることもありそろそろ焦り出したのか、焔が少し声を荒げると、黒いふさふさとした猫の耳がピクリと立ち上がった。 「ん……あ、……ほむら」 しばらくむにゃむにゃと目を擦っていた少年は、視界に見慣れた青年を捉えて、ふわりと微笑んだ。寝起きの少し掠れた声は、まだ声変わりをしていない。 「本当に寝覚めが悪いな、ゴノウは」 そう言って焔が少年の髪と猫の耳を撫でると、気持ち良さそうにその手にじゃれる。それを三蔵は、少年に背を向けられた形でずっと見つめていた。濃い焦茶の髪が風に逆らうことなくまっすぐ揺れて、その間から覗く黒い耳は焔に向かってぴんと立っている。三蔵に向けられた背中は、さほど狭いわけでもないが酷くほっそりした印象を受けた。身に付けているグレーのツナギは背中に研究所の名前と、少年の記号が入れられている。それはまるで囚人のようで、気分がいいものではない。サイズが少し大きいのだろうか、だぼだぼしたその服は、彼の細さを余計に感じさせていた。 焔が手放したくない、と思うのも当然だろう。これだけ穏やかな顔をした彼を見たのは初めてだった。それは、彼の過去の恋人と一緒にいるときと比べても、ずっと穏やかで優しげだった。が、その少年を見る目が少し淋しげに変わる。 「……ゴノウ」 「何ですか? ほむら」 「前から話していただろう、お前が、ここにいられなくなる時のことだ」 「……」 その話と、いつにない真剣な表情に、さっきまで元気に立っていた少年の尻尾がぱさ、とシーツに落ちた。今きっとこの少年はまさしく『これから捨てられる猫』のような表情をしているのだろう、と思うと居た堪れない気持ちになった。 「お前を引き取ってくれる人が見つかったんだ」 「……誰?」 思わず胸が痛むほどの淋しそうな掠れ声に、三蔵は顔を顰める。ややあって焔が、少年の背後の三蔵を指差した。それにならって、少年がゆっくりと振り返る。思わず息を呑んだ。 「だ、れ……?」 「俺の高校からの友人で、玄奘三蔵という人だ」 写真では少し長かった焦茶の髪は綺麗に切りそろえられている。が、屋内に篭らざるを得ないせいか、肌の白さはそのままだった。そして何より、涙を溜めた大きな翠玉は、今この瞬間三蔵だけを映していた。 寝転んでいた時には小さいかと思っていた身体だが、こうしてみると十五歳という年齢の平均よりは小さいもののそれなりに高さがあることに気付く。しかし、その高さに比例しない身体の細さが、やけに落ち着かない雰囲気を醸し出していた。 「大丈夫、危ない人じゃない。お前を傷つけたりする人じゃない。お前の大事なものを奪ったりする人じゃない。お前を見捨てたりする人じゃない。……分かるな?」 少年の両肩を掴み、念を押すように言った焔に、縋るような視線を向けていた少年は、諦めたように目を伏せてこくりと頷いた。その瞬間、伏せられた瞼から白い頬に涙の筋が伸びた。三蔵も焔も、悪いことをしている訳ではないのにどこか良心が痛む思いがした。 「大丈夫、月に一回検査に行く。その時には絶対会えるから。な?」 その声にも頷くことしか出来ない少年に、三蔵はこれまでにないほど大きな良心の呵責にあっていた。別に悪いことはしていないのに。 「……じゃあ、俺は仕事があるからちょっと上に戻る。悪いな三蔵」 ギリギリまで少年の頭を撫でていた焔だが、流石に時間が切迫しているらしい。時計に目をやって慌てて立ち上がった。 「ゴノウ、大丈夫だから。な」 そう言って最後にまた頭を撫でて、焔は足早に寝室を出ていった。そして暫くドタバタしていたかと思えば、バタンと扉が閉まり、廊下を走っていく足音が地下の廊下に響いていった。本当に時間ギリギリまでいたらしい。そして、その足音の後には、二人きりの空間に痛い沈黙が残った。 「……おい」 「っは、はいっ」 焔が消えてから、クッションを抱き締めたまま三蔵に背を向けて小さくなっていた少年は、急に声を掛けられて跳ね上がらんばかりに驚いたらしい。クッションを思わずベッド下に落とし、怯えたように後ろを向いた。怯えたように、というより、本気で怯えている。それを苦々しく思いながら、三蔵は足元のクッションを拾い、彼に手渡してやった。そして無遠慮にドン、とベッドの縁に腰掛けた。それだけのことにも少年は肩をびくつかせる。 (……これだけ怯えられると……) 苦笑しながら三蔵は、少年に視線を向けた。まだ怯えてはいるものの、少し三蔵に興味を持ったのか、近くに座っている三蔵をじっと見つめている。 「玄奘三蔵と言う。お前の保護の手引きをすることになった。焔からそのことは聞いてるな?」 「……はい。薬殺処分が決まったから、と」 怯えはしても、元はしっかりした少年のようだ。受け答えはしっかりしている。ただ、まだ指先が震えているが。 「……そう怯えるな。そんなで一緒に暮らせるのか?」 「あ、ごめんなさい……」 咎める気持ちはなかったのだが、少年にはそういったニュアンスで伝わったらしく、少年はクッションを抱えたまましゅん、と俯いた。それがどうも居た堪れなくて、思わず手を伸ばした。 「っ」 一瞬ビクリと肩を強張らせたのにも躊躇することなく手を伸ばして、殊更丁寧に髪を梳いてやる。すると、彼はそのうち気持ち良さそうに目を細めるようになった。そして強張っていた身体が弛緩していき、震えていた指先も止まっていた。 「……名前は?」 「……あ、えっと、『5-n/O……」 「記号は要らん。名前は?」 「あ……その、名前は、買った、お客様が……」 その言葉に、先ほどの焔の声を思い出す。まだ取引されていないキメラには名前はなく、記号で識別されているようだ。 「そうだったな。じゃあ俺がつけてもいいわけか?」 「はい……多分」 こくりと少年が頷いたのを見て、三蔵は口を開いた。 「ゴノウ」 「はい。……え?」 「……で、慣れちまってんだろ。ったくあいつ、客より先に名前付けてんじゃねぇか……」 そう三蔵が独り言のように愚痴るのを、少年は目を瞬かせて見ていた。 「今日から正式な名前だ。“ゴノウ”」 「……はい」 またこくんと頷いたその頭を撫でてやる。ふさふさした耳は毛並みがよく柔らかい。耳の触り心地が思いの外良くて、集中的に撫でていると、次第にゴノウが肩を振るわせ始めた。やりすぎただろうか、と顔を覗き込む。 「くっ、く、すぐったいですっ!」 そう言って自分の両手で猫の耳を塞いでしまった。顔が微かに赤い。確かにそうだ、自分だって耳をずっとくすぐられていたらくすぐったいに決まっている。 「悪い」 と、頭を撫でて手を引くと、真っ赤な顔をしてゴノウがおずおずと顔を上げた。 「……でも、気持ちいい、です」 もうやめてしまうのだろうか、と思ったのだろう、ゴノウは少し不安げに三蔵の目を見上げてくる。 (……畜生、俺は犯罪者になるつもりはねぇぞ) 軽い気持ちで引き受けたものの、本当に良かったんだろうか。一生焔に顔向けできなくなるような事態になるのだけは避けたいと思うのに、この可愛さは一体なんだと叫びたい。小さな子供は相手の庇護欲を掻き立て生き延びるために可愛い姿をしていると言うが、逆効果のような気もする。 「玄奘、様……?」 不安げに見上げてくるその頭を撫でながら、心の中で大きく溜息を吐いた。 「……三蔵、でいい」 「さんぞう、さま?」 「様はいらん」 「……さんぞう?」 「そうだ」 その日から、三蔵の閑散とした家に家族が一人、増えることとなった。 殆どオリジナル……?三蔵・焔24歳、ゴノウ15歳。犯罪くさい。続きを書くかは未定。 2005/8/12 |