少し古びた写真の中に、長身の男が立っている。年の頃は三十、四十ほどだろうか。顔立ちは端整で男らしく凛々しい、なかなかの美丈夫である。立ち姿も威厳があって男らしい彼は、脇に帽子を抱え、警察官の制服を身に纏っていた。
「お前の祖父さん、警察官だったんだ」
 捲簾は、チェストの上に置かれた写真立てを持っていた。その声を聞いて、開けられたテラスの戸の前で座り込み、煙草を吸っていた天蓬はゆるりと首を擡げる。そして捲簾の手にした写真立てに目をやって小さく笑った。そして燃え止しを灰皿に押し付けて言う。
「ええ……格好良いでしょう」
 滅多にそういったことを口にすることのない天蓬がそう笑って言うのに捲簾は目を瞠る。しかし相手は彼の大好きな祖父だと思い直せば説明はついた。彼の中の一番の男は、永遠にこの写真の中の彼だ。そして彼の名前が、天蓬のペンネームでもあるのである。何でも、何か格好良い名前を、と言われた時それしか思い浮かばなかったのだという。
 煙草を手放して立ち上がった彼は、ゆっくりと捲簾のいる方へと歩いてきた。そして横に並んでその写真を覗き込む。
「死んだ時、まだ六十にもなってなかったんですよ。警視で……あ、でも特進したのかな」
「え? ……殉職だったのか?」
 驚いて聞き返す捲簾に天蓬は一度だけ視線をやってから、その写真立てを取り返した。そして懐かしげにそれを見つめる。
「ええ。僕が高三の時……昇進してからも現場に出て行くのが好きな人だったので」
 そんな風に彼が懐かしそうに呟くのを聞きながら、捲簾は釈然としない感覚を味わっていた。確か、かなり前にも彼の祖父の話を少しだけ聞いたことがあった。その時彼は、“病死”と言わなかっただろうか。
「……なー、お前、前は病死したって言わなかったか?」
「え? いつですか?」
「去年の……十一月」
 そう言うと、彼はなかなか思い出せないのか眉根を寄せて小さく首を傾げる。そして早くも思い出すのを諦めたようにへらへらと笑った。
「えーと……よく覚えてませんけどそれって、あなたに出会い立ての頃の話ですよね。多分本当のことを言って色々説明するのが面倒だったんだと思います。色々素性も話さなきゃならなくなると思って」
「おまっ……」
 面倒、という言葉が思いのほか堪えて、二の句が告げずに捲簾は唇を凍らせる。それを見た彼は困ったように笑って写真立てを再びチェストの上に戻した。そしてそのままその手を伸ばし、捲簾の頭を犬の頭でも撫でるかのように撫でた。
「あれ、傷付きましたか」
 笑いながらも恐る恐る窺ってくる彼に、何だか悲しい気分になって肩を落とした。よしよしと頭を撫でてくるその手を払う気力も出なくてそのままに、大きく溜息を吐いた。
「傷付くよ」
「すみません、だって……あの頃はこんな風になるなんて思ってませんでしたし」
 そう言って彼は照れたように顔を背ける。それが演技だと分かっていても何だかこちらまで照れ臭くなってしまう。その彼の髪を掻き回して溜息を吐いた。負けっぱなしである。こうしていつも、彼には誤魔化されているような気がした。
「もうしない?」
「はい」
「分かった。約束だからな。嘘は嫌いなんだ」
 そう言うと、彼はこくりと頷いてじっと捲簾を見上げた。そしてちらりと視線を写真へと向けた。その目はいつものものとは少し違う表情を浮かべているような気がした。捲簾は自分の祖父を思い返してみて、自分が彼のことを思ったらそんな目をするだろうか、と考えてみた。しかしその答えは否だ。何だか釈然としない。
「そんなに祖父さんのこと好きなのか」
「何ですか、人をジジコンみたいに」
 捲簾の言い方が癇に障ったのか、天蓬はしかめっ面で写真を胸に抱え込んだ。その大事そうな手付きが更に気持ちを増幅させる。それを見ていると、駄目だと分かっていても悪態をつきたくなるというものだ。
「……ジジコンじゃねぇの」
「何ですって?」
 きつい目で睨み付けられて肩を竦める。そんな捲簾を横目に、天蓬は頬を膨れさせた。そして再び写真を見る。
「そんなんじゃないですよ。どうしてただ好きなだけなのが駄目なんですか」
 そう言って拗ねたような声を出した。それに笑って捲簾はその頭を無造作に撫でる。すると彼はむっとしたように眉根を寄せた。そして少し決まり悪そうに視線を逸らす。その目にはどこか、寂しげな色が浮かんでいた。



「おじいちゃん!」
 おっとりとした美しい女性の傍からころころと駆けてくる小さな子供に、男たちは微笑ましげに頬を緩ませた。そしてその中の一人が奥の部屋にいる上司へと声を掛ける。その声に、カツカツと靴の音が近付いてくるのに子供は目を輝かせた。
「課長! お孫さんですよ〜」
 慌てて奥の部屋から出てきたその男は、じっと自分を待っていた子供を見つけて相好を崩した。そしてその長身を屈めて小さな身体を両腕一杯に抱きしめる。子供もそれに嬉しそうに笑い、その煙草の匂いの染み付いたスーツに鼻先と頬をすり寄せた。男が大きな手でその小さな頭を撫でると、子供は心地よさげに目を細めた。
「いい子にしてたか、天蓬?」
「はい!」
 そうしていると後ろから先程の女性が歩いてきて、手にしていた紙袋を男へ差し出す。男は子供を腕に抱き上げたまま立ち上がり、それを受け取って袋の中を覗き込んだ。
「一週間分の着替えです。あと髭剃りも」
 女性は男の妻である。美しくて芯が強く、気立ての良い女性だ。結婚をして二十年近くが経つ二人は未だ穏やかに愛し合っていた。そして二人の間には可愛らしい一人の娘がいた。いた、というのは過去形で、今はいない。勘当してしまったからだ。そして今は孫であるこの子供、天蓬と暮らしている。自分の子供に捨てられた彼と共に。彼へ対する純粋な愛おしさと、自分の娘のせいで幼くして哀しく辛い思いをさせてしまったという負い目が二人にはあった。何とも言えない思いに襲われて、男の指が天蓬の白い頬をそっと撫でる。子供のくりくりとした明るい色の眸がきらめいた。
「おじいちゃん、まだかえってこられないですか?」
「……そうだな、まだ少し掛かりそうだな」
 現在、彼の勤務する署の管轄内で強盗殺人事件が起こっていた。犯人の足取りは未だ掴めていない。それが一段落着くまで、家に帰ってゆっくりするなどということは出来ないのだ。男の返事に天蓬は一瞬淋しげな目をした。しかし天蓬はすぐにそれを消した。幼いながらも相手の感情を汲み取り、その意に添うように表情を変えてしまう。それは大人になれば少なからず身に付けねばならない技術だったが、この子供はまだ五歳だ。その気遣いが逆に男を心苦しくさせる。
「おうちにかえったら、いっしょにねてくれますか?」
 それが、五歳の子供の精一杯の甘えだなんて、悲しすぎた。彼は何かが欲しいと駄々を捏ねることもなければ、遊びに連れて行けと強請ることもなかった。まるでそれは、家族としていさせてくれるだけで十分だと言わんばかりで苦しく、情けない思いでいっぱいにさせられる。我侭を言わないいい子だと周りは言うのだが、夫婦はそれが歯痒かった。子供のそんな小さすぎる希望に、一瞬どう返していいのか迷ったが、それは押し殺して微笑んでみせた。
「……ああ。風呂も一緒入ろうな」
 そう言うと天蓬は、顔を明るくして嬉しそうに頷く。その笑顔を身を切られるような思いで見上げ、男は不器用に笑い返した。

「お孫さんだったんですね、お子さんかと思いました」
 妻と孫が帰ってしまった後、課内では新人の部下がそう声を掛けてきた。それに男は苦笑いをする。すると後ろからその部下を、事情を知る同僚が気まずげに小突く。男はそれを目で制して、部下に向かって笑ってみせた。
「勘当した娘の子供だ。もう一年になるな」
 そう言うと、部下の顔が瞬時に固まった。それをおかしいような思いで見つめて椅子に腰掛ける。そしてそのことをゆっくりと思い返してみた。娘は、望まずに産んだ子供を親に押し付けて他の男の所へと行った。それだけならばまあ許せた。しかし度々家を訪れては暴言を吐き、挙げ句新しい男との間に出来た子供のことを、捨てた息子に向かって自慢げに話したのを見た時には流石に拳を握った。そしてそんな言葉を向けられた子供が、精一杯の笑顔で「おめでとう」と言ったのを聞いた瞬間、娘の頬を咄嗟に撲っていた。いつもは理性的な妻もそれを止めようとはしなかった。彼女も、行動には移さないまでも相当に怒っていたのだ。そして娘とは縁を切った。間に立たされた天蓬が、それを自分のせいだと責めて度々自分に隠れて泣いていたのを知っていたのに。
「あの……課長、すみません俺」
「構わない。しかし……可愛かろう、俺の孫」
 突然切り替わった話題に、部下は目を瞬かせた。そんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔に笑って背凭れに体を預ける。
「は? あ、ええ、可愛いですね、天蓬ちゃん」
「……天蓬君だ」
「えっ? あれ、男の子ですか!」
 美しい妻に似た娘、その娘に似た天蓬は、時折女児と間違われるような甘い容姿をしていた。その度天蓬は一人膨れて「おじいちゃんみたいにかっこよくなりたいです」と嬉しいことを言ってくれるのだった。しかし、いつか大人になって、本気でその母親に似た顔を憎む日が来るだろう。それを思うと、申し訳なくて可哀想で、どうしていいのか分からなくなってしまうのだ。
「可愛いだろう、……本当の息子にしたいくらいだ」
 そうして、願わくはあの子供が二度と淋しさで泣くことがないように、と心の底から思う。今でも自分の見ていないどこかで彼が小さくなって泣いているのだろうかと思うと、自分の非力さが憎かった。その雑念を振り払うように頭を一度大きく振って、男は立ち上がった。突然立ち上がった上司に部下は驚き、目を見開いた。その部下に向かって表情を引き締めて見せる。早く仕事を終わらせて、彼の元へ帰ってやりたかった。一緒に風呂に入って、一緒に食事をして一緒に寝る、それだけのことが彼の望みなら、その全てを叶えてやりたかった。過去の痛みで多くを望むことが出来なくなってしまった子供のために。
「休憩は終わりだ、……聞き込みに行くぞ」

「天蓬は、大きくなったら何になりたい?」
「……おじいちゃんみたいになりたい」
 今までにも何度もされたその質問に、天蓬はいつも少し考えた後そう答えるのだった。今までもこれからもきっと自分の理想は彼以外に有り得ないと幼いながらに思っていたのだ。そう思い続けて、ゆっくり成長した天蓬が高校三年になった頃だった。まだ六十にもなっていなかった彼は、五十九歳でこの世を去った。丁度非番だった彼は、偶然居合わせた銀行に立て篭もった強盗を取り押さえようとして腹部を刺されたのだ。しかし刺されながらも犯人の腕を掴んで離さず、その犯人はすぐに駆けつけた仲間に逮捕された。しかし、彼は搬送先の病院で、妻と天蓬に見守られながら静かに息を引き取ったのだった。その顔が実に穏やかで、もうこの世に未練などなかったのだろうかと思ってしまった。
「大丈夫? 天蓬」
「……僕は大丈夫ですよ。おばあちゃんこそ、少し休んで下さい」
 彼は多くの人から慕われていた人だった。それゆえ亡くなった後も家を訪れる知人は多く、弔問客への対応だけでも疲れてしまう。夫よりも一つ年下の祖母はまだまだ元気だった。この世に彼がいないと思うだけで立っている力を失ってしまいそうな自分よりもずっと。
 休息を勧める天蓬に、祖母はゆっくりと首を振った。そして優しく、力強く微笑んでみせる。
「私は大丈夫。でもあなたは……あなたには、あの人しかいなかったんだから」
 小さな頃のような泣き虫の自分には戻りたくなかった。なのに視界は一杯に満ちた水分で歪んで見える。
「……おじいちゃん、いつもせっかちだったから。もう少し待ってくれてもよかったのに」
 そう言って茶化してみても笑いきれずに口元が歪む。言葉を繋げられずに俯く天蓬を、彼女はそっと支えて優しく撫でた。



 天蓬の吸う煙草は、彼と同じものである。吸い始めたのは、大学に入学し、一人暮らしを始めた十九の頃からだ。その一年のフライングは、警察官である彼が知ったら顔を顰めただろう。しかし一人暮らしを始めた部屋の中、幼い頃からいつも感じていた彼の香りがないのはどうしようもなく不安だったのだ。しかし家の匂いを新居に持ってくることは出来ない。ならば、と考えたのは彼のいつも纏っていた煙草の香りだった。それから喫煙歴は十四年になる。すっかり自分の匂いとなったその煙草の香りは、やはり彼の物とは少し違う気がした。
 写真の中の彼は、ひたすら厳しく鋭い眸で自分を見ていた。周りから見れば厳しく躾られたように見えるかもしれない。しかし天蓬は、本当に優しく育てられたと思っている。祖父に、祖母に大事にされて、もしかしたら実の父母に育てられた八戒よりもずっと精神的に満ち足りた生活をしていたのかもしれない、と最近思い始めた。彼は淋しくて一人ぼっちで、ずっと自分を捜してくれていたという。自分はといえば、“弟”という存在は過去の痛みでしかなく、無意識の内に頭の中から弾き出して思い出さないようにしていた。ずっと自己憐憫に浸っていただけで、結局自分は大して不幸などではなかったのだ。
「……おい、どうした。天蓬?」
 突然現実に引き戻されて、天蓬は肩を揺らした。そして嗅覚に、祖父とは違う彼の煙草の匂いが訴えてきた。相変わらず親離れが出来ていないらしい自分に笑う。そして心配そうに自分の様子を窺ってくる捲簾に向かって苦笑いをした。
「いえ……ちょっと」
 きまり悪くて歯切れの悪い返事をする天蓬に、彼は痛ましげな顔をした。そしてその大きな手でわしわしと頭を撫でてくる。その真意が分からず天蓬がきょとんとしていると、彼の方がどこかきまり悪そうに頭を掻いた。
「悪い……あんなあてつけがましく言うつもりなかったんだけど」
 そう言ってから彼はもう一度謝った。どうやら、先程の言葉で天蓬が傷付いたと思っているらしい。そんな彼にきょとんとして、そしてその後小さく笑った。そんな風に素直に謝罪が出来る所も、彼の良い所だ。叱られた犬のように頭を垂れた彼の頭を小さく撫でた。そしてちらりと視線を上げた彼に向かって笑いかけた。
「いいんですよ、僕は何ともありませんし……」
「お前が祖父さんのことばっかり話すから、つい」
「おや、やきもちですか」
 空気を和ませるつもりで、ほんの冗談のつもりで言ったその言葉に彼は素直に言葉を詰まらせた。その反応に、天蓬も言葉に詰まる。茶化していいのか見なかったことにすればいいのか分からなかったのだ。そして暫く二人の間には沈黙が流れた。ややあって捲簾は、その沈黙の重さに耐え兼ねたように乱暴に頭を掻き、小さく唸り声を上げた。
「相手が祖父さんだって分かってても、面白くない。……笑えよ」
 ここは笑い飛ばしておいた方がいいのだろうかと一瞬考えたが、今何をしても嘘になりそうで逡巡した後、やめた。そして顔を背けてしまった彼の視界に入り込む。急なことに驚いて一歩退いた彼の腕を掴んで止め、逆の手で彼の頭を軽く撫でた。その驚いた顔がおかしくて、結局少し笑ってしまった。
「馬鹿ですねぇ」
「……は」
 一瞬反応の遅れた彼は、からかわれていると思ったのか、顔を顰めて天蓬の手を払った。しかしそれに向かって意図的に淋しげな目をしてみせると、途端に彼は焦り出す。そんな素直で正直な彼がおかしかった。何にも惑わない男がこうして自分の前でだけうろたえるというのがおかしくて仕方がない。そういう所で、しかも時々しか年下だと実感出来ないという非常に屈辱的な部分でもあるのだが。半ば態とだと気付いているだろうに知らぬ振りをして誤魔化されてくれるのも、一種の包容力だろう。そんな風に年上である自分が大人げなく、いつも彼が譲ってくれているのだと思うと何だか却って憎らしいのだが。
「おじいちゃんの『好き』とは違いますよ。もう嘘は吐きません」
 そう言って、少し拗ねてしまったような顔をする彼の頭を撫でて、啄むように彼の顎の辺りに口付ける。彼がきょとりと目を瞬かせた。久しぶりに覗いた年下らしい顔にほっとして、可愛いじゃないか、と笑った。男らしくてどっしりと構えた男の、余裕のない姿がいとおしい。呆気に取られた様子の捲簾の頬を突付いてから勝手に彼の胸に頭を預けた。この辺りが捲簾に自由奔放だと称される所以だが、彼は気付くことはない。心地いい位置を探るように頭を捲簾の肩の辺りに摺り寄せて、漸く丁度いい場所を見つけて小さく息を吐いた。
 自分の性癖に気付き始めた頃から、祖父に似た長身で体格の良い相手を無意識に選んでいたことを思い出す。そして甘えきれなかった子供時代のやり直しでもしたいのだろうかと、心底その性癖を嫌悪した。しかし彼は祖父に全く似ていない。筋肉はついているようだがそれほどがっしりしているわけでもなく、身長も今の自分から見れば大きくない。温厚でもない。そのことに安堵していた。
 決して似ているから好きなのではない。そして想いの形もまるで違う。温度も。
 背中にするりと彼の手が回される。大きな手に背中を撫でられ、思わず短く息を漏らした。熱くて力強いその手が自分の身体を辿る感触をリアルに思い出してしまい、寒気に似た感覚を味わった。背中を甘い刺激が降りていく。
「……あんまり意地の悪いことは、するな」
「してませんよ」
 謂れのない文句に口を尖らせて捲簾を見上げる。そしてそこにあった照れ臭いような、苦しげな顔に彼を責める言葉を止める。
「お前の言葉に振り回されてばかりいる」
「……そんなこと言われたって」
「そりゃあそうだけどな……」
 彼自身も理解しているのか、恥ずかしげに軽く頭を掻く。きまり悪げなその顔が珍しくてついしげしげと眺めていると、怒ったような顔をした彼に手で目を塞がれた。その手を何とか外して、ずれた眼鏡を掛け直してから再び捲簾を見つめた。困惑の色を浮かべた黒い眸がじっと自分を見下ろしている。
「俺も、相当いかれてるな」
「いいんじゃないですか?」
「いいのか?」
「どうして僕に許可を求めるんです」
「……お前の負担になるんじゃないかと思ってな」
 随分と頼りのないことを言ってくれる。しようのない子供を見るように溜息を吐き、しょげた犬のような彼の頭を一撫でした。
「今まで、相手を負担に思うほど深い人付き合いをしたことがないので。ある意味新鮮ですよ、あなたみたいな人は」
 皆まで言わずとも分かって欲しい、というのは叶え切れないほどの我儘だろうか。出来れば言いたくない、と思いながらじっと捲簾を見上げていると、少し驚いたような目をしていた彼は徐々に表情を緩めてくれた。それに内心安堵して、天蓬は彼に背を向けた。そして胸に抱えていた写真立てを再び棚の上に戻す。後で祖母の写真も並べてあげよう、と写真立ての横にそっとスペースを空けた。
「あなたがいることに慣れちゃって、今更重みなんて感じませんよ」
 穏やかな重みは温かさを伴い、非日常を日常へと変えて馴染んでいった。もう失くしはしない。
「今更いなくなったりしたら、承知しませんからね」
 近所の桜が散り始めた。もうすぐ彼と迎える初めての夏が来る。










このシリーズで予定していた分はこれで終了です。最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。    2007/02/23