理想の上司像とは如何なるものであろうか。
 たとえば酒と女を好物とし、サボリ魔で桜を愛でるのが趣味。素行と口と態度は悪いが、身体能力や戦いに関するセンスは非常に高く、自称「家庭的」で情に厚く男前な上司。それは今や西方軍に欠かすことの出来ない軍大将である。勿論多くの下士官の信頼と尊敬、畏怖、憧憬の念を集めている男である。
 ただ、西方軍の軍人達が自分達の軍をこよなく愛し、その身の全てを捧げているのはそれだけのためではない。
 ズボラで猪突猛進型、変人で常にどこかボケていて、そして激しく軍事オタクなもう一人の上司。本来の出来すぎた嫌いのある頭の良さを隠すようにいつもぼんやりとしていて、野暮ったい眼鏡でその美貌を覆っている軍師だ。列挙したそれらを聞けば誰でも回れ右したくなるようなものだが、誰一人として彼に背反する者がいないことが、彼がその若さで元帥の位をの地位に君臨し、西方軍軍師を拝任している何よりの理由である。
 冷徹なようでいて時折優しさが覗いたり、繊細でか細い容姿に反して非常に男前で豪気な性格をしており、ユーモアもある。基本はクールだが、身内を傷付けられるようなことでもあれば歯止めがきかない程に暴走するところや、思慮深げに見えて基本的にぼうっとしている時は何も考えていないところなど意外に問題点も多い。だが、そんなところも完璧な彼にも抜けた部分があるのだ、ということで愛でられているのが事実だった。
 二人が良い軍人かどうかは置いておいて。古参の者、後に島流しにあった者などで構成された継接ぎだらけの西方軍の小隊は、そんな二人の元で一つに団結していた。

 西方軍はその日青空の下にいた。酷く蒸し暑い日だ。日差しも強い。黙っていても汗の滲む炎天下で、それでも彼等は実に晴れ晴れとした表情をしていた。顔や身体に擦り傷を負い泥まみれになりながらも笑う顔は子どもと変わりない。その集団の中、その暑さで参ることもなく立つ駿馬の上、その佳人は座っていた。横向きに座り、両足をブラブラさせている。
「ああ……久しぶりにスカッとしました」
「へえ、いつもは全然スカッとしてないわけ。百戦百勝の軍師殿が」
「それはあなたでしょう、一騎当千の御大将」
 馬の下から自分を見上げる上官に、その佳人――天蓬は悪戯っぽく笑い、混ぜっ返すようにそう返事をした。その強かで美しい笑みに同行していた下士官たちは思わず見惚れる。元はそこらの仙女を凌ぐような造作をした男なのだ。彼等も一度は“大人しくしていれば美しいのに”と思ったことがある。しかし今になって思えば、大人しく人形のように穏やかに微笑んで座っているだけの彼になど魅力を感じ得ない。今はもう誰も彼に清廉であれ、などとは思わない。血に泥に塗れそれでも真っ直ぐに立つ彼こそが美しいと思うのは、天界人としては無粋かも知れない。
 本日の討伐、軍備への被害も隊員の負傷もこれまでになく少ない。思わず鳥肌が立つほどに見事な采配に身が震えた。いくら彼の計画が素晴らしくても実戦になれば幾らか思う通りに進まない部分が出て当然なのだ。しかし今日は全ての指示が寸分違うことなく伝わり遂行され、被害も想定の範囲内のごく僅かで済んだ。この瞬間のために策略を巡らせ、指示を飛ばす彼にとってはこれ以上ない快感に違いない。その証拠にいつもよりもずっと上機嫌な笑顔で伸びをしている。頬には微かに泥の汚れが付いているが、然程気にする様子も見られない。
 伸びをした後、リラックスした様子で溜息を吐いた天蓬はふわと笑って、各々地面に座りこんでいる十四人の部下たちを見下ろした。
「あなたたちのような部下を持って、誇らしいですよ」
 その静かで、しかし心から滲むものを隠せないような高揚した言葉に、ぼんやりと騎上の人を見上げていた下士官たちは泥まみれの顔を面白いほどに真っ赤にした。誰もがその瞬間、こちらこそ!と叫び出したい欲に駆られていたのは内緒だ。それを微笑みながらじっと眺めていた捲簾は、雛駿にもたれかかるようにして天蓬を見上げた。
「ところで俺みたいな上官は?」
 この中で唯一天蓬の部下ではない男は、憮然とした顔をして雛駿の身体に凭れて天蓬を見上げた。そんな彼を見下ろして目を瞬かせていた天蓬は、少し考えるような仕草を見せた後にっこりと微笑んで人差し指を唇に当てた。
「そうですね、その素行を直したら考え直しましょう」
「……」
 子どものように膨れる捲簾にまず天蓬が噴き出し、部下たちも次々に堪え切れなくなったように笑い始めた。
「てめぇらなぁ……俺がそんなに嫌いか?」
「やだなぁ、みんなあなたのこと大好きですよ」
「お前は」
 つい今まで拗ねた子どものような顔をしていた捲簾が、ころりとそれを悪戯をひらめいた子どものようなものにすり替えたのを見て部下たちは(またか……)と呆れ返った顔をした。事ある毎に自分の副官に対して言葉を求める。それはつまり。
「好きですよ」
 公開ノロケだ。その言葉だけですっかり上機嫌の捲簾をよそに、天蓬は何やらパタパタと上着に風を送り込んでいる。暑いのだろう。そして徐に軍服の前をガバッと開き、袖から腕を抜いた。受け止められることのないその上着は、腕が抜けるのにならってぱさりと地面に落ちた。それを部下とともに呆気にとられて見ていた捲簾だったが、我に返って眉根を寄せる。
「おい、止めろ天蓬。お前焼けると赤く腫れるだろうが」
「や、このままじゃ熱中症になっちゃいます」
 軍服の中にはぴたりと身体にフィットする、首の周りが広く取られたデザインの黒の五分丈のTシャツのみだ。ほっそりした身体のラインがくっきりと出るそれに、その気のある者からない者まで思わず目を奪われる。軍服の中でずれたのだろう、右肩の方にずり落ちたシャツの襟ぐりから、首筋から肩へのラインが曝されている。広く開いた首元からは白く浮き出た鎖骨が惜しげもなく曝されており、こんな健康的な日の下で酷く倒錯的で、思わず目を逸らしてしまいたくなる。逆に月の下などで見たら妖艶で仕方がないだろう。
 下士官たちが、思わずぼうっと見つめてしまう者、正視出来なくてさり気なく目を逸らす者に分かれ始める頃、それを一番よく熟知している捲簾は、勿体ないとばかりに脱ぎ捨てられた天蓬の上着を拾い上げて彼に投げ付けた。しかし彼はそれを受け取るや、今度はぽいっと後方へそれを投げ捨てた。ついでに手袋もさっさと外して同じくぽいぽいと投げ捨てている。
 一度前にもこんなことがあった。そして天界に戻った後、彼の白い肌の至るところが日焼けで痛々しく赤く腫れたのが隊員たちの記憶に残っている。まあ、真っ黒に日焼けしなくてよかった、というのも全員の本音ではある。たとえば捲簾などであれば、炎天下で一日過ごせばその日の夜には特に赤くなることもなくそのまま顔や腕が真っ黒に日焼けしてしまうのだ。しかし赤くなった彼の肌の炎症は数日ほどで鎮静して、元の肌に戻ったのだった。
「着ろっつの」
「や」
「コラ」
「いーやーでーすー」
 駄々を捏ねる子どものようになってしまった天蓬ほどあしらい難いものはない。プラプラと両足を揺らしながら伸びをする天蓬に捲簾は溜め息を吐いた。それをよそに天蓬は雛駿の鬣を撫でたりしながら微笑んでいる。機嫌は悪くないらしい。
「……水浴びしたいですね、雛駿」
 いち早くその声の質に反応したのは捲簾だった。そのおっとりとした口調にはこれまで幾度となく騙されてきているのだから間違いない。その一拍後、天蓬の言葉にゆっくりと顔を上げた雛駿に、天蓬はにっこりと微笑みかけた。そして期待に満ち満ちた眸を捲簾に向ける。すっかりおねだりの目に変わっている。どうせならもっと別な時にそういう顔をして欲しいものだ。そんな、もし知られたら彼の上機嫌を一掃してしまいそうなことを思いながら、恐る恐る問い返した。
「……何て」
「水浴びしたいです」
 予想通りの突飛なお願いに、捲簾を始め他の部下たちもぽかんとした。相変わらずのよく分からない思考回路に首を捻る。とりあえず面倒にしたくない捲簾は、へらりと笑って話の矛先をさりげなく捻じ曲げようとした。しかしそれも綺麗な笑顔であっさり食い止められる。
「上に戻ってから、風呂で……」
「もっと広々とした青空の下がいいです」
「……探せ、と」
「ちょちょいのちょいで」
「出来るかっ!」
「出来ないですか」
「出来ません」
「川か湖がいいです。あ、水が綺麗なところが」
「全く俺の話を聞いてないな」
 楽しみですねーとにこにこと雛駿の頭を撫でている天蓬は、捲簾が断るという可能性を頭から弾き出してしまっているらしい。それもそうだ、そこまで言われては捲簾に断るという選択肢などないのだから。


***


「ぷあっ」
 透明な水面からザバッと音を立てて黒いものが現れる。現れたのは黒い髪で、その首が振られる度に水飛沫が飛び、太陽の下でキラキラと輝いている。その髪の主、天蓬は川の水で濡れた頭をぷるぷると犬のように振りながら、ごしごしと顔を擦っている。深いところは彼の胸元ほどまであるらしい。
「天蓬、流されんなよー」
「平気ですよ」
 笑いながら声をかけると、天蓬は馬鹿にしないで下さい、と膨れて鼻の下まで水に浸かり、水をぶくぶくさせている。どこまで子どもみたいなことをするのか、と笑いながら、捲簾は川べりで水浴びをする部下たちを眺めていた。捲簾は数日前の出陣の際の傷が治り切っていないので、残念ながら入ることが出来ない。天蓬はその辺を了承済みで、一人深い方へとすいすい泳いでいってしまっていたのだ。向こうの浅瀬では、他の部下たちが雛駿や瑯の身体の汚れを落としてやっている。近くの木々にはロープが渡され、幾人分かの濡れた上着やシャツが引っ掛けられている。天蓬の上着もそれに紛れていた。手を滑らせて川に落としてしまったためにずぶ濡れである。
 へろへろと笑う天蓬が水から上がってこようとするのを見て、捲簾はタオルを片手に川べりの砂利から立ち上がった。天蓬はブーツを脱いだだけで、ほぼ先程の服装のまま水に浸かっていた。普通の者なら服が水を吸って重くなりあっという間に土左衛門である。主に陸上での戦闘をメインにする天界軍だが、時々ある例外のために士官学校で受けることになっている海軍研修の賜物である。
 ぐっしょりと濡れた彼の軍服ズボンは重そうで、きつく締め上げられたベルトで何とかずり落ちずにいる状態だ。それより、濡れたTシャツがぴたりと身体に張り付いて魅惑的な身体のラインが惜しげもなく曝されているのが問題である。何だか半裸でいるよりも却っていやらしい気がするのは、恋人の欲目ではない。
 ひたり、と砂利の上に彼の白い足が降りた。じわりとその辺一帯に水が流れる。ぷるぷると濡れ髪を振る天蓬にタオルを手渡しつつ、額や頬に張り付いた黒髪を整えてやった。
「脱がねえの、上」
「脱げないんですよ」
「乳首見えちゃって恥ずかしいから?」
 うっかりいつもの調子で言ってしまって、思いっきりアッパーを喰らう。喧嘩にかけては百戦錬磨のはずが、何故かたまに天蓬には手も足も出ない時があったりするのである。
「あのねえ、あなたが調子に乗って跡付けまくったせいなんですよ。少しはしおらしくしませんか」
「あ、それか」
 見えないアッパーに襲われた顎を押さえつつ、軽い調子で返す捲簾に天蓬は目を眇めた。そして少し怒ったように唇を曲げた。
「それか、じゃないですよ。気付かないと思ってたんでしょう、僕から死角になるところにばっかりちゅーちゅーって、赤ん坊ですかあなた」
「何で気付いた」
 キスマークは彼から見えないような箇所にしか付けていない。たとえ鏡で見たとしても見づらいような箇所に。ひょっとして誰かの前で脱いだりしたのか、と勘繰りそうになると、天蓬は呆れたような顔をして捲簾を見上げた。
「今日着替えの時に永繕に見られましたよ」
 教育的指導、と天蓬は拳をこつんと捲簾の額にぶつけた。
「キスマーク付けることの何が楽しいんだか……獲物を仕留めた達成感みたいなものなんですか」
 呆れたような諦めたような顔をした天蓬は、Tシャツの上からタオルで身体を拭いている。濡れた布が身体に張り付く感触が気持ち悪いようで、時折顔を顰めては肌から服を剥がしている。
「おいおい心外だな」
「それ以外に何が」
 心外ってなんですか、と唇を尖らせる天蓬に顔を寄せて、捲簾はにやりと笑った。至近距離から見つめる天蓬の鳶色の瞳に自分の顔が映る。こうして、彼の目に自分だけが映る瞬間が酷く心地好い。
「宣戦布告だよ」
「は……」
 思わず身体を拭く手を止めて目を点にする天蓬に、捲簾はしてやったりというような顔をして彼の額を指で突付いた。
「もしお前が俺のいないところで、誰かがいる前で脱いだ時のためのな」
「それって、牽制って言いませんか」
「あーそれそれ」
「それって、持ち物に名前を書くのと同じようなレベルじゃないですか」
「あ、そういえばそうだな。お前も書くか」
 俺の身体に、とニヤリと笑う捲簾に、天蓬は呆れた顔をして肩を竦めた。怪訝な顔をする彼は内心小馬鹿にしているのだろう。しかし中には折角捲簾が書いた名前を塗りつぶして上書きし、自分のものにしてしまおうとするような不埒な輩がいないとも限らない。捲簾は水面下で苦労しているのだ。
「結構です、いつどこに行ってしまうか分からない荷物に名前なんて書けませんよ」
 ヘラヘラと笑いながらそんなことを言う捲簾に、天蓬はそう言いタオルを顔に投げ付けた。水分を拭くのは諦めたらしい。今度は捲簾に背を向けて川の方を向き、濡れてへばり付くTシャツを懸命に脱ぎ始めた。がばりと豪快に白い肌が露わになる。その白くてほっそりした背中の所々に浮かぶのは間違うことなく自分のつけたいくつもの情事の痕。これだけあれば中に自分以外の男が付けたものが混じったとしても気付かないかも知れない……。
「ちょっ、おい!」
 妙な思考に陥りそうになりながらも慌てて天蓬の背中に声を掛けた。脱がないのかと訊いたのは自分だが、ここまで豪快に脱がれると心配にもなる。向こうの方で馬たちを洗っていた部下たちも次々にそれに気付き、食い入るように見つめ始めた。何せ皆軍人なだけあり目がいい。
「おい、脱がないっつったのお前だろうが!」
 そう声を荒げると、脱いだTシャツを広げて伸ばしていた天蓬は、それを木と木に結ばれたロープに投げるようにして引っ掛けた。
「跡は背中だけですし、川の方向いてれば平気でしょう。どうせ薄手のTシャツですしすぐに乾きますよ」
 深い考えもなしにそんなことを言って笑う彼に、思わず脱力しながらも捲簾はそのまま自分の上着のホックを外した。それに天蓬は目を瞠る。
「あなたこそそれ脱いだら半裸でしょうに」
 上半身が裸といっても天蓬のように濡れているわけでもないし、日差しも暑いくらいなので平気そうだ。それより彼の素肌を日や部下たちの目に曝す方が問題だ。白く滑らかだが、それでも軍人らしく引き攣れたような傷痕が肩や背中に見られる。天界という死のない世界で過ごす長い時間でも癒えない痕だ。そしてその傷や背筋をなぞるように流れていく水滴が艶めかしい。それに背中を見えないようにしたところで前の、川の水の冷たさのせいかツンとした桜色の乳首やら線の細い腰が丸見えなら意味がない。下半身を隠せばいいというものではないのだ。
「俺はいいの。肉体美だから」
「貧相な身体で悪かったですね」
 身体に対する僅かばかりのプライドが傷付いたのか、天蓬は眉根を寄せて目を眇めた。それに少し言い方が悪かったかな、と苦笑しながら、捲簾は脱いだ上着を天蓬の肩から掛ける。向こうから見ていた部下たちが、ほっとしたような少し口惜しそうな顔をするのが小気味いい。それを横目に見つつ、きょとんと目を瞬かせる天蓬の濡れた髪をぐりぐりと撫でた。
「風邪引いて熱出すぞ」
「そこまで脆弱じゃありません」
「知れてらぁ。まぁ、気分よ、気分」
「何ですかそれ」
「お前があんまり無鉄砲で無自覚だから、俺がしっかりしてないとって思うわけよ」
 そう言うと、肩からずり下がりそうな上着をそれでも引き上げながら、天蓬はゆっくりと目を瞬かせた。
「以前、あなたに兄弟少ないでしょうって言ったけど、取り消します」
「あ?」
「長兄でしょう」
 そんなことを真顔で言う天蓬に、捲簾もまた目を瞬かせてその妙に真剣な目を見下ろす。
「それはどういう」
「その過ぎた世話焼き根性」
「これは元帥限定ですけど」
「その何げに人を上から見下ろす視線」
「身長の問題だろうが」
「ほんの一寸くらいの差でしょうが!」
「突っ込むところちがくね?」
 相変わらず前後の脈絡のない会話に溜息を吐き、ぷりぷり怒っている彼の髪を撫で回して最後にポンポン、と叩いた。それでまたチビ扱いしやがって、と天蓬に怒られる羽目になった。


***


 次第に水遊びに変わっていく部下たちの様子を木陰から眺めながらぼうっとしていると、隣にいた天蓬は徐にころりと芝に転がった。
「……眠いのか」
「いえ……気持ち良いなあと思って」
「何だそりゃ」
 そんな風に間の抜けた声で言いながらころんと芝に転がる姿は日向ぼっこする猫の風情だ。肩から掛けた捲簾の上着がずり落ちそうなのを見て、手を伸ばしてそれを直す。そしてあっちこっちに流れる湿った黒髪を梳いてやった。
「雲が、おいしそうです」
「は? 腹減ってんのか」
「ソフト、クリーム……」
 寝惚けているのだろうか。まともに返事をしても無駄だろう、とその髪を撫でながら何も言わずにいた。遠くから時折、部下たちの歓声や水に何かが落ちる音がする。風が吹く毎にさわり、と揺れる青葉を見上げて、少しだけ欠伸をした。
「……何、急に」
「や、特には」
 考えてません、とそう言う天蓬に思わず閉口する。そうだ、こういう奴だった。そう肩を落としていると、天蓬は不思議そうに下から顔を見上げてくる。何か企むようにきらめいたり物騒な色を浮かべる時すらあるのに、時々こんな風に何も知らない子どものような目をすることがある。それこそ、このまま見捨ててしまったら途方に暮れてしまうのではないかというような。
「どうした」
 それを見ていると何だか妙に穏やかな気分になって、笑いながらその顔を覗き込む。天蓬は、少し戸惑ったように眸を揺らすだけ。どうしたものかと捲簾が首を傾げるが、彼の視線は相変わらず揺れたまま。
「もしかして目開けたまま寝るつもりじゃねえだろうな」
「そんなことしたら目が乾いちゃいます」
「たまにやってるじゃん。会議の時」
 御前会議にて、西方軍の代表として左から敖潤、天蓬、捲簾と並んで出席する時のこと。二人の背の高い男に挟まれ、一層際立つ美貌を曝しながら少し物憂げな様子でその濡れた眸を揺らすのだ。そんな思わず手を差し伸べたくなるような儚げな様子に、反対側の席に腰掛けている東方軍の大将やその部下たちの視線が釘付けにされているのに気付いて眉を跳ね上げる。見れば天蓬を挟んで又隣の敖潤もその能面のような顔を少しだけ面白くなさそうにして目を据わらせている。捲簾はそのまま天蓬の腕を掴んで退席してしまいたい気分だったが、立場と体裁もあってか敖潤はあからさまに気分の悪さを顔に表すことすら躊躇うタイプらしかった。結局、その異常なまでに凄艶な姿を曝し続けて会議が終わるまで数時間。他軍の者にとっては目の保養、そして捲簾と敖潤にとっては拷問のような数時間だった。ある意味、そんな姿を見せられ続けてじっと数時間座り続けていなければならない他軍の者にとっても拷問のようなものかもしれなかったが。
 いや、とりあえず問題は、その妙に色っぽい姿が実は居眠りをしている姿だということだ。無論、目を開けたまま。
「だって、誰も怒らないじゃないですか」
「……」
 捲簾は、ごろりと横になって頭の後ろで手を組んだ。隣で丸くなって寝ていた天蓬はそれに目を瞬かせる。そして悪戯っぽく微笑んで、もそもそと起き上がり始めた。そして膝で歩きながら捲簾の頭の上の方に這っていき、ひょこりと急に捲簾の視界に顔を現した。
「ぉわッ! ……何やってるんだお前は」
 にこにことどこか嬉しそうに彼は捲簾を見下ろしてきた。彼の濡れた髪がさらりと簾のように流れ、捲簾の頬を擽る。少し冷たい。今彼と自分との距離は彼の髪の毛の分しかないのだ、と思うと、ここが下界で、昼で、しかも部下たちの前だということなど忘れた振りでその唇を貪ってしまいたくなる。そんなことをして死期を近めたくはないが。
「そういえば、前にもこんなことがあったような」
「え?」
「ほら、俺が西方軍に来たての頃、小隊二つに分けて手合わせしただろ。その最後」
「……あー、あなたまだそのこと根に持ってるんですね。いい加減しつこいですよ」
 捲簾を見下ろすその顔が少し不快そうに歪む。それは、捲簾が西方軍に流されてから少し経ち、軍に馴染み始めた頃のことだ。天蓬の束ねる一個小隊を籤で二つのチームに分けて、それぞれの采配を捲簾と天蓬が振るという小さな実戦演習を行ったのだ。どちらか一方のトップが落ちれば終わりの、ほぼ実戦に近い刀と麻酔銃の代わりのペイント銃を使った、ある意味遊び。しかし子どもの遊びというのは、つまり本気なのだ。
 何も考えていないようで一つ二つ先まで見越して戦局を見通す、天性のセンスが際立つ捲簾。生来の類稀なる頭脳を持ち、腕力の面で少々捲簾に劣るところもあるが、それは頭脳と瞬発力で補って余りある天蓬。そんな二人の、初の手合わせだった。
 その演習も終盤に入り、結果的に捲簾は気配もなく木の上から飛び降りてきた天蓬に肩を蹴って倒され、胸の上に圧し掛かり跨るようにされて喉元に刀の切先を真っ直ぐに突きつけられた。捲簾とてそれで大人しく殺られてしまうわけではなく、その一瞬にも満たない時間の咄嗟の判断で、手にしていた銃を持ち上げて天蓬の額に突きつけた。それはほぼ同じタイミングあったと言っていい。しかし結果は捲簾の負けだった。そのペイント銃は、天蓬が襲撃してくる数秒前に弾を使い切り、まさしく弾を入れ替えようとした瞬間だった。つまり、天蓬の額に突き付けられた銃のマガジンは、空だったのである。

「あれは、あの頃だから出来た戦術ですよ。今のあなたにだったら、木の上に潜んでいる内にばれてしまう」
「たりめえだ。あん時も何であんな近距離にいながら気付かなかったのかって、悩んだし」
 こういうものは、勝った方は覚えていなくても負けた方はしぶとく覚えているものなのだ。少し意外そうに目を見開いた天蓬に、捲簾は僅かに苦々しげな顔をして肩を竦めた。
「そうなんですか?」
「そ。酷く傷付いたよ、プライドが」
「気配を消すのは得意なんです」
「限度があんだろ」
 そう言うと、天蓬は少し嬉しそうに笑い、そして少し自慢げに鼻を鳴らした。それからやっと顔の上から退いた天蓬に、捲簾はゆっくり上体を起こして彼を見た。
「だって、新入りに負けて部下に舐められるわけにいきませんでしたしね」
「……あのなぁ」
「あの後、あなたがどうしてそんなに躍起になってるのかと思ってたら、結構負けを気にしてたんですね」
 そう、その一度の勝ちの後、捲簾に何度か手合いを乞われ、天蓬は二度立て続けに負けた。練習だというのに、捲簾が彼らしからぬほどかなり本気で斬りかかって来たからだ。そんな彼に驚きつつもあの頃は何か僕が悪いことでもしたんでしょうか、などとぼんやり考えていたのだが、そういうわけだったのだ。
「あの後、力だけが自慢のはずの捲簾が流された西方軍で上官にこてんぱんにされたって噂にされたからな」
 その時の東方軍の上官の嬉しそうな顔を思い出すと今でも腹の底から何かが煮えたぎってくるようだった。同時にへろへろした笑顔を見せる、自分を負かした現上官の顔を思い出し、闘志がふつふつと湧いたのも覚えている。そんな捲簾を不思議そうに見ていた天蓬は、すぐに興味をなくしたように木に寄り掛かって目を伏せた。そしてその大きな眸を何度かぱちくりと瞬かせる。
「いいじゃなありませんか。過去のことですし」
「簡単に言うねえ」
「東方軍に帰りたいなら手回ししてあげてもいいんですけど、部下たちが許さないでしょうね……」
「は?」
「帰りたくなったんじゃないんですか」
 そんな冗談なのか本気なのかはかりかねるようなことを言う副官に、捲簾は芝の上に寝転んだまま脱力した。
「誰が帰るかバーカ」
「何ですかそれ」
「さあな。……ていうか、お前は俺がいなくなっても平気なわけだ。ほー」
 手回ししてあげてもいいって、何だそりゃ、と捲簾がひとりごちていると、木の幹に頭を預けていた天蓬はゆっくりと顔を上げて首を傾げた。そして少しだけ笑う。
「まあ、実際そんなことになったら僕が部下たちに怒られちゃいますからね。怖いんで止めときます」
 ストライキ起こされたら嫌ですし、と呟いて、彼は視線を川の中の部下たちに向けた。それは穏やかなもので、寝転がっていた捲簾は思わずそれに下から見入ってしまった。彼は殆ど上官ぶったところもないし権威を鼻に掛けたところもない。しかし捲簾ほど部下たちと近い距離で接するわけではなかった。それは勿論本を読んでほぼ部屋に篭りきりなせいなのだが。それでも、本当は捲簾以上に部下を思っていることも知っている。それは過去の痛手のせいでもあって、今も命日には花を抱えてふらふらとどこかに消える後ろ姿を見ることがある。
 臆病。あまりにも彼に似つかわしくなくて、しかし今の彼を表すのに最も的確な言葉だった。

「お前って、奴等のこと好きだよな」
「ええ」
「俺は」
「好きですよ」
「何か軽くないか」
「軽い気持ちで好きなんて言いませんよ。僕、基本的に素直で不器用なので」
「あ?」
「リップサービスでも好き、なんて言えません」
 へら、と笑ってそんなことを言う。ああ、それは事実なのだろう、と無意識に思った。世渡りがとても巧そうに見えて、本当はとても不器用に生きている。逆に生き辛そうに生きているように見える捲簾の方が、実際ずっと器用に生きている。今はこんな風に力を抜いて欠伸をしたりしているけれど、いつもは肩肘を張ってばかりで、常に警戒心を身体中に巡らせている手負いの獣のような男。
 捲簾が来る前まで、汚れた仕事を全て自分で担っていたのはそんな彼のエゴだ。

「たとえば、本はなくしてしまっても、また買えますよね。もし希少な本だとしても、一度読めば頭に残ります。だけど人は記憶の中で生きることはないんです」
 それが誰を指すのかに思い至って、捲簾はゆっくりと目を伏せた。顔も声も知らない過去の天蓬の部下。どんな死に際だったのか、原因は何だったのか分からない。それでもそれによって天蓬が、心の奥の本人も気付かないような箇所に大きな傷を負ったのは確か。
 さわり、と風が吹いて大木の青葉を揺らして去っていく。
「あなたが先に死んだらそのまま亡骸放置しますからね」
「何その地味な嫌がらせ。……に、しても、あれよ」
「はい」
 あれあれ、と記憶力の落ちた中年のようなことを呟いている捲簾に、天蓬は訝しげな顔をした。
「俺はお前より先に死なねえし」
「……この中の誰かが死ぬのを見たくないのは事実ですけど、一番に死ぬのも癪ですね」
 そう言って笑って、天蓬は徐に立ち上がった。そして顔を背けるようにしながら、捲簾の目の前を横切って服を干してある木の前まで歩いていく。すっかり乾いた様子のTシャツをもそもそと着込み始める後ろ姿を下からじっと見つめた。今彼がどんな顔をしているのか妙に気になった。
 まだ少し湿っている様子の上着を引っ張り出して、何度か振って伸ばし、肩に掛けた彼は、そのまま捲簾に背を向けた。そして背を向けたまま彼は静かに口を開く。
「―――――あなたが無茶をやらかす度、彼の顔が浮かびます」
「……ふうん、ンないい男だったわけ」
「ええ」
 存外素直に返された言葉に、捲簾は微かに眉を顰める。きっと薄く笑みを浮かべているであろう彼の表情を想像して胸焼けがするようだった。何で、どうして笑ったりするのだろう。ちっとも愉快なんかじゃないくせに。
「あなたたちはたとえ自分の命であっても勝手に落とすことは許されません」
 静かだがそれでも重い声が胸の奥に降りてくる。
 軍服に包まれた背中は然程大きくない。雄々しいとも言い難い。それでもそれが、戦場で唯一、自分たちの進む道を示すものだった。
「もう、誰が死んだって泣いてあげるだけの涙は残ってないですから」
 昔の天蓬がどんな風だったかなんて知らない。ただ、今よりも心が柔らかくて弱かったのだろうか。泣いたのだろうか、この強い存在が。いや、強い強いと言ったとてそれは彼の表面で、奥に奥に、まだまだ違う顔がある。失う怖さに、思わず自分が疵付くことを咄嗟に選んでしまうのは、強さではなく確かな弱さだ。

 川の中から次第に下士官たちが上がって来始めている。ゆっくりとその大きな身体を振るいながら、二頭の馬も川から上がってくる。雛駿は、様子のおかしい主人をその目に映して、ゆっくりとこちらに向かって歩を進めてきた。砂利を踏み締めながら一歩ずつ近づいてくるそれに、天蓬が顔を上げた。皆の表情が少し暗いのはきっと自分たちの会話を聞いてしまったからだ。全く素直な奴等である。
「そろそろ、帰りましょうか」
 雛駿の鬣を撫でて天蓬がぽつりと呟く。ずぶ濡れのまま、どう対応していいのか分からないというように困ったような顔をした下士官たちは、曖昧に返事をして各々の服を身につけ始めた。雰囲気が重い。捲簾はそんな雰囲気の中、一人呑気に欠伸をして伸びをした。
(あーあー盛り下がっちゃって)
 トップに立つ者のモチベーションはそのまま下の者の士気へと繋がる。だから戦場で状勢がいくら悪かろうとも簡単に顔や態度に出してはならない。これは宜しい傾向とは言い難い。彼は普段へにゃへにゃと笑っているか能面のような面をしているかどちらかだ。滅多に見ない沈痛な面持ちの上官にみんな混乱を隠せないのだ。らしくない。
 そんな沈み込んだ部下たちを眺めながら、のんびりと捲簾は立ち上がった。そして服に付いた土や草をほろいながら、欠伸をして天蓬に近付いた。さくさくと芝を踏み分ける感触と音が心地いい。珍しく捲簾が近付く気配に気付く様子もない彼は、背を向けたままどこかぽつんと立ち尽くしていた。その背中を悪戯に指先で突付く。
「わ、何ですか!」
「あれ、聴いてなかった? 今夜は元帥持ちで宴会って話をしてたんだけど」
「聞いてませんよ!」
 そんな前後の繋がりの見えない会話に、思わず部下たちは目を瞬かせる。そんな話は全くしていない。それに、いつもならにべもない返事をするであろう天蓬も珍しく話が見えないらしく混乱した目を捲簾に向けている。
「ほれ、本日の完全勝利のお祝いにさ」
「そういうのは普通あなた持ちじゃないですか!」
「話聞いてないお前が悪い」
「……っ」
 いつも舌先三寸で捲簾をあしらう天蓬が言い争いで形勢が逆転されているという状態に全員が驚きを隠せないでいる中、言葉に詰まる天蓬をよそに、捲簾はちらりと視線を呆然と立ち尽くしている部下たちに向けた。そして何故かにやりと笑う。それはこれから悪戯を実行に移そうとするガキ大将のようで。それで何となく全員が理解した。伊達にこの隊に属してはいない。悪戯の片棒を担がされることだってなくはないのである。
 言い包められたことが面白くないのか、これから襲い来る出費が痛いのか、どこか渋い顔をしている天蓬の肩に手を回した。拳を握る天蓬からするりと逃げた捲簾は、川縁に立っていた瑯の背に飛び乗った。
「よし、帰るぞー」
「ぜーったい僕は払いませんからね! 竜王にお願いしてあなたのお給料から引いていただきます!」
 彼に不可能はない。特に竜王なんて天蓬に掛かればころん、だ。
「ゲッ、ちょ、待て、それは……」
「もう決まったんでしょ。皆さん、今晩は優しい御大が奢って下さるそうですから」
「待て――――!」
 焦って制止しようとする捲簾には次々に「御馳走様です」と声が掛かり、元から親分気質の彼はすぐに引っ込みがつかなくなったようだった。唸りながらガリガリと頭を掻いた捲簾は大きく肩を落とした。
「……おお、感謝しろよおめーら!」
 自棄になったように言う彼に部下たちが笑っていると、騎上から視線をぐるりと巡らせていた捲簾の視線が、急に酷く優しくなったのに皆気が付いた。何だろう、と何気なく視線をずらす。するとすぐに理由は分かった。天蓬が僅かに微笑んでいたからだ。
 瑯の歩を進めた捲簾は、天蓬の脇につけて彼を見下ろす。きょとん、と天蓬はそれを見上げている。そんな様子に気をよくしたように、捲簾は瑯に跨ったまま両腕を伸ばし……天蓬の両腋を捕らえた。突然のことに抵抗も忘れた天蓬はひたすら瞬きをして、部下たちも収拾のつかないその状態に呆然する。幾ら天蓬が細いとはいえ、身長がそれなりにある大の男一人をこうも軽々と持ち上げるのは流石の腕力だ。そして、馬の上に座らされる段になってやっと我に返った天蓬は、抱え上げられた今の状態に顔を引き攣らせた。
「……ちょ、ちょちょっと! 何をしてるんですかあなたはっ」
「何って、凱旋の準備」
「そんなの一人でして下さい、僕には雛駿が」
「おーい、誰か雛駿連れて来いよ。宴会部長は先に帰って準備してまーす」
 そう後方の部下に言う捲簾は、天蓬を荷物のように自分の後ろに座らせた。そして彼が安全を確保する間もなく瑯の脇腹を蹴る。
「わ!? ちょっ、ていうか何で宴会部長に僕まで含まれてるんですか!」
「じゃお前らあとよろしく、また上でな」
 そんな言葉を残して、二人を乗せた瑯は疾風のように駆けて行き、吹き抜けた強く大きな旋風に皆が瞬き一つする間に、その姿は全く見えなくなってしまっていた。強く吹いた風に、舞い散る青葉が視界を過ぎった。


***


 しん、と静まった川縁に取り残された十四人は、しばし今まで彼等の上官たちのいた場所を呆然と眺めていた。そして誰からともなく溜息が漏れた。それは疲労からのものだったのか、安堵からのものだったのかは、その当人しか知らない。そしてそこにいる全員が当人であった。芝の上に落ちた上着を拾い上げながら、一人が言葉を漏らす。付いた土埃をほろおうと叩いてみると、その濡れていたはずの上着はすっかり乾いてしまっていた。
「本当に嵐みたいな人たちだな」
「同感」
 次々と力の抜けたような笑い声が漏れる。それは上官に対するものとは思えないくらいフランクなものだ。
「退屈しないのは確かだけどな」
 あの二人の元にいて平穏で退屈な日常など訪れようがない。むしろ非日常が日常化している。それが普通になっていた。捲簾が西方軍に流されてきた頃から何かが変わり始めて、そんな日常が始まった。しかし、それが長く続かないような予感が、いつからか全員の心の片隅に居座るようになっていた。
 何も変わるはずのない天界だというのに、これから何が変わってしまうのだろう。
 水の流れる音と風に流される青葉の音しかないその空間で、雛駿が少しだけ身動ぎした。馬具がかちゃりと金属音を立てる。
 痛いことも汚いことも何もかも一人で背負い込んでしまう人だった。とても立ってなどいられないような傷を隠し持って、それでも痛みなどおくびにも出さない人だった。そんな彼を見ていることしか出来なくて、どうこうする術を持たなかったのが昔の自分たち。それをいとも容易く打ち砕いたのが捲簾だった。強い強いとばかり思っていた彼の秘めたものをあっさりと引っ張り出したのも。
 まさかあの人が、何かを失うことを怖く思っているなんて誰も分かりはしなかったのに。

 適当で大雑把で、そしてとてもとても思い遣りに満ちた男と、豪快で男前で、けれど何かを失うことにとてもとても臆病な男。その二人に付き従うことを間違いじゃないと、胸を張って誇れるこの時(いま)が幸せで、しかしそれは妙な焦燥感を伴った。
 各々の上着を紐から下ろして腕を通す。

 こんな退屈で単調で、“終わりのない”毎日が、続いて欲しいと思ったのなんて初めてだった。臆病が感染しただろうか。
 空を仰いだ目に太陽が痛い。














レミオロメン「スタンドバイミー」         2006/6/7