「捲簾大将、許可を」
 目の前の男は、巻き起こる爆風にその長い髪を靡かせながら言った。まるで事もなげに。ふむ、と捲簾は視線を遠くに送る。なるほど彼の言うことも分からなくはない。長期戦に縺れ込んだせいもあり、こちらもあちらも少し疲れが出始めている。ましてやあちらは人外の者だ。体力だってこちらよりずっとある。こちらの攻撃が止む間に体力を回復されてしまえば終わりだ。そこでこの男は一人であちらの懐に忍び込んで内側から叩こうという戦略らしい。有能な我が右腕。その能力も人柄も信頼出来る。彼にならば背をも預けられるだろう。
 口元を歪めて、捲簾は顎を指先でなぞった。長期戦のせいか、微かに無精髭が指先に当たる。彼はといえば、表情をぴくりとも変えずにひたと自分を見据えている。綺麗な目だ。堪らないな、と思う。特にこんな、戦火と血に塗れた場所で見る、彼の目は。
「悪くはない」
「では」
「俺はお前の上官だな」
「はい」
「それだけなら、すぐにでも命令を下すところだ。死にに行けとな」
「それで構わないのです」
「だが、捲簾と言う一人の男がそれを邪魔する」
 彼は呆気に取られた顔をして、少しだけ頬を緩ませた。戦場に相応しくない、美しい笑顔だった。
 これは有能と美貌を兼ね備えた“人形”だ。戦をするためだけの。自己の死をも厭わない“人形”だ。さあ面白くないではないか。もう少し生に執着してみせろと思う。その声で、命を乞うてみろ。その白い手でこの世に縋り付いてみろ。
「悪い男ですね」
「ああ、この状況を打開する最善策だというのに、それのために自分の大事なものを犠牲にしたくないと言う」
 そんなことを言っている間にも二人の周りでは大地が削られ火が上がり、幾多もの生が失われ空に赤の飛沫が舞う。何と呑気な話だ。今にも部下が犠牲になってしまいそうな中だというのに。
「今お前が死ぬなら、最期にもう一度身体中キスしておくべきだったな」
「今でも構わないですよ」
「生憎だがギャラリーに燃えるタチじゃあない。お前の厭らしい顔を獣達に見せるのも惜しいしな」
「本当に我儘な人ですね」
「嫌か」
 そんな俺は、と質してみる。彼は二度、その長く密度の濃い睫毛を上下させた後、視線を少しだけ落として微笑んだ。
「全てを犠牲にしてまで、こんな僕を守ろうとするあなたは、嫌いですよ」
 彼はそう言って目を上げた。言いたいことは分かる。こんな――守る価値のないような――僕を、と言いたいのだ。
 何を馬鹿なことを。こちらが殺せないのをいいことに襲い来る獣達を薙ぎ払いながらいつも思うのだ。何でこんなものたちのために彼を犠牲にする必要があるのか。
 ただ彼は、戦場で闘うこと以外に存在意義を見出せない男だ。彼から存在する意味(と彼が思いこんでいるもの)を奪い去ってしまうのはあまりに無情。
「……ならば嫌われないようにしなければなるまいな」
「ええ」
「―――――進撃を、天蓬元帥。“死にに行け”」
 出来る限りの平坦な声と冷酷な顔を。それにも関わらず、彼は怯むどころか僅かに微笑みすら浮かべてみせた。
「捲簾大将」
「何だ」
「惚れ直しました」
 その言葉に捲簾の目がゆっくりと見開かれるのを見ながら、彼は手際よくその長い黒髪を束ねた。そして地面に突き立てられていた長刀を片腕で抜き腰の鞘に収めた。そして捲簾に視線を向けることもなく、敵陣へ真っ直ぐと目を向けて風のように走り去って行く。黒い軍服の裾が翻る。
 あの多勢に向かって刀一本で立ち向かうなど、丸腰同然だ。とんだ向こう見ずな行動をしてくれる。しかしそれを勝利へと捻じ曲げてしまえるだけの力が彼にはあった。白い肌に血が映える様を想像するだけで身震いがする。それが恐怖なのか興奮なのか自分でも量りかねた。どうでもいい。美しいものは嫌いではない。それ以上の理由など要るだろうか。
 同じく、地面に突き刺した刀を抜く。正直、彼と違って剣術はそれほど得意ではない。ただ、勝利の瞬間はこの剣でのみ得られる。その剣を光に翳すと、その刃に自分の顔が映って見えた。
「俺も負けてはいられないな」
 視線を移せば、敵の陣営へと一人果敢に立ち向かう彼の小さな背中。何と皮肉なことだろう。攻撃を受けながら彼が、うっすらと微笑を浮かべているような気さえした。死んではならない死んではならない死んではならない。この地が平和になろうとも彼がいなくなるのならそれは自分にとっての平和になどなり得ない。捲簾は顔を上げて、刀を鞘に収めた。心臓が手の平にもあるようだ。ぎゅっと握り締めた手の平がドクンドクンと脈打つ。喉元からせり上がりそうな鼓動を感じた。

「……誰か地図を!形勢を立て直す!」





(ああ本当は死に行く彼の姿すら自分のものにしたいと願っているなんて)









依存し合うふたり。         title by ロメア * 2006/6/26