「ねーえ、はっかい」
「何ですか? 天蓬」
 天蓬が箸で大皿の端のほうれん草を突付くのを窘めながら、食卓の向かい側に座っている少年はにこにこと笑って小首を傾げた。可愛い可愛い天蓬の一人きりの肉親、弟の八戒である。父譲りの、天蓬よりも少しだけ濃い緑をした双眸が優しく細められる。自分とそっくりな容姿なのにどうしてこうも違うのかと、度々考え込んでしまうほどだった。
 あれから、送っていこうとする捲簾の申し出を遠慮して、ふらふらと一人歩いて帰ってきた。途中本屋に寄ったり、スーパーに寄ったりして物を買ったようだが、ほぼ記憶がない。気付いた時には家の玄関で、スーパーの袋と本屋の紙袋を両手にぽつんと立っていたのだった。それから現実から逃げるようにソファに身体を埋めていた。弟が帰って来るまでに夕飯の準備をと思っていたのに、結局日が暮れて帰ってきた弟に揺り起こされて目が覚めた。それから夕飯担当の八戒が腕を振るうのをぼうっとリビングから眺めつつ、買ってきた小説を捲った。文字の羅列だということが分かる。“あ”と書いてあって、“a”と発音するのだと分かる。だけどその文字が連なってどういった意味を持つのか、意味が全く頭に入ってこない。結局天蓬はその小説を閉じ、ソファに放り投げた。柔らかなそれの上で本はバウンドして、ごとりと音を立ててフローリングに落ちる。キッチンから流れてくる、魚の焼ける匂いと野菜がフライパンの上で焦げる音に呑まれて、それは八戒の耳には届かなかったようだった。
(……ちくしょう)
 ここまでが、嫌がらせなのか。

 皿を運び終えた八戒にダイニングへ呼ばれて、本を拾い上げてソファに置いてから天蓬は席に着いた。ほかほかと湯気を立てる皿に向かって手を合わせ、八戒に謝意を伝えてから箸を取る。穏やかに始まった夕食の時間の中、もやもやした気分を持て余していた天蓬は、少しだけ気を楽にしようと口を開いた。
「……八戒は、捲簾のことどう思います?」
「え? どうって……捲簾さんですか? えーと、男らしくって優しい人だと思いますよ」
「ほお、それで?」
「それで、“兄貴”って感じ、かなぁ」
「……兄貴、ねえ」
 うっかり奴と“兄貴と弟分”みたいな関係になりかけましたなんて実の弟に言いたくはなくて、天蓬はそのまま、突付いていたほうれん草を口に運んでもそもそと咀嚼した。美味しい。八戒の料理が不味かった例なんて……二度くらいしかない。
 捲簾がホモであろうが知ったことではない。勝手に男と付き合っていればいいと思う。実際、自分だってその気があるから偏見も軽蔑もない。ただ、友人とのそれに自分が巻き込まれるのは面倒なのだ。嫌なのだ。ただの友人でいたいのだ。恋人のことは友人とは切り離したところで考えたい。実際天蓬は男でも女でもいいタイプの人間だが、捲簾と、だなんて一度も考えたことがない。考えることに抵抗すらある。彼と褥を共にするというのを想像するだけで二の腕の辺りがぞわりとする。困る。勘弁して欲しい。趣向の違いというのは結構大きい。彼の狙いは一体何なのだろう。彼の言葉を真正面から馬鹿正直に受け止めることは出来なかった。
「……天蓬、今日何だかおかしいですね」
「え、そう……ですか?」
 八戒の柔らかい声に思考を遮られて、天蓬はぱっと顔を上げた。分かり易い態度をとってしまっていた自分に反省して、天蓬はにこにこと弟に微笑みかける。しかし彼は余計に心配そうな顔をするばかりで、逆に天蓬が困ってしまう。
「何か悩んでるみたい。すぐには話せなくても、僕はいつでも話を聞きますからね」
 茶碗と箸を持ったまま八戒は一生懸命に言い募る。そんな風に精一杯を伝えてくれる弟が愛おしくて、きょとんとしていた天蓬は思わず顔を綻ばせた。そしてゆっくりと頷く。それを見て八戒は安心したように微笑み返した。そんな風に優しく笑う兄が一番好きなのだ。
「ありがとうございます。八戒こそ、勉強分からないところがあったらいつでも聞いて下さいね」
「あ……じゃあ後で、お願いします」
 数Bと世界史が少し、と照れたように笑う弟に、天蓬はささくれた心が凪ぐのを感じた。子供の頃に父と母を一気に亡くして、それでも心を揺るがさずに精一杯に生きてこられたのは、自分よりずっと幼い弟が泣きながらもぎゅっと天蓬の手を握ってくれていたからだ。今は天蓬も八戒もバイトをいくつも入れて生活している感じではあるが、まずまず安定した生活を送ることが出来るようになってきている。
「食べたら先にお風呂入って下さいね」
「はーい」
 八戒が幼かった頃こそバイトも家事も全て天蓬が一手に担っていたものだが、今や八戒も高校三年生である。家事はほぼ分担するようになっていた。それでも八戒はまだ高校生だから、試験前などはほぼ天蓬が一人でやることになるのだが。大皿の野菜炒めを口に運んで、味噌汁を啜る。美味しいです、と告げると、八戒は嬉しそうに笑った。
 八戒は少し前から交際している恋人がいる。男だ。好きになってから想いを通わせ付き合い始めるまで、彼が自分の性癖はおかしいのではないかと悩んでいたのを一番近くから見ていた。だから尚更、八戒の前で捲簾のことを悪く言うことが出来ない。八戒が、天蓬が同性愛自体を敬遠していると誤解してしまっては困るからだ。八戒は案外、言った本人も気付かないような簡単な言葉に傷付いてしまう。天蓬がうんざりしているのは同性愛のことではなく捲簾自体だ。あの時は強い視線に押されてつい彼の本気を認めてしまったけれど、今冷静に考えれば考えるほどあれはやはり冗談だったのではないかと思えてしまう。しかし、彼はそんな質の悪い冗談を言うような性格の悪い男ではないと思っていたのだけれど。
(何か、ショックですよ)
 言ってしまえば、友人としてなら彼が大好きだった。信頼していた。だから尚更に辛い。そんな風にからかわれるほどに自分が彼に何か悪いことをしたというのか。あの優しい男をそんなにまでした何かを。
 頬杖を付いて溜息を吐く天蓬を、八戒は何も言わずにじっと見つめていた。




 次の日、天蓬はまた喫茶店にいた。しかし昨日の店とは違う、天蓬も認める美味しいケーキと紅茶を出す店だ。音楽も控えめで会話を邪魔しない程度のもので、ライトアップも間接照明をメインにしていて落ち着ける空間になっている。全てにその店の主人のセンスの良さや気遣いが窺えた。喫茶店に行くと、人目を引く天蓬は窓辺の目立つ席に引っ張り出されるのが常だが、馴染の店主は天蓬のその疲れた顔色に気付いてか、奥の静かな席へ案内してくれたのだった。
 ティーカップを傾け、昨日のものとは全く違う高い香りに満足げに口角を上げる。カウンターの中の初老の店主に軽くカップを持ち上げて目配せすると、彼はゆったりと微笑んで少し頭を下げた。
 昨晩は夜のバイトに出勤した後、早朝になってから家に戻った。弟の部屋を覗き、寝付きの良くない弟がしっかり寝ているのを確認してから天蓬もまたひと眠りしようかとベッドに潜った。しかし寝られない。本を読もうとする。しかし内容が頭に入ってこない。頭をしっかりさせようとシャワーを浴びた。余計に目が冴えて眠れなくなった。そして結局、一睡も出来ないまま天蓬は待ち合わせの時間に合わせて家を出たのだった。
「よー、お待たせ」
「……悟浄」
 急に後ろから声を掛けられゆっくりと振り返ると、深紅が視界を占めた。白のタンクトップにチャコールグレーのワンボタンジャケットを羽織っただけのラフな格好で現れたその紅い男は、天蓬が顔を上げるとにやりと子供のように笑った。その笑顔が目下の頭痛の種を否応無しに思い出させて、少し嫌な気分になった天蓬はこめかみを人差し指で揉んだ。彼に何も非がないのは分かっているが、あの男と似た顔をしているこいつが悪い、と決め込んで天蓬は鼻から息を吐いた。
 悟浄はあの男、捲簾と大層良く似ていた。高校時代も兄弟なのか親戚なのかと騒がれていたが、二人の間には少しの血の繋がりもなければ、何代か家系を辿っても親族では有り得ないようだった。最初の頃こそ天蓬も気味が悪いと思っていたものの、それぞれと付き合ってみれば性格は違うし、よく見れば造作も結構違うのではないかと思うようになってきた。……しかし、遠目に見れば似ているも似ていないもない。その子供のような笑顔を浮かべる男に、全ての元凶を重ねて天蓬は顔を顰めた。
「……さて、どこに行きたいんでしたっけ?」
 今日は悟浄との買い物に付き合う予定になっていたのだ。既に空になっていたティーカップをソーサーに戻して、天蓬はそのまま立ち上がろうとする。しかし悟浄はそれを手で制して、天蓬の向かいの席に腰掛けた。そして自分へと、天蓬への二杯目の紅茶を店主に注文する。手際よく湯を沸かし始めた彼を横目に、天蓬は目を瞬かせながら悟浄を見上げた。悪戯をしかけた子供のように眸が妙にきらめている。
「久しぶりのデェトなんだからゆっくりしようぜ、天ちゃん」
「あなたに呼ばれると気味が悪いですね」
「酷ぇ……」
 それでも悟浄は笑っている。天蓬も本気で言ったつもりはない。二人の間ではこんなもの、ただの言葉遊びに過ぎない。だから彼との会話は疲れない。元来優しい人だから天蓬が気にするようなことは会話に出さないし、疲れているようであればそっとそれと分からないほどさり気なく労わってくれる。見た目を裏切ってとても繊細な神経を持つ男なのだ。軽い男の裏側に隠れたその優しさが好ましかった。
 高校の入学式で初めて出会い、突然軽い乗りで話しかけられた。その日は少し話しただけだったのだが、その日の内に彼の中で天蓬は面白い奴と認定されたらしかった。外見から雰囲気、性格まで人間としてのタイプが全く異なるだけに彼と会話するのは楽しかったので、そのままだらだらと付き合いは続いている。悪友のような状態だ。しっかりと名前を覚えるまで、心の中で『紅い男』として記憶していたというのは、今でも彼には内緒だ。
 その赤く長い髪を後ろの高い位置で一本に束ねた悟浄は、上着のポケットを探りいつもの煙草のパッケージを取り出した。そして何か思いついたように一瞬動きを止める。そして小さくそれを天蓬に向かって掲げて見せる。
「……吸っても?」
「移動しましょう。そっちが喫煙席ですから」
 その言葉に悟浄は赤い目をぱちぱちと瞬かせた。
「よくお前が禁煙席に座ってられたなぁ」
「何か、吸う気になんなかったんです」
 バッグを持って一番奥の窓辺の席へ移動する。その後ろ姿をじっと見ていた悟浄は何度も目を瞬かせ、その後を自分も追った。

 天蓬は極度のニコチン中毒だ。チェーンスモーカーの名に相応しい。一日五箱は伊達ではない。少しでも吸えない場所に行けば目が据わり出し、機嫌は急降下する。そんな彼が自分を待っている間ずっと禁煙席に座っていたなんて。有り得ないことだ。その不可能を可能にした要因とは一体何なのだ。
 二人が席に座ると、丁度店主がカウンターで紅茶をポットから注いでいるところだった。それを見ながら悟浄は煙草に火をつけて、パッケージをテーブルの端に置く。思い切りよく煙を吐く悟浄に、天蓬は少しだけ笑った。
「で、天ちゃんは何を悩んでるのかなー?」
「あはは、バレバレ?」
「バレバレですよ」
 わざとらしく真面目な顔で頷いて見せると、天蓬はクスクスと笑い、僕もまだまだですねと一人ごちた。
 その内にウェイターがカップを二つ運んできて、空になった天蓬のカップを引き取って戻っていった。それに軽く頭を下げながら、天蓬もまたポケットから煙草を引っ張り出す。彼がトン、とケースを叩いて一本だけ煙草を取り出すのを見て、悟浄は自分のライターを持ち上げて火をつけてやった。
「どうも」
「いんや」
 淡桃の唇が似つかわしくないほど重い煙草を咥える。何となくエロイな、と思ってしまうのも致し方ないと思う。彼自身が醸し出す雰囲気が悪いのだ。ストイックなのに周りを煽って憚らない、垂れ流しの色気が。容姿も、全くよく出来た造作だと思ってしまう。睫毛とか肌とか、男が持っていても無駄なのではないかというほどのパーツが揃っている。カミサマは天国でこの男を作る時にうっかりパーツを取り違ったのではないだろうか。しかし、ただ一つ悟浄が惜しいと思ってしまうのはその眼鏡だ。黒縁の全く飾りげのない大き目の眼鏡だ。影で天蓬を慕うものも多いと言うが、それをコンタクトレンズに変えたらもっと倍増するのではないかと思うのだ。いや、確実だ。コンタクトレンズを入れるのが嫌だというのならせめてもう少し細めのフレームのものに替えればいいのに、と思ってしまう。が、何度勧めても彼は“このままで支障ありません”、と軽く一蹴するのだった。
 悟浄と天蓬は高校からの友人同士だ。その頃からずっとカメラマンの元でアシスタントとしてのアルバイトをしていた悟浄は、バイト先が閉店になってしまった天蓬が次のバイトに困っていると聞き、一度バイトを斡旋したことがあった。雑誌のモデルのバイトを。仕事内容を話さないままに連れていったせいで後からねちねちと責められる羽目になったのだが。
 しかしやはり生まれついてそれなりの容姿を持つ者だけあって、天蓬は人から見られるのが巧かった。写真を撮られるのは嫌いだと言っていたにもかかわらず、初体験であるはずのモデルも巧みにこなし、がっつりと報酬をもらっていた。悟浄も実は裏で紹介料をもらっていたというのは内緒である。一度きりのモデルというのにもかかわらずその業界ではあのモデルはどこの誰で男なのか女なのかと話題になり、読者からも問い合わせが相次いだという。天蓬が名前を公開することは絶対に駄目だと言ったため、モデル名はイニシャルのみの掲載だったからだ。紹介者である悟浄も様々な人間からもう一度紹介しろと何度もせがまれたものだった。
 今からでも十分モデルとしてやっていけるのに、彼は事務系や肉体系の地味なアルバイトしか選ばない。ガソリンスタンドや運送会社で働いていると聞いた時には驚いたものだ。本人曰く“目立つのが苦手”らしいのだが、容姿の時点で十分目立ってしまっている。悟浄は今でも実は天蓬をスカウトしようと機会を狙っているのだった。悟浄もただのアシスタントという位置から段々と写真を撮らせてもらえるように変わってきている。今度は自分の手で彼を撮ってみたいと思うのだ。
 しかしそんな思惑も知らない彼は、煙草の先の灰を灰皿に落としながらぽつりと呟いた。
「悟浄って、同性愛に偏見あります?」
「あ?」
 そんな風に切り出されて、一瞬悟浄は返す言葉を失った。何と言っていいのか分からなかった、というより、その言葉の意味を一瞬測り兼ねたのだ。それを呆れたと勘違いしたのか、天蓬は笑ってぱたぱたと手を振った。
「すみません、くだらないことを言いましたね」
「いや、そりゃ別にいいんだけど……どうした、急に。誰かにやられちゃったのか?」
 お前ならされ兼ねない、と呟きながら手を伸ばした悟浄は、その手で天蓬の頭をよしよしと撫でた。それにきょとん、としていた天蓬はゆっくりと笑って、ふるふると首を振った。
「平気です」
「……そ。お兄ちゃん心配だぜ」
「悟浄がお兄ちゃんですか。それは心配ですね」
「って、そっちじゃねーの。ったく、可愛くねぇことばっか言いやがんの」
 少し照れたような拗ねたような言い方をしてしまうと、ますます天蓬は笑うのだった。それでも彼がきちんと笑っているのを見て安心したりもするので少し複雑な気分だった。天蓬が煙草の灰を灰皿に落としながら目を伏せるのをぼんやりと見つめながら、悟浄は灰皿を引き寄せた。
「……で? 男を好きになったの? それとも男から好かれちまったの?」
「あなたの察しの良さには感服しますよ」
 悟浄の口にした言葉に、一瞬天蓬は咽たようだった。こほこほと咳き込みながら煙草を灰皿に押し付けて、天蓬は涙の滲んだ目を擦った。そして少し呆れたように悟浄を見上げて唇を尖らせる。
「そ? モテる男の必須条件よ、コレ」
「なるほど。いつもなら有り難いんですがねぇ」
「で、どっちなわけ?」
「まだ冗談か本気か分からないんですけど、後の方です」
「へええ」
「驚きませんね」
「別に珍しいことじゃねぇし」
「相手の名前を聞いたら悟浄おったまげてひっくり返りますよ」
「は?」
「さあ誰でしょう」
 拗ねた顔をしていたかと思えばにこにこと微笑んだ彼が悟浄の反応を窺っている。何だかそれに乗るのも悔しかったが、気にならないと言えば嘘になる。とりあえず彼の言葉遊びに付き合うことにして、心当たりを探った。
「さあなぁ……んーと、三蔵とか」
「お、直球で来ましたね」
「え。マジ?」
 顔を思いきり顰めて、あいつだけはやめとけと声を低くして忠告する悟浄に天蓬は笑った。
「やめて下さいよ、僕八戒には嫌われたくないです」
「まーな、呪われそうだな!」
 げらげらと笑って悟浄は新しい煙草に火をつける。内心ちょっとホッとしていた。それであってはちょっと困る、と思っていた答えだったからだ。三蔵というのは、天蓬と悟浄の高校からの友人だ。今も天蓬と同じ大学に通っている。そして、天蓬の弟の恋人でもあった。本当に仲の良い兄弟で、天蓬が本当に弟を大事にしているのを知っているから、そんなことで仲違いをして欲しくはないのである。しかし、だとしたら一体誰だと言うのか。
「誰よ? その辺のどうでもいい奴だったらお前、そんなに悩まないだろうし」
「まあ、そうですね」
「あ、喧しい小猿ちゃんとか」
「まさか」
「んじゃ俺」
「くだらない冗談は禁止です」
「……傷付くわぁ」
 軽く科を作ってそう言うと天蓬は心底可哀想なものを見る目を向けてきたのでがっくりして、悟浄は頭を掻いた。強ち嘘とも言えないことだったのだが、彼は全く本気にする気はないらしい。それはそれでいいのだが。
「もっと、僕とあなたに近いです」
「俺とお前に近い人? えーと……誰?」
「いざという時に限って察しが悪いですね。わざと僕に言わせようとしてません?」
 ぷうっと頬を膨れさせて、天蓬はティーカップに手を伸ばす。謂われない疑惑に悟浄が焦って弁解すると、天蓬は自分でも大人気ないと思っていたのか、少し息を吐いてから小さくごめんなさい、と呟いた。
「そのせいで寝てなくて、ちょっと苛々してるんです」
「いつも寝てないくせに」
「本を読んでて寝るのを忘れるのと、悩んで寝られないのは話が違います」
 その言葉に悟浄は再び目を瞠る。あの、あの神経の太く出来ている天蓬が悩んで寝られないほどの相手。その紅い目をゆっくりと彷徨わせながら、頭の中に二人の共通の友人を何人も思い浮かべてみる。そしてその中でも特に天蓬と親しい友人を。親友を。それは一人しかいない。
「……まさかだ」
「はい?」
「まさか、と思うが……」
「多分それですね」
「―――……捲簾?」
「ん」
 抑揚なくそう呟きこくりと頷く天蓬に、予想通りに悟浄が後ろに椅子ごとひっくり返りそうになったのは僅か一秒後のことである。

「僕とあなたに近い、って言ってるんだからすぐに分かりそうなものじゃないですか」
「だ、だってよ……あの捲簾だぞ?」
 悟浄の言う“あの”は重みがあった。そういえば高校の頃、二人は度々彼女の奪い合いなんかをしていた気がする。彼らを狙う女たちにとっては、その二人に奪い合われることがステータスのようなものだったようだ。つまり悟浄と捲簾そのものがステータスシンボルということになる。優越感とでもいうのだろうか。ただ二人とも飽き易くて、決着がついてしまえばその彼女に全く執着がなくなりふらふらと離れていってしまう、という最悪の終わりが待っていたのだが。それはさておき、そんなあの女好きが、だ。
「……冗談ですよねぇ」
 同調して欲しくて、天蓬は上目遣いで悟浄の意見を仰ぐ。しかし彼は何か考え込んだままで小さく唸っている。その煮え切らない様子に眉根を寄せて天蓬は更に言い募る。
「……だって、あの捲簾ですよ? あなたにそっくりで、好みの女を見れば相手に恋人がいようがいまいがほいほい近寄っていくような、しかもストライクゾーンがどーんと広くて来るもの拒まずなあの人が」
「……だなぁ」
「でしょ?」
「マジだったんだなぁ」
「は?」
 真面目くさった顔でそう言う悟浄に、天蓬は眉根を寄せた。それをよそに悟浄は煙草の灰を落としながら一人で頷いている。
「だって、今考えればあの頃からお前らべたべたしすぎだったし」
「あれは、あの人がそういう人だと思ってたんですよ」
 スキンシップ過剰気味な、とそう付け足すと、悟浄も頷いて俺も、と言った。
「俺もそう思ってたけど、よく考えればお前以外にあんなじゃなかったぜ、あいつ」
「そうですかぁ?」
 天蓬がその言葉に怪訝な顔をすると、悟浄は神妙な顔で頷いた。
「芽が出たのが最近だとしても根っこは昔からあったのかもな」
 そんな物凄いことをあっけらかんと言うものだから、天蓬は思わず眩暈がした。
「……勘弁して下さいよ」
 昔からだなんてとんでもない。だとしたら無邪気だった中学時代から捲簾は段々おかしくなりつつあったというのか。確かに昔からスキンシップは過剰だったけれど、こういう男なんだろうと思って言及しなかった自分に非があるのかも知れない。あの頃ちゃんと、あまり触るなと注意しておけばよかったのだろうか。……そんな馬鹿な。
「天蓬は捲簾のこと嫌いなの?」
「は?」
「嫌そうだから」
「……」
「だったら無視すればいいのに。四の五の言わずに」
「……あのねぇ、悟浄。僕、捲簾のことは好きです。大好きです。だけど友達なんです。たとえばあなた、三蔵に好きだって言われて掘り掘られる関係にすぐになれますか?」
「死んでも御免」
「でしょ」
「……や。俺と三蔵の関係と、お前と捲簾の関係はかなり違うと」
「違わないです」
「違うよ。俺だったら三蔵と一日中隣同士でいるなんて息が詰まる。けどお前らは違うじゃん」
「息が詰まる詰まらないのレベルですか……」
 なんて低レベルな話だろう。全く実のない。天蓬は頭を右手で押さえて、大きく息を吐いた。次会う時にどういう顔をすればいいのだろう。次会った時に“冗談だった”と一言言ってくれるのならば少しも怒らずに感謝してもいい、というくらいに切迫していた。頼むから、嘘だと言ってくれ。
「そんな、死にそうな顔して悩まなくてもいいんじゃねぇ? そういう関係になってもいいんならいいって言やいいし、絶対御免だと思ったら振ればいいし」
「……」
「踏み切れねーの?」
 自分の生活に深く食い込んだ捲簾という存在が、自分のこれからの選択によってふと消えてしまう可能性があるのが、怖かった。捲簾との友人関係が崩れることが怖いというよりは、捲簾という友人が失い得ないものだという無意識の内の思い上がりが、一瞬にして壊されたことによる急な喪失感で。
「友情って脆いですね」
「脆いな。そういうものだろ」
「……勘弁して欲しい」
 本当に困った、というように溜息を吐いて頭を押さえる天蓬に、悟浄もまた天井を仰いで、ここにいない、この問題の元凶を思い出して心の中で悪態をつくのだった。
 今度会ったら、ぶん殴ってやる。










ええと……最終的にちゃんと捲天でハッピーエンドを迎える予定です。予定調和。
基本的に捲兄と天ちゃんは原作のカラーが好きなのですが今回都合上目は緑にしました。     2006/4/27