『そろそろ帰りましょう、悟空』
『えー、もっとあそびたいよー』
『ばーか、遅くまで連れ回して金蝉に怒られんの俺たちだぞ』
『ちぇ、金蝉のけーち』
『本人に言えっての』
『まあまあ。……じゃあ手繋いで帰りましょうか。ね』
『うん!』
『さああなたも』
『はあ、俺も?』
『そうですよ』
『何で俺が猿と仲良く手ェ繋いで歩かねーといけねんだよ』
『えー、だって、家族みたいで面白いじゃないですか』



++++



 ごち、と鈍い音を聞いた。そしてじわりと鈍い痛みが頭の芯へと伝わってきて、反射的にじわりと涙が浮かぶ。
「……いてぇ」
 誰も聞く者はいないと言うのに思わずそう呟いて、悟空は不快げに顔を顰めた。折角暖かい夢を見ていたところだったというのに。痛みの原因はベッドの上部。ベッドは自分で動くわけはないから、つまりは自分の寝相のせいなのだけれど責任転嫁したくもなる。しかしベッドに当たったところで殴った手が痛くなるだけなので、悟空はそのまま天井を見上げて動かずにいた。
 カーテンから日差しが差し込んできている。起きなければ。悟空は十一歳年上の兄との二人暮らしだった。しかし兄は仕事が朝早く、悟空が起きる頃にはもう出勤済みだ。いつもハウスキーパーの用意した朝食を掻き込んで学校へ自転車を走らせることになる。時計を見れば、いつも起きる時間よりも三十分ほど早い。仰向けに寝そべったまま、両手を天井に突き出す。そしてその手の平をじっと見つめた。
 夢の中のあの温かさは、もうない。十年前のあの日に消え去ってしまった右手の温かさ。左手の温かさはまだすぐ近くにあったけれど、それも時間の流れに晒されて大分変わってしまった。あの温かさが消えてしまったあの日から。

 その後、二度寝を試みるも全く眠気が訪れず、もそもそとベッドから起き出した悟空は、食事を摂ろうと一階に降りた。馴染みのハウスキーパーの女性に珍しい、と笑われて少し恥ずかしかったが、食事は勿論いつもの量を摂る。顔を洗い着替えるといつもより大分早かったが、どうせ家にいても何もすることはない、といつもより早く家を出た。学校まで自転車で三十分弱。馴染みの顔を見かけるたびに挨拶しながらいつもの並木道に差しかかると、視界が一瞬白く染まった。思わず目を眇めて、青空に散らばる白の飛沫を見つめた。
「桜……」
 ペダルを漕ぐ足を少し緩めながら、桜並木を見上げる。春休みの内にここまで咲いていたのだ、と感嘆の声を漏らした。見てみればどうも制服に着られているような格好になっている少年少女が並木道を歩いていく。
(あー、入学式か、今日)
 自分も今日から二学年へ進級する。正直危ないところではあったのだが。
(……待てよ)
 色々なことを考えながらゆっくりと自転車を漕いでいた悟空は、あることに思い至って顔を蒼白にした。そして、サドルから腰を上げて学校へと向かう桜並木の坂道を一気に駆け上がっていった。

「ごめん遅れた!」
 勢いよく部屋のドアを開けてそう叫ぶと、部屋の中にいた少年が驚いたように目を見開いて、その後ゆっくりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ、まだ時間じゃないですから」
「え……」
 時計を見てみれば確かに集合時間より少し早い。その段になってやっと、今朝は早く家を出たのだということを思い出した。そう思うと全身から力が抜け、悟空は近くにあったパイプ椅子を引き寄せて崩れるように座り込んだ。それを見て少年はくすくす笑っている。
 悟空は生徒会の役員だった。といっても成績優秀なわけでも生活態度が善いわけでも何でもなく、単なる人数合わせだ。そもそも書記なんて二人も要るものか。ただ生徒会に入ると諸々の特権が手に入る。調査書に書ける肩書きが増えるとか、色々と設備の整った生徒会室が出入り自由になるとか。そんな事情を考えて、悟空は選挙に立候補することになったのだ。
「悟浄は」
「体育館での設営に借り出されてますよ。でもそろそろ生徒会の仕事もあるから帰ってくると思います」
 そう穏やかに言う少年は、三年で生徒会長の八戒だ。成績優秀で品行方正、運動神経もよく物腰も柔らかい。絵に描いたような生徒会長だと思う。ただ、少し性格が怖いが。そう心の中で思った瞬間、彼がくるりと振り返る。まさか読まれたか、と有り得ないことを考えてしまうのも彼という人間が妙に人間離れしているからだった。
「それにしても今日は早かったですね。何かあったんですか」
「ううん、何か早く目が覚めてさ。……折角いい夢見てたのに」
 拗ねたようにそうひとりごちると、最後の辺りに反応したらしい八戒は、持っていた書類をテーブルに下ろして首を傾げた。
「何ですか、いい夢って」
 そこを突っ込まれると何と答えていいものか分からなくなる。しかし八戒に嘘を付いていい方向に事が進んだ例がないのを悟空は重ね重ね承知していたので、少し逡巡した後言葉を選ぶようにして口を開いた。
「うーんとさ……十年前の、夢」
「十年前、ですか。じゃあ小学一年生くらい……」
 そうだ。確かにあれは丁度十年前の春で、都心から離れた自然の多い街で、高校生だった兄と父の三人で暮らしていた。
「そういえば悟空は捲簾先生と幼馴染なんですよね」
「うん……」
 捲簾というのはここの高校の保健体育担当の教師だ。当時悟空の家の近所に住んでいた中学生でもある。そして、夢の中での“左手の温かさ”の主でもあった。悟空が幼稚園……彼が小学生の頃から遊んでもらっていた記憶がある。夢の中を細かく思い出そうと頭を抱えていると、ことりと目の前のテーブルにマグカップが置かれた。たっぷりとミルクが入れられたカフェオレだ。ブラックが飲めない悟空のために彼はいつもこうして甘くして出してくれるのだった。
「ありがと」
「いえ。……でも、何だかいい夢を見た割には、切なげですね」
「……切ない、ねぇ」
 確かにこの気持ちは切ないと言えなくもない。あの綺麗な笑顔とは、二度と相見えることがないのだろうと思えば切なくもなろう。優しく頭を撫でた白い手も、何だか難しい言葉を紡ぐ小さな唇も、目を瞑るだけで全て思い出せるのにそれは実体として傍にあるわけではなかった。声も、一体今はどんな風になっているだろう。背はもっと伸びただろうか。きっと自分よりもずっと高いだろう。あの優しい声はどうなっただろう。今は隣に恋人がいるのだろうか。
 ぼんやりとカフェオレを啜っていると、廊下から慌しい足音が響いてきて、大きな音を立ててドアが開かれた。
「あー疲れた! 八戒、何か飲む物!」
「ああもうだらしないですねぇ悟浄、汗くらいタオルで拭いて下さい」
 マグカップを持ったまま振り返ってみれば、そこには赤い髪をした長身の男が酷く疲れた様子で立っていた。制服のズボンに体育のTシャツという姿の彼は流れる汗もそのままだった。その彼はすぐ目の前の悟空にやっと気付いたというように目を見開いた。
「おお悟空、珍しく早いじゃん」
「んー、まあね」
「俺なんか早く来過ぎていいように使われ放題よ」
 やってらんねぇーと嘆き、彼は悟空の横の椅子を引っ張り出してやはりだらしなく腰掛けた。そして呆れたような顔をした八戒はマグカップとスポーツドリンクのペットボトルを持って戻ってきた。注がれたそれを一気に飲み干してから、悟浄は声と共に大きく息を吐いた。
「悟浄、オッサン臭い」
「るせぇよ、頑張って働いてきたんだから労われっつの。お前ももう少し早く来いよ」
「う」
 そう言われると返答に困り、悟空は思わず言葉に詰まる。しかしそれを見ていた八戒が助け舟を出した。
「まあまあ、今日は悟空も色々都合があったんですから」
「あ? 何か用事あったのか?」
「や、用事というか」
 そっちに突っ込まれれば突っ込まれたで返答に困る。わざとか、と八戒の顔を情けなく見上げるも、今回ばかりは悪気があったわけではないらしく、きょとんとした顔で見下ろされた。上からの不思議そうな視線と正面からの訝しげな視線に挟まれて、悟空は覚悟を決めてマグカップをぎゅっと両手で包み込んだ。
「いい夢、見てたんだよ」
「は」
「十年前の夢だそうですよ。僕なんかはとてもじゃないけど思い出せないですねぇ」
 そう言って八戒は笑う。その言葉に悟浄は一瞬悟空をからかうことも忘れたように目を瞬かせ、何かを思い出したように宙を仰いだ。
「十年前、ねぇ……で、何でそれがいい夢なのよ」
 その瞬間、悟浄の顔が悪戯を思い付いた子供のようにきらめき、悟空は思わず身構えた。
「初恋の子とか、出てきたのか」
 元来悟空は嘘の吐けない性質である。いつも嘘を吐いているつもりでも顔に出てしまっていて、それを悟浄や八戒にからかわれるのだ。今日も勿論例に漏れない。
「へえ、悟空の初恋の子ですか。どんな子だったんですか」
 無邪気に(見える顔で)八戒が追い討ちをかける。先程は悪気があったわけではないらしいが、今回は確実にからかいが篭っている。 「べ、別に、そうだって言ったわけじゃないだろ!」
「またまた。悟空は顔に全部出てるんですよ」
「無駄な抵抗は止めて早く楽になれって」
 この年上コンビの質の悪いことと言ったら。その瞬間、もう悟空は抵抗を止めた。下手に抵抗をして彼等の悪戯心に火をつけるような真似はあまりよろしくない。これも経験から学んだことである。
「年上で!」
「年上ね〜、憧れのお姉さんってわけか」
「優しくて、キレーで、頭良くて」
「すごいですね、漫画みたいな初恋じゃないですか」
「そんだけ! もういいだろ!」
 そう言って顔を背けると、八戒は笑っていたが、悟浄はどこか納得のいかない顔をしていた。そしてぼそりと呟く。
「何か大事なこと隠してねぇ?」
「悟浄?」
 八戒は不思議そうにしているが、悟空は内心ものすごく冷や汗をかいていた。そう、悟空の言ったことの中には重要なある項目が抜けている。ただ、それだけは言うわけにはいかなかった。しかしそんなささやかな抵抗もものともせずに、悟浄はニヤニヤ笑いながら悟空の肩を掴んだ。
「なっ、なっ、何?」
「何だ人に言えないようなことって……もしかして」
 思わず悟空の両肩が強張る。八戒は相変わらず目を瞬かせている。眼前十センチほどのところにある悟浄の目がキラリと輝いた。
「お」
「お……奥様?」
「ち、違うよ!」
 的外れなことを呟いて脱力させる八戒にそう叫んで悟空は肩を怒らせた。
「男?」
 悟浄がぼそりと呟いたその言葉に思わず指先を震わせてしまい、図らずも是と答えてしまったことに気付いた。八戒がびっくりしたように目を見開いている。
「悟浄、まさかそれは……」
「いーや、俺の恋愛に関する勘は外れたことがない」
 有り得ない、と苦笑する八戒に対して、悟浄のその自信に満ちた顔が憎い。心の中であらん限りのボキャブラリーを駆使して悟浄を罵倒するも後の祭。八戒は真相を求めるようにじっと悟空を見つめているし、悟浄は確信を掴んだとばかりに自身に満ちた顔をして悟空の肩から手を離さない。
「さ、吐け」
 語尾にハートでも付きそうな口調で言われて、悟空はいるとも思っていない神を恨んだ。


「初恋が男とは、なかなかやるねぇ小猿ちゃんも」
 悟空の自白を得て満足そうに悟浄は椅子にふんぞり返った。八戒はといえば何だか興味深そうに悟空の顔を見つめてくるものだから居心地が悪くて仕方ない。
「それ一回きりだっつーの」
 初めてにして、それきりだ。男を好きになる経験など人生に何度もなくていい。ただ、まだ小さかった自分は、男の自分が男を好きになることの何がおかしいのか、ということがまったく理解出来ていなかったのだ。だから好きになったことへの抵抗も全くなかったし、それが自然な想いだと思っていた。何より近くに自分と同じような男がいたからだ。それ以降、男にどうこうという想いを抱いたことはない。悟浄や八戒、と二人を見ても、どうこう想うの前にまず抵抗が生まれた。それが成長したということなのだろうか。
「で、その人は今どこにいるんですか?」
「わかんない」
「え?」
「ある日突然、いなくなったんだ」
 彼は突然消えた。父親と二人で暮らしていた彼は、ある日を境に姿を消した。住んでいたアパートの一室は、一夜にしてもぬけの殻になり、管理人も突然引っ越すことになったと夜に父親が挨拶に来た、としか言わなかった。家の中の食器棚や本棚はその日の朝、家の前に出してあってそのまま回収されていったと言う。一晩の内に他の荷物は全て引き払われていた。通っていた中学校では「父親の仕事の都合で」ということで担任が説明したらしい。置きっ放しにしていた内履きやロッカーの中身もそのままに、彼は姿を消した。行き先も残さずに。
「初恋は実らないって言うしなぁ」
「うっせぇ」
 実らなくたっていい。だからあと一度だけでも彼に逢いたいと思うのだ。一目見えるだけで、いいから。
(……恋する乙女かっつーの)
 女々しい自分の思考に嫌気が差す。がりがりと頭を乱暴に掻き回し、カップに残ったカフェオレを一気に飲み干した。八戒の視線が時計に向けられる。一瞬溜息を吐いた後立ち上がる八戒を見て、そろそろ仕事の時間だろうと見当をつけて悟空も立ち上がった。
 いずれ自分はまた違う恋をするだろう。彼のことなんか綺麗さっぱり忘れてしまう。その方がいいのかもしれないけれど、思い出の中の彼が優しく微笑む度にじくじくと痛みが胸を苛むのだった。


 夢を見ていた。暖かい夢。今朝の続きだろうか。それなら当分目覚めずこのままこうしていたい。もうすぐであの“右手の温もり”に手が届く。手を繋いで、もう一度その声で名前を呼んで――――。

「悟空!」
 体の右側に軽い衝撃を感じ、抑えられた低く鋭い声が耳に入ってきて、悟空はびくりと身体を強張らせた。目の前に広がるのは、向かって右側の舞台に向かって並べられたパイプ椅子に座っている全校生徒。……始業式の真っ最中だ。式の際、生徒会の役員は体育館の右側に並んで立っている決まりになっているのだ。右には八戒、左には悟浄が立っている。つまり、先程の衝撃と声は八戒のもの。
「立ったまま寝るなんて、器用ですねぇ」
 丁度長々とした校長の挨拶の時だったらしい。左側の悟浄もうんざりした顔をしている。八戒は顔には出さないもののさっさと終われ、と思っているのは間違いない。
「ごめん」
「寝惚けて倒れたりしたら担架が来ちゃいますからね」
 正直、そのまま仮病を使って保健室で寝ていたいと思わなくもないのだが、そんなことをしたら後々悟浄と八戒にどんな嫌がらせをされるか。それを考えるとここは目を指で開いてでも起きていなくては。
「もうすぐ終わりますよ。挨拶が始まった直後に悟空が寝始めましたから、もう十分は経ってます」
 ということは自分は十分間立ったまま寝ていたのだろう。その光景を想像すると馬鹿のようだ。
「次、新しい先生の紹介ですよ」
「へええ」
 言った傍からまた眠くなり始める。やはり早起きなんてするものではない。そういえば誰かが言っていたが、夢は眠りが浅い時に見るものらしい。ならば今日はあまりしっかりと眠れていないということかもしれない。
「次立ったまま寝てたら、蹴っ飛ばすからな」
 隣の悟浄が前を向いたまま不穏なことを呟いたので、悟空はぼけっとしながらも何とか目を開いたままいることにした。そのうち目を開けたまま寝るという芸当も出来そうだ。しかしそんなことをしたら絶対悟浄から目潰しを喰らう。
「やべ……寝そー」
 呟いたその声は、司会の教師の声に遮られて二人には届かなかったようだ。
「次に、校長先生から新任、転任してこられた先生方をご紹介頂きます」
 やっと校長の話が終わった、とだらけていた生徒たちも少しずつ姿勢を直し始めた。皆やはりこれから付き合う新しい先生には興味があるのだろう。左右の悟浄と八戒も悟空の頭の上で何か話をしている。
「欠けてんのって何の教科だっけ」
「家庭科の工藤先生、四月から産休でしょう。あと、生物の久我先生がいなくなりましたし」
「あれ、あいついなくなったんだっけ。あ、それと日本史の高村と英語の桜田」
 ぼんやりと話の中に出てくる教師の顔を頭に思い浮かべてみる。うまく思い浮かべられるのはよく叱られた教師ばかりだ。年を取ってからきちんと叱ってくれた先生に感謝することになる、とはよく言ったものである。
「お、あれ新しい家庭科の先生、美人じゃね」
「ケバイですよ。それに相当な若作りですね。47点」
「ホントお前って審美眼厳しいな」
 八戒の審美眼が厳しいなんていつものこと。いつもころころ変わる悟浄の彼女を遠目に眺めては難癖つけている。それで八戒が不細工だったりしたら笑いものなのだが、彼自身が相当な美形なだけあって説得力もあるのだ。ぼうっとした頭でそんなことを考えながら悟空は自分の身体が僅かに左右に揺れているのに気付いた。このままでは本当に寝てしまう。どうにかしなくては――――。
 そう考えていた頃、スピーカーからは司会の教師の、静かにするように、という注意が大音量で流れてきた。瞬間眠気が一瞬覚める。
「次は、――――先生。教科は英語担当です」

 暫く悟空はそのままいた。生徒たちが、登壇した男の教師に色めき立ったようにざわめき始めた。悟浄は何も喋らないところを見ると興味深く見つめているのか。見えづらいのか、八戒も身体をずらして舞台の方を見上げている。優しげで柔和な面差しの、眼鏡を掛けた男だった。黒く、光に透けると僅かに茶色みを帯びる髪は半端に長く、歩くたびにさらりと揺れる。スタンダードなタイプの、極々普通のはずのチャコールグレーのスーツがぴたりと決まっていた。鳶色の両の目が優しく緩められて全校生徒に向けられる。
「悟空、どうしたんですか?」
 様子のおかしい悟空に向かって、八戒が心配そうに声を掛ける。
「……八戒」
「はい」
「い、今の先生、名前、何て」
「え? ……えーと、テンポウ先生、って仰ってたと思いますよ。あれ、テンオウだったかな……それがどうか……」
 悟空の拳は、爪が手の平に食い込むほどに握り締められていた。


 式の終了が告げられた頃から、悟空はそわそわそわそわし始めた。新任の教師たちは説明のためか、もう既に退場している。そんな悟空の様子を心配そうに見つめていた八戒は、悟浄の腕を肘で突付いた。
「どうしたんでしょう、あれ……」
「さあ」
 首を傾げる悟浄に、同じく首を傾げていると、悟空がそわそわした様子のまま、どこか焦ったように話しかけて来た。
「なあ八戒、これからの日程どうなってる」
「え、ああ……入学式のために場所を明け渡さないといけないので、在校生はもう退場してそのまま下校だと」
 既に在校生は退場を始めていて、体育館内はほとんどがらんとした状態だ。パイプ椅子ばかりが規則的に並んでいる。
「じゃあ、も、もういいかな。ここ抜けても大丈夫かな」
「何か用があるんですか」
「うん、あるある!」
 元気すぎるほどにそう答えた悟空に、八戒も圧倒されてしまい、肩を竦めて悟浄に目配せした。
「……いいんじゃねぇの? 式までに戻ってくれば」
 入学式では生徒会の仕事もある。しかし式まではあと一、二時間はある。
「何があったんですか、悟空」
「さっきの先生!」
「テンポウ先生のことですか」
 必死に言い募る悟空に、八戒は首を傾げた。先程の教師が、一体何だと言うのだろう。悟浄はと言えば呑気に「確かにかなりの美人だったよなぁ、男だけど」などと的の外れたことを言っている。
「朝、言っただろ? その……俺の……」
「朝って、あの初恋の……え」
 朝の会話を思い出し、もう一度悟空に意味を尋ねようとした八戒はそのまま口を凍りつかせた。それを悟浄が代弁する。
「まさか……あの人か」
 悟空の首が、縦に大きく振られるのを二人は信じられない思いで見つめた。
「そんなことってあるんですね」
「ははあ……男男って言っても、あれなら小さい頃さぞかし可愛かっただろうなぁ」
「そうなんだよな……て、そうじゃなくて! も、もう、ちょっと行ってくる!」
 悟浄の言葉に返事をするや否や、悟空は物凄い勢いで走り始めた。その背中を八戒は慌てて目で追う。
「どうしたんだあれは」
 呆れたような声で言う悟浄の横で、八戒は何か考えるような顔で悟空の背中を見つめていた。
「ごめんなさい悟浄、僕、ちょっと心配なので追いかけます」
「は!?」
 悟浄は彼が口にした言葉を理解し切る前に、鼻先を通り過ぎて行く風を感じた。無論、八戒が走っていった時に起こった風。置いていかれた、と思ったその時には、二人の背中はもう体育間の入り口近くで。考える間もなく悟浄もまた、二人の後を追った。後で落とされるであろう生徒会担当の教諭の雷は、八戒にどうにかしてもらおうと考えながら。

「八戒!」
「あ、悟浄」
「あいつ、どこに行く気だ?」
「転任してきた先生方は一旦第二職員室の奥の応接間に集められるはずです、だからきっとそこに……」
 悟空のことだから、直接行って確かめるつもりに違いない。悟浄は少し考える素振りを見せた後、八戒の肩を叩いた。
「じゃあ、俺ちょっと第一職員室の方、行くわ」
「え?」
「捲簾が見てっかも知れねぇだろ、あの人のこと」
 なるほど、捲簾が悟空の幼馴染ということは、悟空の初恋の相手であるその人と捲簾も知り合いである可能性が高い。確かにそれは名案ではある。だがしかし、と八戒は先程までの始業式を思い返す。
(でも、教員の列に捲簾先生、いなかったような……)
 そう思って一瞬躊躇ったが、見間違いであれ、と自分に言い聞かせて、悟浄に向かって頷いて見せた。
「じゃあ僕は悟空を追いかけますから、そっち、よろしくお願いしますね」


 その頃、誰もいない職員室の窓からこっそりと外に抜け出し、校舎の外壁に凭れて煙草を吸う男が一人。昨今の学校は全面禁煙だ。スモーカーに冷たい時代が来たものだ、と思いながら、紫煙を青い空に向かって吹き上げる。始業式はフケた。どうせ役割はない。次の入学式は流石に出なければならないだろうが、それまではゆっくりしていられる。校舎からは丁度、校門へとまっすぐ続く桜並木の坂が見えた。
(……そういえば、丁度この時期だったな)
 彼が自分の目の前から、手品のように跡形もなく姿を消したのは。次の日宿題を見せてもらう約束も、週末に遊びに出掛ける約束すらしていた。なのにある日の夕方、いつもと同じ川沿いの道で夕方、いつもと同じように別れたのを最後に、もう二度と彼と出会うことはなかった。アパートの管理人も、学校の担任も、行き先は知らなかった。誰にも言わずに、一夜にして彼が消えた春から、今年で何年になるだろう。指折り数えてみる。
「十年か」
 もう、十年経ってしまった。あの頃中学生の悪ガキだった自分ももう二十歳を過ぎ、こうして教職に就いている。当時よく構ってやっていたチビは高校生になり、何の縁か自分の勤める高校に入学してきた。変わってしまったけれど、あの頃と同じ少年だ。足りないものは、自分たちが一番知っていた。最初は同じ剣道場に通う仲間だった。初めは女と勘違いして喧嘩をして、話しかけても綺麗に無視されたりと散々だった。それでも時間をかけてゆっくりと仲良くなった。そして同じ小学校に上がり、もっと親しくするようになった。そしていつの頃からか、男だと分かっていても好きだと思うようになった。それはあの子供も一緒で。二人とも、あの思い出から完全に抜け切れずにいる。そして魔法のように目の前から消え去ってしまった彼の幻影を見ている。
 白い煙をたなびかせて苦笑する。いつまで幼い頃の甘い記憶に身を委ねているつもりだろう。あの子供も自分も。
 煙草をぐり、と足元のアスファルトに押し付ける。そして吸いがらを携帯灰皿に放り込んで、膝を叩いて立ち上がった。嫌味な教務主任からの小言は避けられまい。さて、どうやって誰にも気付かれずに体育館に戻ったものか、と背伸びしながら考えた。バタバタと遠くから聞こえてくるのは追っ手か何かか。雷が落とされるのは覚悟して、ささっと携帯灰皿と煙草をポケットに仕舞った。しかし、雷は落ちなかった。
「捲簾センセー、いますかー」
 明らかに“先生”を付け慣れていない間延びした口調。
「……悟浄か。どうした」
 ひょこ、と窓の外から顔を出し、職員室の入り口に立っている生徒に声をかける。するとその生徒は呆れたような顔をして職員室に踏み込んできた。それを見て、窓に足を掛けて中に戻る。
「やっぱりアンタここか」
「仕方ねぇだろ、中は禁煙なんだ」
「ってことは始業式、出てねぇのか」
 大きな声を出す悟浄に思わず目を瞠る。彼はこんなことで大声を出すほど真面目な生徒ではない。寧ろ自分と同じくサボり常習犯だったはず。物凄い勢いで自分に凄んで来る彼にたじろぎつつ、捲簾はその肩を押し返した。そして手持ち無沙汰に彼に背を向ける。
「何だ、何かまずいことでもあったのか?」
 何の気もないような素振りでそう訊ねると、一瞬目を瞠った悟浄は、戸惑ったように頭をがりがりと掻いた。そしてぼそぼそと何か話し出した。指先でライターを弄ぶ。
「あのさ、“テンポウ”って名前に聞き覚えねえ?」
 指先がヒクリ、と震えた。カシン、と音を立てて、職員室のタイルの床にライターが叩きつけられる。何も知らないはずの生徒の口から紡がれた言葉に、おかしいほど自分の胸が大きく跳ねるのが分かった。
「何……?」
 振り返った生徒の顔は、何とも言えない微妙な表情で。
「転任してきた教師の中にその人がいたぜ。今悟空が血相変えて追っかけてる」


「……あれ、八戒?」
「悟空、どこに行こうとしてるんですか。転任してきた先生はみんな第二職員室ですよ」
「え? そうなの!?」
 実は当てもなく走っていたようだ。逸れた道を進もうとする悟空の肩を掴んで、三階に昇る階段を指し示す。
「大丈夫ですよ、これからあの人は毎日ここに勤務するんですから。もう消えたりしないですよ」
「だよ、な」
 悟空は急に憑き物が落ちたような顔をして、へらりと笑った。がりがりと頭を掻く悟空に、八戒もほっとしたように微笑む。
「第二職員室、か。何か急に緊張してきた」
「大丈夫ですよ、もう」
「俺のこと覚えてなかったらどうしよう!」
 急に思い立った、というように八戒を見上げてくる悟空に、思わず笑ってしまいそうになった。しかしそれを押し殺して、八戒は悟空のぼさぼさになった髪を撫でた。
「だったらまた思い出してもらえばいいですよ。ね」
「……そだな」
 根が単純で素直な彼だ。八戒の言葉に全開の笑顔を見せて、意気揚々と階段を駆け上がって行く。その背中を見つめて少し笑い、八戒もまた、その背中を追って階段をゆっくりと昇っていった。

「どういうことだ悟浄!」
 悟浄の言葉を聞いてすぐ、物凄い勢いで職員室を駆け出ていった教師を悟浄は呆れた顔をして追いかけていた。
「だーかーらー! 新しい先生の紹介ん時に、“テンポウ”先生がいたんだよ、英語担当だって! つーか結構美人だよな!」
「英語ぉ!? ……って余計なこと言うんじゃねえ!」
 教師が廊下を全速力で走っていいのだろうか。それを追いかけている悟浄もほぼ全速力なのだが、教師がこうしているのだから言い訳は出来るだろう。
「……でー? 誰なんだよ、あの人は!」
「お前に関係ねーだろ!」
「あるっつーの! わざわざ呼びに来てやったのに!」
 ぶつぶつ文句を言う悟浄にも耳を貸さず、とうとう何も話さなくなった彼は真っ直ぐ前だけを見ている。その横顔は今まで授業中でも見たことがないほどに真剣そのもので。その頭の中があの人一人で占められているのだろうことが容易に想像出来た。
(……ははーん)
 何となく人間関係図が頭の中に構成されてきて、悟浄はこっそりほくそえんだ。何だかこれから楽しくなりそうだ。


 そのまま階段を昇り、静かな廊下をゆっくりと歩いていく、三階の一番奥にあるのが第二職員室だ。近付いていくにつれて小さくくぐもった声が聞こえて来るようになった。胸がどくんどくんと鳴っているのが分かる。
「いるかな?」
「いますね、確実に。あれ、教務主任の声ですよ」
 少し硬いこの声は、確かにいつも生徒を厳しく叱責している声だ。教務主任と生徒指導を兼任するその教師は、今時そういないほどに頭が固かった。この声を聞けば顔を顰める生徒がどんなにいるだろう。その一人である悟空もまた、少し腰が引けた。さっきまで校舎内を爆走していたのを見られていたら確実に説教だ。
「大丈夫ですよ。なんだったらあっちの方は僕が引き付けておきますし」
「八戒……」
 身体全体で感謝を伝えてくる悟空に八戒は苦笑いをした。と、急にその笑顔が消え、彼の目が職員室の方へと向けられる。
「悟空悟空、あれ」
「何?」
「あの、前の入り口の方から教務主任と一緒に出てきた人……」
 八戒の指差す方向を、悟空もまた素直に振り返って見る。そこにいるのは、まさしく。
 当たり前だが、背が伸びている。しかし、髪を切るのを面倒がるからいつも少し長い髪の毛は変わっていない。本を読み出すと時間を忘れるから自然と悪くなってしまった視力はそのままか、眼鏡を掛けている。口元に刻まれた穏やかな微笑みは、あの日のままだ。
「……っ、天ちゃん!」
 悟空の声に弾かれたように教務主任の敖潤が顔を上げた。いかにも訝しげな顔をしている。それを追うように、彼の後ろに立っていた男がくるりと振り返って、悟空と八戒の方を見た。その目が自分に向かうのを見たら、思わず駆け出していた。そしてタックルするかのように彼の腰に抱き付く。迷惑か、とか、もしかしたら自分のことを覚えていないかも、なんていうことは既に頭にはなかった。
「孫! 急に何を……!」
 すかさず敖潤の叱責が飛ぶ。しかしそれにも悟空はその腕を緩めようとしなかった。
「孫……悟空?」
 頭の上で、あの頃よりも少し低くなった、それでも優しくて穏やかな声が自分の名前を呼ぶのに、思わずバッと顔を上げた。
「やっぱり天ちゃんだ! 覚えてるよな? 忘れてたりしない? ねえ!」
 口を挟む間もなく喋り続ける悟空に抱き付かれている彼も勿論、隣に立っている敖潤も驚いた顔をしている。しかし、次第に状況が飲み込めてきたのか、抱き付かれるままになっていた彼は、穏やかに笑って、悟空の硬い髪の毛をそっと撫でた。
「悟空、大きくなりましたね」
 後ろから八戒が歩いてきたのが分かった。敖潤が八戒へ説明を求めるように目配せしたが、八戒はそれを小さく笑って器用にかわしたようだった。
「天蓬先生、彼は」
「ああ……すみません、小さな頃、よく遊んでいた友達なんです」
 敖潤の、悟空を批難するような視線に、彼は庇うように悟空の頭に腕を回して抱き寄せつつ笑って言った。まだ少し納得のいかないような顔をする敖潤に、抱き寄せられた腕の隙間から勝ち誇った笑みを浮かべて見せると、彼の額に青筋がクッキリと浮かんだのが見えたような気がした。何だか、それすら彼の腕の中なら楽しく思える。
「あの、式の三十分前にはきちんと体育館に向かいますので……」
「……分かりました、では。……孫、次は反省文だからな」
 にこにこと言う彼に毒気を抜かれたように、敖潤は大人しく引き下がった。昔から彼の笑顔に絆されない相手はいなかったのである。しかし最後に悟空に向かって牽制を掛けていくところは、なかなか侮れない。革靴の足音が遠ざかって行き、殆ど聞こえなくなった頃、彼は優しい声で「もういいですよ」と言った。
「やっぱり天ちゃんだっ、……覚えてなかったらどうしようって」
「そんなわけないでしょう。もう本当に大きくなって」
 くすくすと笑っていた彼は、悟空の後方から向けられる視線に一瞬きょとんとした。そして微笑みながら小さく頭を下げる。
「悟空のお友達ですか」
「あ……」
 そういえばいるのを忘れていた、と悟空は心の中で謝罪しつつ、八戒を振り返った。少しだけ苦笑している。
「先輩なんだ、八戒って言うの」
「三年の猪八戒です。初めまして」
 真面目に自己紹介をして頭を下げる八戒に、彼もまた微笑んで、口を開いた。
「初めまして。今年から英語の担当になる、天蓬です」
 悟空の後ろの方で握手が交わされているようだ。それでも悟空は彼、天蓬から少しも離れずにいた。目を瞑って天蓬の胸に顔を寄せていた。暫くそのままでいたかった。しかしそのうち、先程自分と八戒が昇ってきた階段の方から、どたばたと数人の足音が物凄い勢いで近づいてくるのが聞こえた。顔を上げて、階段の方を振り返った。
「――――……っ、天蓬ぉ!」
 張り上げられたその声に、悟空は思わず「ゲッ」と声を漏らした。勢いを留めることなく走ってきたその男は、天蓬に引っ付いていた悟空を器用に引き剥がして代わりに自分が抱き付いた。しかし彼の場合、天蓬よりも背が高いために抱き付くと言うより抱きしめる格好になっている。
「〜〜〜何すんだよケン兄っ!」
「るせぇ悟空!」
「始業式サボったくせにっ!」
「うるせぇ! あんな実のない校長の話なんか黙って聞いてられるか!」
 眼前で繰り広げられているあまりにも子供のような言い争いに、八戒も、後ろから走ってきた悟浄もぽかんとしてしまう。しかし驚いたのは、次に続いて響いた言葉にだった。
「……捲簾?」
 一瞬一帯が静まり返った。その沈黙で冷静になったのか、悟空と男、捲簾も言い争いを止めた。
「そうだよ」
「何であなたがここに」
「教師だからだろ」
 その瞬間、信じられないと言うように天蓬の顔が引き攣る。それを見て捲簾は心外だ、と顔を歪めた。
「何だよ、おかしいか」
「おかしいですよ!」
「だって、ケン兄ちゃんは天ちゃんに会えるかもって思って、先生になったんだもんなー」
「ばっ!」
 弾かれたように捲簾の拳が悟空の頭に振り下ろされ、悟空がぎゃんぎゃんと喚き出す。それを天蓬が目を大きく見開いて、きょとんとして見つめている。それを後方から並んで傍観していた悟浄と八戒もまた、目を大きく見開いていた。しかし徐々に八戒は納得したような表情を見せ始め、一人で何やらふむふむと頷いている。
「女子の噂は本当だったんですねぇ」
「え、何のこと」
「女子に聞いたんですよ。捲簾先生は、昔連絡が取れなくなってしまった好きな人の夢が高校教師だったから、もしかしたら会えるかもっていう僅かな望みを賭けて教師になった、っていう話です」
「へええ……」
 その噂の正確さにも驚きだが、奥様方の井戸端会議のような女子の会話に、何故か時々極々自然に馴染んでいるこの男が本当に不思議だった。属性は間違いなく“主婦”だ。そして馬鹿正直に話してしまったあまりに拳骨を喰らった悟空といえば、涙目になって捲簾に食ってかかっている。それと同レベルの言い争いをしているのが自分の高校の教師だというのが何だか物悲しい。
「だって本当のことだろー! ずーっとずーっと忘れられなかったくせに!」
「うるせぇよ! 未だに初恋引き摺ってるお子様が!」
 そしてまたも馬鹿正直な悟空は捲簾の反撃をまともに喰らって、顔を赤くして固まってしまっている。おかしいが、何となく哀れでもある。天蓬と言えば眼前で繰り広げられる急展開についていけずに戸惑った顔をしている。
「ちょっと二人とも、僕を置き去りにしないで下さいってば、もっと噛み砕いて説明して下さいよ。悟空〜? 捲簾〜?」
 無視を続ける二人の服を引っ張りながら天蓬が説明を求めているが、無駄である。二人とも照れ隠しに必死なのである。しかし、殆どの生徒が下校しているからいいものの、こんな校舎の廊下のど真ん中で男が男へ愛を絶叫していいものなのだろうか。しかもここは職員室の真ん前である。あれだけ大騒ぎして誰も出てこないのだからきっと職員は皆体育館に向かっているのだろう。
「さて、どうします? 悟浄」
「どうするって……邪魔したら、悪いっしょ」
 本当はここで割って入って救いの手を差しのべるのがベターなのだろうが、散々振り回されたのだ、あと少し傍観しているくらいは許されて然るべきであろう。立ち尽くす八戒と悟浄の前には、世にも奇妙な三角関係があった。
「式、もうすぐなんですがねぇ」
 八戒は廊下の壁に寄り掛かって、窓から外を眺める。いい天気だ。濃い青の空に、柔らかそうな白い雲がふわふわと漂っている。少し下を見下ろせば、学校から続く坂道に綺麗に並んだ桜の木が、道路が見えないほどに咲き誇っている。そうやってぼうっとしていると、隣から悟浄が顔を出して窓を開けた。爽やかで少し甘い風が吹き込んでくる。
「今度の休み、花見でも行くかー」
「そうですねぇ……悟空も誘いますか」
「んー、オマケが二人付いてきそうなんだけど?」
 悟空が連れてきそうな一人と、その一人にくっついてきそうなもう一人。しかし八戒はにこにこと微笑んで手を振る。
「いいじゃないですか。僕も天蓬先生といろいろ話してみたいですし、捲簾先生は車持ちですから足にすれば」
 足……と絶句しつつ、悟浄はもう一度窓の外を眺めた。
「そういや、まさかあのハゲも誘うんじゃねぇだろうな」
「ハゲって言わないで下さい、あの人結構気にするんですよ」
「気にしてんだ」
 その時、一層強い風が吹いて、窓のガラスを風が揺らした。そして外から一枚二枚とちらほら、桜の花弁が舞いこんでくる。
「綺麗ですねぇ」
「風流だねぇ」
 ひた、と悟浄の髪の毛に桜の花弁がくっついたのを見て八戒が笑う。しかし自分を見る悟浄も笑っていることに気付き、頭に手をやってみれば、自分の髪にも花弁がついていたようだった。窓に寄り掛かり、指先に乗せたその花弁を吐息で飛ばす。そしてその唇はゆったりと弧を描いた。新たに吹き込んできた桜の花弁が久しぶりの旧友たちの再会を祝福している。
「今年は楽しくなりそうですね」

 新しい人と昔の恋を連れて、暖かい季節がやってきた。












“あのハゲ”、もとい玄奘先生は生徒会担当です。教科は倫理とか。しかも生徒会長に手を出したと。
日取りとかは捏造です。普通は始業式と入学式は別の日かな。続きはまた今度。       2006/8/7



無駄に諸設定→→
ナタクは悟空の友達(中学から)|捲簾の母ちゃんは肝っ玉母ちゃん、ひとりで定食屋をやってます。しかし捲簾はほぼ毎日お手伝い(厨房担当)|天蓬のパパは仕事が忙しい|なので捲簾のおうちと天蓬は家族同然のお付き合い|だから時々天蓬も定食屋のお手伝い(運ぶの担当)何げに看板息子|捲簾の父は女房の尻に敷かれるタイプ。涙のサラリーマン、燃えろ中間管理職|天蓬の母は他所の男と浮気の末離婚|捲簾の実家は一戸建て、天蓬はアパート(今はもう更地)         2006/08/24追加