真剣な目で好きだと言われた。一瞬絆されかかった。しかし彼は誰にでもそうやって粉をかけて回るのだと思い出した。それで泣かされた女がどれだけいるか考えたら眩暈というより吐き気がした。泣かされて積もり積もった愛が恨みに変わり、軍棟まで押しかけてきた女のことを思い出した。元は本当に艶やかで美しいだろうに、その憎悪に彩られた表情はその美しさゆえに半ば恐ろしくもあった。
 あんな醜態を晒す羽目になるなどとは思っていない。しかし、絶対に騙されて堪るものか。あんな優しい振りをした詐欺師に。

 職務において信頼が置けるからといって全てに関して信頼しているわけではない。彼との信頼関係はそれこそ職務上のものでありそれ以下でも以上でもない。職務中は近づける範囲も、それが終われば許すつもりはない。なのにあの男は許さないプライベートエリアまで軽く土足で踏み込んでくる。人と向き合うのは多少の精神力が必要になる。必要以上の感情を悟られないよう、自分に相手に有利な範囲のみを許す。得意としていたそれが、彼の前で崩れ去るのが憎かった。
 そして天蓬は目の前の食えない笑みを浮かべる男を見上げ、如何にも不快そうに顔を顰めた。
「……職務以外で、僕の部屋に立ち入るなと言ったのが聞こえませんでしたか」
 ああ鬱陶しい。疲れる。このまま部屋から蹴り出してしまおうと思えば、僅かなリーチの差で突き放そうとするその腕を逆に掴まれた。それに早々に諦めを見せ、天蓬は抵抗するのをすぐにやめた。そして俯いたままいる。すると彼は、突然抵抗のなくなった天蓬に不信感を抱いて顔を覗きこんでこようとする。しかしそれからも逃れるように顔を逸らした。
「……怒ってんの?」
「不快がっているんです。見て分かりませんか」
「わかんね」
 感情の機微に聡い彼が分からないはずがないのに彼はひたすら惚けてみせる。そのおどけた口調すら癪に触った。しかし睨み返してしまえば、やっと天蓬が自分の方を見たことに彼は喜ぶだろう。それだけは避けたくて、ひたすら天蓬は顔を逸らしたままいた。
「好きって言ったから怒ってんの?」
「怒っているんじゃなく、不愉快なんですよ。あなたにそういう意味で好かれたことがね」
 彼と抱き抱かれる関係になど、天が引っくり返ってもなり得ない。そもそも自分は彼が自分に抱くような感情を、彼に対して持っていない。それだけで、自分が彼を拒む理由は十分なはずだった。しかし彼は食い下がる。
「職務以外で寄るな触るな。……これで分かりませんか、捲簾大将。尤も、命令とあらば仕方ありませんが」
「……命令して、抱かれてもらうとか趣味じゃねぇんだけど」
「だったらしなきゃいい。僕の腕を放して、出ていって下さい」
「それは嫌だ」
 堂々巡りだ。全く実のない話にうんざりする。自由な左腕を上げ、髪を掻き毟る。フケでも出るかと思ったが、生憎風呂に入ったばかりで髪は濡れていた。ぱた、と髪の毛から水滴が落ちてシャツの肩を濡らした。ああなんて不愉快な。
「何で不快なの? 男だからか?」
「あなただからです」
「え?」
「他の男が相手でも、こんなに不快になりやしない」
 忌々しげにそう告げると、彼は少しの間沈黙した。流石に効いただろうとほっとしていると、不意に自分の腕を掴む手の力が強くなって思わず腕を引きそうになる。
「それは、俺はちょっと特別ってこと?」
「……おめでたい頭ですね。吹き飛ばして差し上げたいくらいです」
「そりゃどーも。……今日は撤収するわ」
 ふと、腕から消えた力に思わず顔を上げてしまいそうになりながら、天蓬は彼の気配を窺った。すると自分から少し離れたところで低く笑う声が聞こえた。それすら不快だ。
「そんなビビらなくていいんだけど……今日は収穫があったからな」
「……何ですか、収穫って」
 嫌な予感はしたものの、一応聞き返してみる。そしてすぐに後悔した。
「俺がお前の中の“その他大勢”には入ってなかったってことかな」
 自分の態度が結果的に彼を調子付かせたことに気付いて、歯噛みした。憎たらしい。不愉快だ。愚か者。幾ら悪口を並べ立ててみても、彼がどうしても“その他大勢”なんかに押し込められない存在になっていることはどうしようもない事実で、その事実が余計に天蓬を不快な気分にさせた。
「……直ちに退室しなさい」
「へーい」
 天蓬の硬い声に対して彼はへらへらとそう返した。ああイライラする。頭が痛い。彼の煙草の匂いのせいでふわふわする。
 あれは詐欺師ではなく、勝負師だ。ターゲットを落とせるかどうかを、自分自身で賭けている。
 周りのいい女を大方狩り尽くした彼が、次の、少し趣向を変えたターゲットとして選んだのが自分だ。それだけのために自分はこんなにも振り回されている。昼も夜も寝ている間も。息の継げる暇がない。このままでは、溺れる。
 あんな醜態を晒すようにはなりたくないと、他人事のように考えていた頃の自分が、今の自分を嘲り笑っている。



『あとどれくらいで落ちると思う?』
(……そうだな、手強いけど手応えはある。満月が拝める頃には、落ちるだろ)
 視線だけで空に浮かぶ薄らとした三日月を見上げた。案外簡単だった。当てが外れた。当分の間の暇潰しにはなるだろうと思っていたが……それも期待出来ない。
(しかし、本当に落ちたらどうするんだ?)
 ふと思った。しかしそういうことは終わってから考えよう、と口元を綻ばせた。決して難しい相手ではないが、手応えはある。そして面白い相手でもある。落ちたら落ちたで、楽しそうだ。
(……悪くない)
 少しくらい、楽しむのも。
 微笑む三日月の下で酒を舐める。さながら勝利の美酒のようだった。










元帥はツンツンツンデレです(かわいくねぇ)。大将が大層無邪気に性悪で、本当に申し訳ない。