気が付いた時には彼をベッドの上に押し倒していた。彼のベッドは枕元やシーツの上など至るところに固いハードカバーの本がごろごろと無造作に置いてある。自分はともかく彼がそれで痛い思いをすることがないようにそれらの本をベッドの下に落としながらもその身体が自分の下から逃げていかないように拘束した。自分では随分と乱暴に扱うくせに、彼は自分の本に乱雑な扱いをする捲簾を見て呆れたような目をした。しかしすぐに手の掛かる子供を見るような愛しげな目をして、伸ばした手で捲簾の頭を撫でて髪を梳いた。
「僕の大事な本を、手荒に扱わないで欲しいですね……捲簾君」
「あんただって平気で放り投げたり、裂いたりするだろ。不機嫌な時」
 ふふ、まあそうですね。まるで男に無理矢理押し倒されたという状況下にいる人間の表情ではない。穏やかに、綺麗に微笑んであまつさえよしよしと大きな犬でも可愛がるように掌一杯に撫でてくるのである。普通、突き飛ばすだとか蹴り付けるだとか。彼が見た目以上に強靭な肉体を持っていることを知っている。この見た目で空手部副主将だという。自分の方が身体が大きいとはいえ、彼なら容易に自分を吹き飛ばすことが出来るだろうに、どうしてしない。胸の鼓動が大き過ぎて息が苦しい、耳の血管が張り裂けそうなくらいの拍動を伝えてくる。拍動の音が煩過ぎて外音が聞こえない。彼の声をもっと聞いていたいのに。
 捲簾の髪を撫でていた彼は、その白い手をするりと頬に滑らせる。体温の低い手が頬に触れてざわりと身体全体が騒いだ。その仕草は自分の中に灯った火を煽り、大きくするばかりだ。無意識とは、思えない。捲簾君、と再び囁くように呼ばれて、捲簾は鼓膜をぴりりと震わせられた。
「……したいですか、僕と」
「うん」
 子供のような返事をしてしまった、と後悔する前に、彼は小さくふふっと笑い声を漏らした。そして「いいこいいこ」とでも言うように捲簾の頭を撫でた。そして頬に添えられていた手を滑らせて捲簾の首の後ろへ回した。敏感なウィークポイントをなぞられて、更に自分の中の『火』が燃え盛るのを感じた。
「男としたこと、あるんですか?」
「ない」
「おや、じゃあ痛いかも知れませんよ」
 その言葉の意図するところに思い当たって、これは早めに誤解を解かなければと捲簾は唸り声を漏らした。珍しく歯切れの悪い自分に苛立って舌打ちをしたくなる。しかし紛れもなくこれは、彼への思いが自分の喉を麻痺させた結果である。
「あー……そう、じゃ、なくて」
 ん? と首を傾げて微笑むその男の愛らしさに絶望して、胸が締め付けられるようだ。一つ年上の、美しく変わり者の同室者はそうして捲簾をしっかと自分を捕らえて止まない。潤んだ、揺れるコーヒーカップの水面のような綺麗な眸。その美しさを表現出来るほどの語彙がないことを悔やんだ。丁度、男が男らしくなってゆく時期の真っ只中にいるはずの彼は、不思議とその影響を受けずにいた。
「あんたを、抱きたい。俺が」
 ふふ、と彼はまた微かな笑い声を漏らした。そして首の後ろに回した手で、捲簾の顔を自分の顔にぐいと近付けた。そして、唇と唇が十センチほど、という距離でにっこりと微笑み、囁くように「よかった」と言った。
「僕、男は抱けないんです」
 唇に彼の吐息が掛かって、まるで口付けているような感覚を味わった。その唇にむしゃぶりつきたいような、どうしようもない欲が顔を出して止まないが、『待て』をされた犬のように手を出せないままでいた。大人しくお利口にその距離を保っていると、彼は少しつまらなさそうに眉根を寄せた。
「キスして、くれないんですか?」
 拗ねたような顔をして、唇を少し尖らせてみせる彼に、それを許可と取ってもいいのだろうかと、餌をちらつかされた犬のように挙動不審になってしまう。その唇の感触はどんなだろうと考えては鼓動を高めている自分は立派な変態であろう。そんな自分を黙って見つめていた彼は、また小さく微笑んで捲簾の頭を自分に引き寄せた。自分自身では測れないけれど、きっと唇の距離は一、二センチほどしかないに違いない。
「自分から仕掛けられないほど子供ではないでしょう?」
 魅惑的に動く唇に、もうこれ以上の『待て』は自分には通用しない、と悟った。その唇に齧り付くように口付けると、その唇は受け入れるように柔らかくとろけて捲簾を受け止めた。その柔らかさに酔って、熱さに浮かされて、もう自分の身体が彼の意のままにされていくのがじんわりと頭に染み渡ってゆく。鼻に届く甘い香に、自分によく似た温度に、まるで彼と溶け合ってしまうような気がした。










舞台は全寮制学校、転校生の捲簾(一年)が天蓬(二年)の部屋に入居することになったという経緯です。