不幸と言うほどではない。ただ、何故か昔からどことなく、何気なく、ついてない。
 二十云年生きてきたが、「あれ、あの時のあれって実は貧乏くじだったのか?」と後になってから気付くことがよくあった。世話を焼かずにおれぬ体質で、小さな頃はお菓子を地面に落としてしまった友達や弟に自分の分をそのままあげてしまったり、喧嘩の仲裁に入って何故か自分が批難されたりということがしばしばあった。女からのストーカー被害に遭っていた友人の代わりに女を説得しようとした時は自分が惚れられ余計厄介なことになった。本当に、不幸なわけではないのだった。食べることに困ったことも、両親が不仲だったことも、いじめに遭ったり事故に遭ったり大きな病気をしたこともない。ただ、単純にちょっとだけ、ついてないだけで。急いでいる時に限って悉く信号に引っ掛かったりとか、そういうレベルの問題。
(そ。それだけ)
 会社を出た男は、そう自分に言い聞かせて今日も家路につく。
 現在はフリーで、帰りを待つ者もいないマンションに一人暮らし。と言えば淋しい感じもするが、本人は然程気にしていない。友人は多く、度々その友人たちからも誘いは掛かる、同僚たちとの仲も良く何一つ不自由はない。今日も部下のミスの穴埋めでこうして残業してしまったが、別に家にいても同じようなものだから気にしていない。不自由のない代わりに、少しだけ物足りなさは感じていたけれど多くを望むのは我儘と言うものだ。十分な暮らしをしていられるのだから幸福な方だろう。
 明日も休みが取れた。一日くらい何もせずにゴロゴロしていたって怒られまい。そうだそうだと自分に言い聞かせ、男は今日も電車に揺られ周りに押しつぶされる。他人とこれほどまでに密着することに慣れてしまったのは悲しい限りだ。ドアにぎゅうぎゅうと押し付けられるような姿勢で溜息を吐いた。酒を呑んで帰る会社員の酒臭い息、女の強い香水、煙草、全ての混じった淀んだ空気に、男はドアに凭れて窓の外を見た。窓から見た縮小された都会が目に眩しい。少し前まで自分もあの中に紛れていたのだろうと思うと不思議だ。
 特に幸せでも不幸でもない平凡な日々が続くことは、幸せではなかったのだろうか。

 満腹の電車から吐き出されて階段へと流れ込む。周りに押されるがままに階段を降りて、気が付いたら駅のコンコースに佇んでいた。
 また彼女でも何でも作ればこの平凡な日々から抜け出せるだろうか。しかしそれすら面倒になっている無気力な自分がいた。女のテンションについていけないとは、自分も歳を取ったものだと思う。まだ一応二十代すれすれだというのに。
 駅を出ていつもの道を進む。スーパーに寄って食材を買わなければ。明日食べるものも買って帰って、明日一日は家でじっとしていよう、と親父臭いことを思った。誰もいない街路を歩けば自分の足音以外聞こえない。ぽつぽつと地面を照らす街灯を見上げて、周りに集る羽虫に顔を顰めた。足早に街灯の下を通り過ぎ、溜息を吐きながら元のペースに戻す。
 味気ないのだ。歳を増す毎に世界から、幼い頃は見えていた鮮やかな色が消えていく。それが当たり前のことだと思うようになってしまったのが問題だった。当たり前ではない、異常なのだ。それを、心が否定してしまう。
 ふと、足を止めた。道が違う。確かにいつも通りの道を歩いていたはずなのに、見慣れぬ道が目の前に続いている。ぼうっとしていてどこか曲がる角を間違ったのだろうか。有り得ない。毎日通る道だ。ずっと下を向いていたって間違うはずがない。辺りを見渡してみても、見覚えのある建物はない。
(この歳で迷子たぁ……)
 全く笑えぬ話だ。
 苦々しげに溜息を吐いて、一歩ずつ歩き出してみる。そう遠くは来ていないはずだ。歩いていればどこかには出る。そう思ってゆっくりと歩き始めた。辺りに金木犀の香りが漂っている。見上げてみれば、近くの生垣に黄色い花が沢山付いていた。何故夜なのに咲いているとか、そういうことにその時、思い至ることはなかった。
 暫く歩いていると、道の向こうに何やらオレンジ色の暖かな光が灯った家があるのが見えた。家、ではない。小さな店だった。木の、メルヘンな世界に出てきそうなドアに木製のプレートが掛かっており、「OPEN」と書かれている。中は小ぢんまりとした雑貨店のようだった。男はそこへ足を踏み入れる。さっさと帰って寝たいと思っていた。それは今でも変わらないのに、その店の前を黙って通り過ぎることが何故か出来なかったのだ。

 中は綺麗なものだった。木目の床に、テーブルも全て木製だ。引いてある布が控えめなチェックだったりと女の子が喜びそうな店だ。しかし客は他に誰もいない。それどころか店の主人も姿を見せない。もしかしたらプレートをひっくり返し忘れただけでもう閉店時刻なのでは、と思ったが、閉店した店に電気が付いていてドアも開け放たれているのはおかしい。そんなことをおぼろげに思いながら、男はゆっくり店内を見渡した。その一角にふと目を奪われ、足を向ける。店の隅の、小さなテーブルに青と白のギンガムチェックのテーブルクロスが引かれていて、その上に小さな木箱が置いてある。蓋の開いたままのそれの中には、ちょこん、と幾つかの指環が並んでいた。細い銀のデザインの中に小さな石が嵌め込まれた極々シンプルなもの。しかしどうしてか、その指環に惹かれてやまなかった。その中の一つ、明るい褐色の石が嵌った指環に惹かれ、ゆっくりとそれをケースから持ち上げてみる。
「何かお探しで?」
 急に声を掛けられ、男は思わず手に取った指環を取り落としそうになった。しかしすんでのところで止まり、背後を振り返る。
「あ、いえ」
 振り返った先にいたのは、一人の老婆だった。きっと店主だろう、と男は小さく会釈した。老婆はそれに微笑み返し、男の手にしている指環に目を留めた。そして優しくその目を細める。
「それが気になりました?」
「え……ええ、少しだけ」
 そう言うと、老婆は嬉しそうに笑って男へ手を伸ばした。それにつられるようにして男は手にしていた指環を老婆のその手に落とす。すると彼女は指環を持ったまま奥のレジスター(それもレトロなものだ)の下へ手を伸ばし、小さな袋を取り出して、その中へ指環を入れた。
 その動きを呆然と見ていた男へ、老婆はその袋を差し出す。
「いえ、でもお代は」
「いいんだよ。儲けるためにしているんじゃないんだ。石はね、自分の主人を呼ぶんだよ」
「呼ぶ?」
 首を傾げて訝しげな顔をすると、老婆は神妙な顔をして頷いた。
「あなたが偶然この店にやってきてこの石に惹かれたのも、きっとこの石が呼んだからよ」
 再び袋を差し出してくる老婆から、恐る恐るその袋を受け取る。僅かに手の平が温かくなったような気がした。



++++



 その後、老婆に見送られて店を出た。一度振り返ってみると、店の前で小さく手を振っている老婆と目が合って軽く手を振り返した。そして数歩歩いた後、何か言い知れぬ不安に駆られてもう一度振り返る。……そしてもう一度前を向き、更に歩く速度を速めて歩き出した。笑えない。“あなたの知らない世界”か“世にも奇妙な物語”か? と笑い飛ばしてしまいたいがそういう気分にもなれなかった。振り返った先に、数秒前まであった店がなくてそこは更地だったというのだから、冗談じゃない。ポケットの中の袋を感じて、ぞっとした……と言いたいところだが、ポケットの中は何故か僅かにほんわかと温かかった。
「おかいもの、してかえらないんですか?」
「そんな気分になれっかよ」
「えー」
「えーじゃない……。……」
 てっきり自分の心の中で自分の声が話し掛けてきたのだと思っていた。しかし自分は確かに声を出して返事をしたようだったし、こんなにはっきり自分の心と対話することなんてないだろう。何だか物凄く嫌な予感がした。そして何故か、視界の端にふよふよと動く白い何かが見える気がした。……飛蚊症ということで自分を誤魔化すことにした。しかしそんなに生易しい相手ではなかった。
「むししないでください、えい」
 えい、と可愛い掛け声と同時に、何か小さいものに後頭部を殴られたような強い衝撃を感じた。そして思わず頭を押さえて振り返ってしまい……やはり後悔した。こういう時は背を向けずに後ずさりしながら逃げるのだっただろうか。それは熊か。
 にこー、と呑気な笑顔に迎えられて、思わず“それ”をじっと見つめ返す。
 大きさは凡そ二十センチほど、形は少し頭身が低いものの人間とほぼ変わりない。そして、ふよふよと空中に浮いている。
(とうとう幻覚が見えるようになったのか、俺は)
 少々仕事のし過ぎで疲れているのだろうか。今夜は美味いものでも食べてぐっすり寝よう、と心の中で区切りをつけて、男はくるりと“それ”に背を向けて家へ向けて歩き出した。
「まってくださいー」
 ああ幻覚がどこまででも追いかけて来る。一体どうしろと言うのか。ゆっくり風呂でも入れば直るのか。それとも心療内科に直行か。そんな風に考えている内に、その小さいものは浮かびながら男の前方へと移動してくる。そして男の目鼻の先に近付いてきた。
「まちなさい」
「……どちら様?」
「やだなぁ、さっきあなたが買ったじゃないですか」
 かう、買う? いや、女ですら買わないのに何でこんなちっこい妖精みたいなのを買わなきゃならんのだ。そんな風に思ったのを悟ったように、その小さいものはふわふわ浮きながら男のスーツのポケットに近付き、その中を指差した。
「だしてください、これ」
「え?」
 指差されたポケットには、先程老婆から渡された袋が入っているだけだ。それをそっと取り出し、袋を傾けて中身の指環を、手の平に転がした。するとその小さいものは嬉しそうにその指環に近付いてそれを小さな身体で一生懸命に持ち上げた。
「つけてください」
「は? ……え?」
 うんしょうんしょ、と一生懸命その指環を抱えてくるそれに促されて、少し迷いつつも右手の薬指にその指環を通した。そういえばサイズのことなど何も考えていなかったのに、その指環は自分のために誂えられたかのようにぴったりのサイズだった。男が指環をつけたのを見て、満足そうに腰に手を当てていた小さなものは、何か大きな仕事でもやり遂げたかのように汗を拭く仕草をした。
「ふう、ようやくここまできました」
「……どういうこと? お前は何?」
「ぼくはそのゆびわのせいの……すてようとするな!」
 咄嗟に指環をもぎ取り遠くへ投げ捨てようとした男のこめかみに強烈な飛び蹴りが炸裂する。そして、さっきの後頭部への衝撃はこれのせいか、とやっと男は理解した。こめかみを擦りつつ、頬を膨れさせてご立腹の様子のそれを見つめる。
「俺、面倒には係わりたくないんだけど」
「めんどうとはなんですか。せっかくあなたのさえない人生にひかりをなげかけようとしてるのに」
「冴えなくて悪かったな。っていうか何で知ってるんだ」
 そういえば、その小さなものは両手を腰に当てて少しだけ誇らしげに、もったいぶるように咳払いを一つした。
「ちいさいころ、おとうとかばってかわりに階段からころげおちたことあるでしょうー?」
「そうそう、あれ痛かった」
「しょうがっこうで、友達からあずかったラブレター、わたした子にじぶんからだとかんちがいされたことありますよねぇ」
「ああ、あれは板挟みで辛かった……お前はストーカーか」
 うっかりそう口にすると、それはますます膨れて今度はその小さな両手でぎゅうぎゅうと耳をひっぱりにかかる。
「痛て! ちょ、離せ!」
 虫でも払うかのように耳元を払うと、その手が当たる前にそれはふわりと上昇して逃げた。そしてフン、と顔を顰める男を鼻で笑って、その小さな胸を張った。
「だから、ひごろがんばってるあなたにささやかなしあわせをあげようと、こうしてぼくがわざわざきたんじゃないですか」
「……幸せぇ?」
「そうです」
「いらね」
「は」
 その小さなものは、男の返答に呆気に取られたように目を瞬かせた。黒の眸がぱちぱちと瞬く。
「……どうしてですか」
「だって、幸せってどんなもんか知らねぇし」
 そう呟く男に、小さなものは静かにその目を向けた。
「あなたがしあわせだなぁっておもえる瞬間が、しあわせなんですよ。ないんですか? そういうこと」
「……酒呑んでる時とか?」
「そんなくたびれたリーマンみたいな」
「くたびれたリーマンなんだよ、実際」
 そう言って力なく笑う男に、小さなそれは真っ直ぐ視線を向けていた。しかし次第に飽きたように、小さく肩を竦めて息を吐いた。
「まあどうでもいいんですけどね。あなたがけっこういいことをたくさんしてるということで、あなたにしあわせをつかむチャンスが到来ー」
「何だそのやる気ない言葉」
「これを言うきまりなんです。なので、とりあえずこれからよろしくおねがいしますね。なまえは?」
 男の戸惑いもお構いなしに、そう言ってそれは男を指差した。促されるように自分の名を告げると、頷いたそれはちょこん、と男の肩に着地して、両腕で肩にぶら下がるような格好になった。そしてトントンと肩を叩く。
「さ、かえりましょうーおなかすきましたー」
「……ちょっと待て。俺、化物とか見える素質なかったはずなんだけど」
「だれがバケモノですか! いったでしょう、ぼくはそのゆびわのせい」
「せい? せいって、妖精とかの精?」
「そう、ちなみにぼくはそのゆびわからはなれられないので、つねにもちあるいてくださいね」
 にこにこと笑いながら、自分の肩に乗っかっている小さなものを、男は不思議な気分で見つめた。自分の顎を指でなぞりながら、自分の左肩を見下ろした。
「……幸せにっつったって、お前は何が出来んの?」
「なにをって、あなたがのぞむことならひかくてきなんでも……あ、だれかをころすとかはんざいめいたことはナシですよ。あと世界征服とか」
「しねぇよ」
「……っていうか、うたがってませんか」
「疑うよ、そりゃそうだろ」
 その言葉にムッとしたように、それは眉を顰めた。そして何か思いついたように、少し離れたところにある道端の花を指差した。そして男の肩から離れて、その花の傍へと向かった。それを追うように男がその花の近くにしゃがみ込むと、「よく見てて下さいね」と言ってそれはすっかり萎びてしまっている花だったものへ両手を翳した。手の平の中が不意に橙の光を灯したような気がした。そして辺りが僅かに暖かになる。
「たとえばあなたがこのかれた花だとしてー」
 男の目の前で、枯れた花は萎びた茎を擡げ、すっかりしわしわだった薄桃の花弁が活き活きして開いてゆく。ものの数秒で、その小さなものよりも背の高い花が見事に咲き始めた。
「それが、こう、むくむくとね」
「むくむくって言うな……」
「じゃあもりもりと。げんきになるわけですよ。それがぼくのしごとです」
 ね、とその小さなものは、たった今自分が蘇らせた花の茎に手をかけて笑った。

 その後それは再び男の肩に戻ってきて、ぺたりと伸びた。もうかえりましょう、と言うこれは、もうすっかり自分の家にいつく気分でいるに違いない。これが指環から離れられないのなら今この指環を捨てればこれは自分についてこられない。
「かえらないんですかー? よるごはんなんですかー?」
 興味を惹かれて、その小さなものへ指を伸ばしてみる。黒い髪の頭をツンツン突付いてみれば確かに実体がある。突然のことにきょとんとしたそれは、首を傾げて男を見上げた。上着か何かかと思っていた服は、どうやら白衣のようだった。なんちゅうセンスだ、と思ったがどうにも憎めない風体をしている。妙にサイズの大きな眼鏡をしていて、ずるずると下がってくるのを盛んに上げようとしている。
「……お前、名前は?」
 そう、最初は変わったペットでも飼うような感覚だったのだ。



++++



 ちなみにまわりからぼくはみえないので、このままだとあなたあやしいひとですよ。
 そう言われて思わず周りを見渡してしまった。幸い建物のない路地で人が通ることもなかったので、一人何かに話しかけている怪しい自分の姿を見られずに済んだようだ。
「けんれんけんれん、ごはんはなんですか?」
(お前、さっきからそればっかりだな……)
「あそこの店におかれてから、ずっとなにもたべてないんです」
(どのぐらいよ)
「にしゅうかんくらいですかねぇ……ずっとあなたをまってました」
 その言葉何か恥ずかしい、と思いながら、いつものスーパーへ足を踏み入れ、目をやることもなくいつもの位置にある籠を手にする。そして道形に進み、夕飯に必要な野菜や肉類を籠に放り込んでいく。それを肩にぶら下がったまま見ていた小さなそれは、呟いた。
「……ん、青椒肉絲ですね」
(よく分かるな……っていうか、食ったことあんの?)
「ええ、せいぜんに」
(……え、せいぜん? 生前?)
「まあまあそれはおいといてください。それよりごはんー」
 ぱたぱた肩を叩く彼に急かされ、卵を買い物カゴに入れる。そしてレジへと急いで歩いていった。

 家に着くととりあえずそれを摘み上げて風呂へ入った。じたばた暴れて逃れようとするが、指輪をつけているのは捲簾なので、幾ら逃げようとしても自然に彼はついてきた。服を脱いで洗濯機に突っ込み、シャワーを出した。しかしシャワーの湯の勢いに小さなそれ――名前はてんぽうというらしい――はふっ飛ばされそうになっている。
「わー! けんれんおちるー!」
「あ、悪ィ」
 再びそれを摘み上げ、それを湯桶の中に入れた。そして目を瞬かせるそれに両手を伸ばし、その小さな白衣を剥ぎに掛かった。
「いやーけんれんのへんたいー!」
「棒読みじゃねぇか、二週間黙ってあそこにいたってことは相当汚ぇんだろうが」
「いえいえ。ゆびわの中にはすめるばしょがあるんで、そこにシャワーも……」
「でもしてないだろ」
「はい」
 素直に項垂れるてんぽうに笑いつつ、その湯桶の中に勢いを緩めたシャワーで湯を溜め始めた。そして彼が肩まで浸かったところで入れるのをやめる。
「熱いか? 水足す?」
「いえ、いいゆです〜」
 桶の縁に両腕を掛けて垂れながら、てんぽうは気持ち良さそうに息を吐く。その隙に捲簾は人差し指の先に少しだけシャンプーを取った。そしてそれをタイミングを見て、それの髪に擦り付けた。すると突然頭の上に乗った何かに天蓬は驚いたように身体を起こす。 「なにつけたんですか!?」
「シャンプー」
「なー! じぶんでできます、ばかー!」
 暴れる身体を制して、両手の親指人差し指中指で摘むようにしてその小さな頭を洗う。最初こそ暴れていたてんぽうは、次第に抵抗しなくなり最後にはぼうっとマッサージでも受けているかのような顔になっていた。
「……気持ちい?」
「きもちいいです……じょうずですね」
 何か卑猥だ、と思いながら彼の頭に再びシャワーをかける。そして濡れた仔犬のように全身を震わせた。そしてぱちぱちと瞬きをする。
「……ぼくはいいんですけど、あなたかぜひいちゃいますよ」
 そう言われて、やっと捲簾は自分の頭からシャワーを掛けた。替えてもらった湯の中で満足そうなてんぽうがじっと見上げていることに、何だか不思議な気分になって顔を逸らしてしまった。











パラレル第三弾。捲簾はそこらにいる大学生の予定だったんですが、いつの間にかくたびれたリーマンになっていました。   2006/09/30
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精霊……不慮の事故、自殺などで亡くなった魂を神が気まぐれに掬い上げて生成したもの。指輪の石へと宿らされる。石の中には居住空間があるが、てんぽうの場合本がぎっしりの物置になっている。チビサイズ(体長20センチほど)と人型へ変化できる。人型の場合主人以外にも見える。