目の前の青年の顔が一瞬強張り、目は瞠られる。そしてその翠の瞳がじわりと濡れるのを、遣る瀬ない想いで見つめていた。
「結局、三蔵は悟空の方が大事なんでしょう? 分かってましたけど……」
 掠れたその声に三蔵の指先が冷たくシクリと痛む。濡れた翠玉が自分の不甲斐無さを責めているようで、目を合わせることが出来ない。それを肯定と取ったのか、八戒はますます悲壮に満ちた表情になった。
「……もう、いいです」
「八戒」
「あなたなんて、好きにならなければよかった」
 やっと顔を上げて見た彼は、その秀麗な顔を歪めて唇を噛み締めていて。翠玉はじんわりと濡れ、涙の雫が目尻に溜まっている。その目に浮かぶのは、諦め。その涙を拭ってやりたくて、頼りなく立ち尽くすその肩を抱き寄せたくて。手を伸ばす権利が今自分にはないと分かっていて、腕を伸ばした。しかしその自分の手が、震える肩に触れる前、そして彼の目に触れる前に、彼はさっと身を翻して、大きな音を立ててドアから出ていってしまった。
「八戒!」
 バタン、と大きく音を立てて厚いドアが閉まる。すぐに追いかければいいのにそのドアが、自分から八戒を守っているようで。八戒をこれ以上傷つけるなと。もう触れてやるなと。
 元々相容れる筈のない二人だった。僧侶と罪人。そのどちらもの手が血に塗れていたからといって、だから二人は仲間だという訳ではなかった。性格は合わない。ぶつかり合うことも度々だった。きっとああいう緊迫した状況下での緊張を、恋愛感情と勘違いしたのだろう。そう考えてしまえば全て話が通る。罪と同時に彼はきっと三蔵にも縛られていたのだ。
 解き放て。
 もう余計に苦しめる必要はない。
 彼はこれから悟浄のいる家に帰るだろう。そうしたら思い切り自分の悪口を言って、泣いて、泣いて。そして悟浄に撫でてもらって、抱き締めてもらって、慰めてもらって。そうして仲良く暮らせばいい。
「勝手に、すればいい……」
 知ったことか。あんな我侭で、意地っ張りで、何を考えているのかもさっぱりで……情緒不安定だしどこかの母親のように口煩い。そんなやつ、どこに行ったって……。
 そこまで考えて、目を伏せた三蔵の瞼の裏に、先程の姿が蘇る。
 泣かせた。泣かせるつもりはなかった、は決して言い訳にはならない。そう簡単なことで彼が泣くはずはないのだ。
(追いかけなければ)
 追いかけてどうするだとかそういう事は考えられないけれど、とりあえず悟浄があの震える肩を支えるのだと思ったら居ても立ってもいられなかった。三蔵はとりあえず執務机の引き出しを閉めた。ドアから出て八戒を追いかけたのでは僧たちに捕まって時間のロスに繋がってしまう。窓から出て庭を突っ切って門前に先回りするのがいいだろう。そう考えて身体を起こし、三蔵は身体を窓側に向けた。

「―――――――っ!」
 寿命が何日か縮まった気がする。いや多分縮んだ。
 窓の外には、先程背後のドアから出ていったはずの男とそっくりの、しかし服装はまるっきり違う男が目を瞬かせながら突っ立っていた。
「……おやおや」
 声も似ている。……ではなく。
 窓の外に立っていたのは、八戒に面差がそっくりな青年だった。それでも彼より髪が長く、肩の辺りでさらさらと揺れている。服装は、この辺りでは見かけない……軍服、だろうか。黒一色で襟が詰まったデザインのものだ。少々野暮ったい眼鏡越しの、ぱちぱち瞬く瞳は少し愛嬌がある。長い睫毛もちょんとした小さな唇もそっくりである。
「……貴様は」
「あーすみません、ちょっとお伺いしたい事があったんですけどね。いえ覗きじゃないですよ、偶然この部屋を覗いたら修羅場が繰り広げられてたのでついじーっと観覧を……いえだからわざとじゃないんですよ」
 ぺらぺらと達者な喋り口までそっくりで。但しそれなりに此方も図太そうだ。
「……何だ」
「あのー、ここはどこですか」
「……ここは長安だ」
「は」
「長・安・だ」
「……チョーアン」
 そう三蔵の言った事を復唱した青年は、あー……と呟き顔を顰めて、頭を抱えた。そして小さく舌打ちをする。
「……やっぱ落ちてきちゃったんですね」
 チッと舌を鳴らして、青年は小さな桃色の唇を尖らせた。
「お前……」
「あはは、すみません。ちょっと迷子になっちゃったみたいです。連れがもうすぐ迎えに来てくれると思うんですけど」
「……?」
 あははと軽く笑った青年に、三蔵は眉を寄せる。それに青年は小さく笑うと、すぐに背を向けて庭の奥の林へ向かって歩いていく。三蔵はどうしていいのかも分からなかったが、どうにもその青年には興味を引かれるところがあったので、溜息を一つ吐くと窓枠に足を掛けてひらりと部屋から飛び出た。
「……おやぁ?」
 頭をガリガリ掻きながら不思議そうに振り返った青年は、三蔵の姿をその目に捉えてまたぱちぱちと瞬きした。
 この青年は一見温和を装っているが内に秘めているものはそれには収まらない熱く鋭いものだ、と三蔵は思った。彼が自分の気配を察知したときの鋭い空気がその証拠だ。見た目はよく八戒に似ているが、纏っている雰囲気は似ているようで微妙に違っていた。簡単に言えば、八戒よりも心の内の読めなさ加減が強い。何も考えていなさそうなぼんやりした雰囲気と触れなば切れんというような雰囲気を一瞬で擦り替える様は見事だ。軍服を着ているのもコスプレ趣味と云うわけではなさそうだ。かなり場慣れしていると思われる。ぼんやりとした空気を漂わせつつ、身のこなしは一々素早い。腰の剣からして物騒だ。恐らく真剣だろう。
 本当に軍人なのか。しかしどうしてここに軍人がいるのだろう。第一、こんな軍服のデザインは見たことがない。
「何か?」
「……お前は何者だ」
「名乗った方がよろしいので?」
「名前はいらん。何者かを聞いている」
「僕は天蓬ですけど」
「……答える気がないだろう」
 飄々としたところは八戒によく似ていたが、彼の場合八戒の倍増しくらいに掴み所がなかった。それどころか此方が遊ばれているような気にさえなる。それに顔を顰めつつ、三蔵は質問を変えた。
「……何処から来た?」
 そう問うと、目をぱちくりとさせた青年、天蓬はにっこりと毒気のない笑みを浮かべて、黒の手袋に包まれた右手の人差し指をスッと立てて見せた。
「上から、です。落っこちてきちゃいました」
「……脳か精神の病気か?」
「いえいえご心配には至りませんよ、マジですし」
 笑って首を振る青年は、太陽の眩しさに目を細めた。そしてきょろりと林の中を見渡した。すると少し長めの黒髪がそれにならってさらりさらりと揺れる。その時。
 走った電気のようなものに無意識に三蔵は顔を顰めた。
 既視感だ。
 いつか、確かこんな風にさらさらと揺れる黒髪を見たことがあった。揺れる黒髪の奥に、長めの睫毛に縁取られた深い水の底のような瞳がある。伏せ目がちにされたそれは少し遠慮がちでもあって何だか無性に苛立つのを押さえられなかった。
 そうして三蔵が彼から目を逸らすことが出来ないまま立ち尽くしていると、青年はふうと残念そうに息を吐いた。そして林の入り口に咲き誇るマグノリアの木を見上げた。大振りな白い花びらを湛えた見事な白木蓮である。
「残念、桜の時期は逃したみたいですね」
「桜が好きなのか」
「ええ。あの潔さがね、好きなんですよ。あの生き様が」
「ああ」
「あ、分かります?」
 三蔵が賛同するように相槌を打つと、青年は嬉しそうに笑って肩を竦めた。軍服を着てはいるが、あまり似つかわしいとは思えなかった。似合ってはいるのだが、軍人と言うには少し細すぎる身体のラインがそう思わせたのかもしれない。口を閉じて真面目な顔をしているのとは違って、愛想の良い笑みを浮かべると一気に何歳か若くなったかのように思われるほど幼くなった。
 髪や服の、黒一色という色彩が余計に細さを引き立てて心許なくなる。さらりさらりと肩の上で揺れる黒髪が風に煽られて乱れていく。それを見る度に何かが自分の頭を掠めるのに、それが何だか分からない。
「マグノリア、ということは……ああ、桜にはちょっと遅かったんですね」
「桜は少し前に散ったばかりだ」
「そういうところも、好きなんですけど」
 そう言って笑う青年の顔が何だか眩しくて、三蔵は目を眇めた。

「……お前の連れも、上から来るってのか?」
「ええ、多分天馬で迎えに来てくれると思うんですけど。……来てくれる、かなぁ〜……?」
 少し悩むように小首を傾げた青年に呆れたような視線を向けると、彼はぷうっと頬を膨れさせた。そして何か悪戯を思いついたかのようににっこりと笑った。
「さっきの彼、追いかけなくていいんです?」
 その言葉に三蔵はふと我に返った。そうだ、八戒を追いかけなければならなかったのだ。……が、もう八戒がここを出てから何分も経ってしまっている。彼はジープで来ていたから、今から三蔵が徒歩で追いかけたとてたかが知れている。
「テメェが窓の外で突っ立ってやがったからだろうが……!」
「え、僕のせいですか〜? 酷いなあ。自分の甲斐性なしを僕のせいにするんですか?」
「どこから見てたんだお前は……」
 呆れたように顔を引き攣らせると、青年はしてやったりとばかりににっこりと微笑んだ。それはそれは美しい笑みで、そんなところまで八戒を髣髴させる。この男は何者なのか。いや、上から落ちてきたと言っているだけに、はっきりした性別も分からない。
 誰なのか、分からないはずなのに、どうしてこんなに親しく話すことが出来ているのだろう。会ったことがある? 何時何処で? もっとずっと昔に。

「どこから……ですか」
 そう言って、青年は少し俯いた。その白い面に陰がかかって、淋しげに見える。それが何故か、先程の泣き出しそうな八戒の顔を見たときと同じような胸の痛みをもたらして。困惑する事しか出来ない三蔵に、青年はゆるりと微笑みかけた。それは美しく、余計に戸惑うことしか出来ずに三蔵は、その青年を見下ろした。こうして見ると青年は自分よりも僅かに背が低いのだという事に気がつく。
「あなたは、あの少年のことが大事ですか?」
「少年……?」
 少年、と言われて真っ先に思いつく存在を頭に思い浮かべて、三蔵は片眉を上げた。何故目の前の青年が悟空のことを知っているのだろう。そして、どうしてそんな事を聞きたがるのか。
「……どうですか?」
「大事、というわけじゃない」
「だけど、あなたにとって彼は居なくてはならない存在ですよね」
 いつの間にか詰問するような口調に変わっている青年に、三蔵は困ったように言葉を詰まらせた。どうして彼が、悟空と自分のことでこんなに真剣になっているのかが、分からない。
「……知るか、そんなこと」
 そう投げ遣りに答えてやると、青年は失望したように顔を顰めてますます深く俯き、そして口元だけの笑みを浮かべた。
「じゃあ、先程の青年の事をどう思っていますか」
「……」
「あなたがあの少年のことを大事に思っているのは誰の目にも明らかなんです。悟空と彼を並べて見たときに彼を切り捨てるような、そんなレベルの想いならもういっそ構わないであげて欲しいんです」
 青年は、“悟空”と言った。三蔵は今まで“少年”の名前を口にしていない。彼は悟空のこと、八戒のこと、そして自分のことをも知っているのだ。
「なあなあで済ませる気なら、もう追いかけないで、期待させないであげて下さい」
 彼が絞り出すような声で言ったそれを、三蔵は完璧に理解することが出来なかった。
 三蔵が何も言い返せずにいると、青年は、諦めたように儚く笑って、白く雪のように咲き誇るマグノリアの木を見上げた。そして、ゆっくりと三蔵を見つめ返す。その目が濡れているように見えたのは、先程の八戒と彼を重ねてしまったせいだけだろうか。
「……いつまで経っても、やっぱりあなたは悟空のことしか見て下さらないんですね」
 そう言った彼の双眸は、三蔵を映していたが、見ているのはきっと三蔵ではなかった。慈しむようなその視線は、目の前の彼によく似た翠の瞳からよく受けていた。しかし、これとは違う。
 三蔵は、彼が一体何を言いたいのかさっぱり分からない。彼が誰を見つめていて、何故八戒の事をそれほどまでに庇うのか。どうでもいいし興味もない。
 それでも言えることがある。

「……るせぇよ」
「……」
「部外者に口を出されることじゃない。大体猿とあいつを並べて考えたことなんてねぇ。猿はペットで八戒は恋人だと思っている。それが何を間違ったかあいつは度々俺が自分よりも猿を大事に思っていると勘違いして鬱に沈み込むんだよ」
 そう一息に言いきると、目の前の青年は目を瞠って三蔵を見上げた。
「お前が誰で、一体誰を見ているのかは知らんが俺を巻き込むな」
「……あなたは、彼を幸せにすると誓えますか?」
「誰にだ」
「彼にです」
 本当にこの青年は分からない。どうしてそんなに自分と同じ顔の男に入れ込むのか。そして、我が事のようにじっと三蔵の返事を待っている姿は、やはりあの恋人を思い出させる。別にこの青年を愛しく思うわけではないのに、何故か悲しむ顔を見たくないと思ってしまう。それは彼の顔が八戒に似ているせいなのか。それを量り損ねて、三蔵は歯噛みした。
「……ああ、誓う」
「不貞を働くことも?」
「ああ」
「苦労を負わせて哀しませることも?」
「ああ勿論だ」
「……ひとりぼっちで、置いていくことも、しませんか?」
「誓う」
 そう、思い切りよく全てに肯定して見せると、青年はどこかほっとしたような、淋しそうな笑顔を見せた。
「……よかった」
 ふっきれたように微笑んだ青年は、両腕を上げて猫のように伸びをした。カチャリと肩当てが音を立てる。その瞬間、ぴくりと耳を欹てた青年は、顔を上げた。
「迎えが来たみたいです」
「……そうか」
 サク、と三蔵の足元の草が音を立てる。青年はそれすら愛しげに、そして悲哀の混じった瞳で見下ろしていた。
 そのうち、林の奥に何かが降り立ったような、草木が揺れる音がした。それを聴くと同時に、青年はすぐに身を翻した。三蔵を一瞥することもなく、軍服の裾を風にはためかせて背を向けて歩いて行く。
 それを見ると、何故かどうしても此方を向かせたくなって三蔵はその背中に向かって声を掛けた。
「おい」
 立ち止まった。振り返らない。
「……天蓬」
 その薄い肩が揺れた。

「呼ばないで、下さい」
「……」
「僕はそうして、その言霊とその声に縛られているんです」
 誰に、とは訊けなくて、三蔵は唇を凍らせた。
「いい加減に解放して欲しいんですよね。それなのに報われる気配もなければ、解き放ってくれる気配もありません」
「……やめちまえばいい」
「そう出来たら、こうしてません。これでも僕モテるんですよ。選り取り見取りなんです」
 背を向けたままそう言う青年に、そうだろうな、と三蔵は思う。言葉で言いつくせないほどに人を惹き付ける要素をいくつも併せ持った奴だと一見して分かる。だけど彼の想い人は、それに靡くことはないのだろうか。
「それで、自由になりたいと、思うか」
「……どうなんでしょう。実際縛られている状態が案外心地よかったりするもんですから膠着状態に陥っているんでしょうね。どうしても打破したかったらどうにでもやりようはあるんです、実際」
「じゃあ」
「だけどそうしてしまって、今の状態が壊れるのは嫌なんです」
 そう言って、青年は肩越しに振り返って、泣きそうな笑顔を見せた。
 その顔を隠すように、ひたひたとマグノリアの花びらが次々と散っていった。

 暫く沈黙が走る。風が吹くたびにマグノリアの花びらがはらはらと足元に振り落ちてくる。まるで涙みたいだ、とらしくもない事を思って、三蔵はその花びらを踏みつけた。三蔵はどう返していいのか分からずに、その背中を見る事しか出来なかった。そうしていると、林の奥からガサリ、と草を掻き分けるような音がして一瞬身構える。が、青年はそんな三蔵に向かって、気にしなくて良いと言うように片手を上げた。
「ああ……警戒しなくていいですよ。お迎えの天馬です」
 草を掻き分けて現れたのは、地上には有り得ない、大きく漆黒の毛並みを持つ馬だった。馬は青年を見つけると嬉しそうに駆け寄り、甘えるように青年の腕に鼻先を擦り寄せた。それを青年は慈しみの目で見つめ、両腕で目の上や鬣を撫でてやっている。
「僕の子じゃないんですけど、懐いちゃいましてね」
 その馬の、純粋な視線を受けて、青年はにこりと微笑んだ。
「捲簾はどこです? 瑯」
 そう言うとふい、と顔を背ける馬に苦笑して、さっと青年は馬に飛び乗る。黒の軍服の裾が木漏れ日の中で翻った。乱れた髪を直すようにぶるぶる首を振った後、青年は三蔵を見下ろしてまた、にこ、と笑った。
「そろそろ、帰らなきゃです」
「……ああ」
「僕がいなくなったら、早く迎えに行ってあげて下さいね。まだそんなに遠くへは行っていません」
「まだって……」
「僕とあなたが会話している間は、地上の時間は進んでいません。僕が去ればすぐに時間の進行は始まります」
 どういうことだ、と訊こうとして、やめた。答えはきっと返って来ない。知らない方がいいのだ。彼のことも忘れた方がいい。青年は、馬の上からにこり、と微笑み、見下ろしてくる。慈しみに満ちた視線だった。
「さようなら、玄奘三蔵」
「……ああ」
 また会うことはないだろうけど。
 そうして三蔵は結局、彼の名前を一度しか呼ぶ事はなかった。

 次の瞬間、浮かべられた笑顔を最後に、強く吹いた突風に三蔵が一瞬目を瞑る。そして目を開くと、そこにはもう、何がいた形跡もなかった。ただ、風で一気に全て散ってしまったマグノリアの白い花びらが、はらはらと緑の芝の上に散っている、それだけが一瞬前と異なっている光景だった。ゆっくりと腰を屈めて、足元に散らばる花びらを一枚取り上げた。
 これが涙だと?
「……馬鹿な」
 彼を悲しませるのは、一体誰なんだろう。
 そんなの別に誰でもいい。だけどあの涙は駄目だ。何がどう、と言われてもどう表現して良いのか分からない。しかし、泣かせてはいけないのだということは分かる。何故自分を見てそんなに切ない顔をするのか。何かを求めるような全てを諦めたようなそんな顔をするのか。どうしてなのか、分からない。どうしていいのか分からない。ただ、また彼が、戻った先であんな風な顔をすることがないようにと思ってしまう。
 結局、二度と会うことはないのだろうから、どうなったかどうかなんて、分かるわけはないのだけれど。

 迎えに行こう。彼が言うのが本当なら八戒は今門を出た辺りだろう。上手くいけば門前で捕まえられる。多分泣くのを我慢して俯いているのだろう。慰めるのは上手くないけれど。
「……知るかよ」

 三蔵は手にしたマグノリアの花びらを投げ捨てて、林に背を向けた。そしていつにない速さでその草履の足を運ぶ。
 あんな情緒不安定な薄幸美人、八戒一人で手一杯だ。あんな面倒な存在が二人もいたら堪ったものではない。八戒だって、自分は彼を大事にしているからこうして追いかけようとしているだけで、もし悟浄や悟空があんな風に情緒不安定でぐらぐらしていたら蹴っ飛ばしてやりたいくらいだ。
 もしかしたら暴れて逃げ出そうとするかもしれない。そうしたら意地でも掴んだ手を離さないつもりだ。

 今も何処かであの、飄々とした男は泣いているだろうか。











金天は両想いなのに通じ合ってないくらいが丁度いい。天蓬は片想いだと思い込んでいて、金蝉はそんな葛藤は何も知らない。 2005/10/26