昔々。大陸の極東に、大きな王国がありました。
その国は辺りの国々が度々戦乱を起こしている中、唯一豊かで穏やかで、戦争に参加しない……むしろ参加するのが面倒臭い……というポジションを保っている国でした。
その国の王位には女王が立ち、皇子が三人おりました。第一、第二皇子は面差がどこか女王に似た端整な容姿をしていましたが、第三皇子だけは何を腹の中に忘れてきたのかちょっとだけ猿っぽい顔をしていました。実は実子ではないのでは、と噂されたりもしましたが、本人が全く以って気にしないので次第にそういった噂も流れなくなっていました。
Giselle
「え……左遷、ですか……?」
ぽろり、と口から齧りかけのクッキーを落とした八戒に、捲簾は困ったような顔をして笑った。
「違う違う、……と、思うんだけど……とりあえずお前、第一皇子付きからは外されたみたいだぜ」
「……僕、何か皇子に粗相をしましたっけ……?!」
「ん〜……俺も変に思ってさ、天蓬に聞こうと思ったんだけど朝から姿が見えなくて」
八戒と捲簾、そして天蓬は宮廷の皇子直属の騎士だった。揃って剣の腕は一流で見目も良く、三人で第一皇子を囲み歩く姿は思わず辺りの人間が感嘆の溜息を漏らすほどだった。
三人は同じ軍士官学校卒のれっきとした軍人だったが、戦争の起こらないこの国のこと、特に戦争の装備をする訳でもなく、宮廷の警備や城下町の整備など、警察のような役割を持っていた。
捲簾は天蓬と同級生、八戒は二つ下。天蓬と八戒は各学年の首席、捲簾は成績は悪くないのだが素行の悪さが祟ってぎりぎりの卒業だった。天蓬も実はそれなりにサボリなどしているのだが、立ち回りややり方が巧いため、上に上手く悟られずに息抜きしていたのだ。
そんなある意味エキセントリックな先輩二人に士官学校時代からこっそり憧れていて、同じ部署に配属されたと知った時には酷く緊張してこんな職場でやっていけるのだろうかと自分の心臓を労わったほどだった。
が、そんな心配をよそに初顔合わせの日、自己紹介をした方がいいだろうかとおろおろしていた八戒に彼らがかけた第一声はというと。
『おや、そんな入り口に立ってないでお入りなさい。あ、紅茶とコーヒーどっちが好きです?』
『お、お前が手ずから茶ァ淹れるたぁ珍しいじゃねえの。あ、俺は捲簾、こいつは天蓬。あんたは?』
そういうひとたちなんだろうか、と思ったが、はっきり言ってもうちょっと怖そうな人たちだと思っていた、というのは内緒だ。
「どどどどうしましょう、気が付かない内に第一皇子の気を悪くさせてたりとかっ……」
「ないって。それはナイ。……けどおっかしいよなー、俺も天蓬も異動無しなのに」
「う……」
八戒は一年前にこの宮廷騎士団に入ったばかりの云わばまだひよっこだ。まだこの宮廷内の勝手などしっかり把握出来ていないし、もしかしたら第一皇子ではなくもっと上の人を怒らせてしまったのかも知れない、と八戒は考えた。考えるだけで意識が飛びそうなほどさっと頭から血が下がった。
「おい? おーい八戒!」
「……どうしましょう捲簾さん……」
殆ど顔に血の気のない八戒に、捲簾は焦ってその頭を撫でた。
「だーいじょうぶだって!」
それに特に理由はないが、捲簾には少し自信があった。捲簾は第一皇子が八戒を結構気に入っていたのを知っているからだ。だから彼が八戒を別の部署に流したとは考えづらい。
「今失職するのは困るんですううう! 田舎に残してきた姉さんがああ!」
「んー……」
何だこの孝行弟は、と思いながら、捲簾も本当のところは解らないので如何とも言いがたく首を傾げた。
「あ、捲簾ー……と……あ、丁度いいです、はっか〜い」
がっくりと肩を落としている八戒と、その頭をひたすら撫で続けるその異様な状況に何も思わないのか、天蓬は笑顔でトタトタと駆け寄ってきた。それを八戒は縋るような目で見上げる。
「……てんぽ……」
「あれ、どうしたんですそんな顔して……」
二人のすぐ近くまで来てやっと気付いた、というように首を傾げた天蓬に、捲簾は肩を竦めた。
「お前も見たろ? 八戒が第一皇子付きから外された」
「ええ、知ってます」
「……お前なぁ。お前がいつでも冷静なのは知ってるけど、ちょーっと冷たくねぇ?」
「は、どうしてです?」
きょとん、と捲簾を見上げる天蓬に悪びれた様子はない。八戒はそれに少し……いやかなりショックを受けながら顔を青くしていた。天蓬は八戒が騎士団に入団した当初から優しくしてくれていた。もしかしたら彼も自分がしでかした何かを知っていて、呆れてしまったのだろうか。八戒がそんな事を考えながらぐらぐらしているうちに、天蓬は捲簾の隣の椅子に腰掛けた。
「はー、もしかして八戒、首にされたかと思いました?」
「え……違うんですか?」
「どういうことだよおい」
「だから、八戒はある意味出世するんですよ」
「は?」
「八戒は、来週から第二皇子付きに配属されるんですよ」
「え……?」
第二皇子といえば、数年前から他国に留学をしているという話を聞いただけだ。年齢は第一皇子より3つ下。天然で鈍感な第一皇子や天真爛漫な第三皇子と違い、少々気が短く気位が高いという噂だった。容姿で解るのは、女王や第一皇子と似た端整なもので、光に透ける美しい金糸であるという点のみ。
「第二皇子が明後日帰国されるんですよ。で、ここだけの話ですが、第一皇子って性格がアレでしょう? だから政には向かないんです。という訳で第二皇子を御世継ぎに、という感じで。彼が他国に留学したのも帝王学を学ぶためでしたからね」
「第一皇子の方はそれを?」
「勿論ご存知です。けど、彼は王位や権力に拘る人じゃありませんからね、明日にでも城下で暮らせと言われればすぐ出ていってしまいそうな人ですもん。ノブレスオブリージュは重いですし、将来を期待されずに清々すると仰ってました。彼らしいでしょう」
「で、どうして僕が……?」
目の前で繰り広げられる自分の今まで住んでいた世界とはかなりかけ離れた会話に、八戒は目を白黒させながら天蓬の上着の袖に縋り付いた。その手をぽんぽんと優しく叩きながら、天蓬はにっこりと笑った。
「今この宮廷内では人員不足なんですよ。いや、そういうと語弊がありますか……頭数はあっても使えるものが少ないんです。だけど第二皇子が御世継ぎと知れたら命を狙うものも増える。という訳で、士官学校で首席だったあなたに白羽の矢が立ったんです」
「そ、それだったら他の先輩でも……!」
「………………・まあ、色々理由はあるんですけど」
「てんぽううううー!」
誤魔化すようにちらり、と視線を横に流した天蓬は、また綺麗過ぎる笑顔を浮かべて八戒に向き直った。そしてよしよしするように八戒の頭を撫で、軽く八戒の額に口付けた。それに捲簾が少々こめかみに青筋を立てたが、八戒は自分のことに精一杯で気にする余裕がない。
「だぁいじょうぶですよ、あなたなら。セクハラされたら僕に言ってくださいね、一緒に第二皇子の髪の毛ぷちぷち抜きに行きましょう」
「なんだその陰湿なイジメ」
「第二皇子は髪がヤバいと聞いたので」
「止めろよ、ハゲ皇子なんて威光が弱まるだろ」
八戒はそんないつもながらの夫婦漫才に小さく笑いを漏らした。それを見て天蓬がほっとしたように息を吐く。
「大丈夫ですよ八戒、第二皇子ももう大の大人です。そんな無体はしないでしょう。これからはずっと八戒の傍にはいられませんけど……」
「暇んなったらまた酒でも、な」
そう言って、帰る場所を与えてくれる先輩たちに少し胸が熱くなるのを感じながら、八戒は笑って大きく頷いた。
その後、打ち合わせの場所を教えられ、少し戸惑いながらも中庭を出ていった八戒の後ろ姿をそれでも少し不安そうに見つめる天蓬を見て、捲簾はやっと口を開いた。
「……で? 八戒が指名された理由ってのは、ナンなのよ」
「多分あなたのご想像通りかと」
「……。何となく解るけど。でもそれならお前の方が適役じゃねえ?」
その言葉を聞いて、身体を正面に戻した天蓬は、捲簾の前に置かれていた冷めたコーヒーを奪って少し口に含んだ。
「ええ、最初は僕がなる予定だったみたいですよ。だけど僕って金蝉のお気に入りじゃないですか、だから僕か八戒のどちらかを第二皇子付きとして任命せよと迫られた金蝉が泣く泣く八戒を嫁に出したみたいです」
「……嫁ってね、お前。……まあとりあえずあれだろ、“男を転がす能力”だろ」
「失礼ですねあなた、“人を手の平で踊らせる能力”ですよ」
尚更性質がワリィ、と笑う捲簾に、天蓬もゆっくり口元を綻ばせた。そしてテーブルに肘をついて空を見上げる。
「それに、なんとなーくあなたと八戒を二人で残すのが心配だったもので」
「……何、妬いてくれてんの?」
「寝言ですか。あなたが見境なく八戒にも手を出したりしたら取り返しがつかないなあと思っただけです」
そう言ってつんと顔を背けた天蓬に、それが妬いてるってことじゃねぇの? とは間違っても言えなかったが、捲簾は機嫌よく天蓬の頭をぐりぐりと撫でた。それに天蓬は顔を顰めて捲簾の手を払った。
「僕これから金蝉にお茶をお呼ばれしてるんです。ではまた」
さらりと言い捨てられた言葉に、捲簾は目を剥いた。その間に天蓬は椅子から立ち上がり、横に置いていた軍服の上着を脇に抱えた。そしてぺちんと捲簾の頬に手を当ててにっこりとそれはもう絶好調の笑顔をしてみせた。
「は?ちょ、待て……」
「それでは僕は金蝉と仲良くお茶タイムなんで。あ、そういえば今夜の晩餐会の準備のお手伝いが欲しいって言われてたんでした」
「……行け、と?」
「ふふ、暇なら手伝ってあげたらどうです? っていう話です。美人のオネエさんもいますよきっと」
「……俺はこっちの美人がいいんだけど?」
にやりと笑って天蓬の腰に手を回そうとするその手をぴしゃりと叩き落として、天蓬は艶やかに笑って見せた。耐性のない者であればそれだけでぼうっとしてしまいそうなものだ。
「先約がありますので。失礼」
身を翻しながらひらひら手を振り、天蓬は中庭の中央の煉瓦造りの道をブーツの踵を鳴らしながら颯爽と歩いていく。捲簾はその後ろ姿を呆然と見送りながら、
「……連敗かぁ……」
呟いて、頭を掻いた。
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