「――――あー……天蓬天蓬、除夜の鐘だぞー、よーく聴いとけ」
 自分でも呑気なことだ、と思った。すると、コートの襟を立て口まで覆った相棒の目が、じろりと自分を見て「馬鹿」とでも言うように細められた。こんな状況にあるからこそ少し心を和ませてやりたかったのだが、不機嫌絶頂の彼はそんな馬鹿なことを言うなとぷいと顔を逸らしてしまった。どこか遠くから響く年忘れの響きに、空を見上げて白い息を吐く。黒い空にはちらちらと光が瞬いていて、澄み切ったその色は寒さを増すようだった。
「うるさい」
「ひでえ」
「あんな金属を打つ音聴いたくらいで人間の煩悩が消えるなら、僕らがこんな寒い中で身を潜めていることもないでしょうよ」
「……正論だ」
 不機嫌丸出しな相棒の言葉に思わずニヤと笑って捲簾はケースから煙草を一本出して、風を避け光を隠すように手で覆いながら煙草の先に火を灯した。張り込みで、街角の路地裏で身を潜める年越しなど誰が望むというのだろう。吐き出す息は白く煙と混じり合って、その色が寒さのせいなのか煙のせいなのか分からなくなる。一定の間隔で静かに風に染み渡る鐘の音に耳を澄ます。彼の言う通りだ。しかし、本当に鐘の音を聞くだけで煩悩が払えるのならばどんなに楽だろう。しかし自分たちの仕事がなくなってしまう。そう、人々の煩悩のお陰でこの職に就き、給料を貰って生き、こうして寒空の下で年を越そうとしているのだから。
「ああクソ……寒いな……」
 コートの襟を立て直して肩を怒らせた彼は、鼻の頭を赤くして壁越しにそっと対象の様子を窺っている。それがいつも一寸の乱れもなく整えられた彼にしては可愛らしく、ついついじろじろと眺めてしまった。それに気付いたのか、ちらりと捲簾の方を横目に睨んだ彼は、ぱっと捲簾の口から煙草を奪い取って咥えた。向かい風に鬱陶しそうに顔を顰めた彼は、細く息を吐いて小さく舌打ちした。
「場所変わって下さい。さっきから僕ばかり見張ってるような気がしますけど」
「ワリ、ついね。鼻の頭を赤くしたお前なんて普段見られるもんじゃねえし……なかなか可愛いぜ」
「……やっぱり除夜の鐘なんて効果なしですね。あなたこそ煩悩を払って貰いなさい」
「俺、煩悩の塊だから払われたら廃人になるし」
 彼を路地に引き入れて、今度は道路沿いに捲簾が出る。確かに通路に顔を出すと多少風が強い。目を眇めながら、対象が入っていったホテルの入り口を監視する。入口前の細い緑のビニールが風に煽られてばさばさと音を立てている。コートのポケットに手を入れて肩を竦め、冷たい空気を吸い込んで少し噎せた。それを見咎めたように、後ろで煙草を吸っていた天蓬はツンツンと捲簾の頭を突付いてきた。
「冷気で噎せるなんて、老人ですか」
「るせえよ。黙れ……っていうか、返せよそれ」
 後ろでビルの壁に背を預けてのんびりと煙草を吹かしていた彼の手からそれを奪い返す。ちらりと彼の方を窺えば、明らかに凍えたように顔色の悪い彼が自分の腕を擦っていた。
「……バッグの中にカイロあるから出せ。お前人間の顔色してねえぞ」
「……もうポケットに二個も入ってます。背中とお腹にも貼ってるし」
「お前こそ老人だろが」
 マフラーを子供のようにぐるぐる巻きにしている彼の頭を撫でて、その頬を両手で包み込む。白い肌が赤く染まって本当に子供のようである。その頬を撫でて温めながらもちらりと対象の様子を窺う。こんなことをして対象を見失ったとあれば大目玉だ。
「何か楽しい話しようぜ。この件終わって、とりあえず休暇取れたら何したい?」
「寝る」
「素直だねえお前は……なあ、何食べたい? 俺作るけど」
「馬鹿でしょ……寝られる時に寝なさいよ、いつ召集されるか分からないのに」
「俺、こういう時に限って気分が高揚して寝らんねえんだよなぁ……とりあえず、思うままに飯作ってお前に鱈腹食わして風呂に連れ込んで失神するまでヤリまくる」
「おっと僕に人権がないような? しかも新年一発目が風呂って」
「料理中は寝させてやっから……あ……や、や、待てよ天蓬…………来た来た出てきた、本部に連絡!」
 会話をしながらもホテルの入口から出てきた対象者を見逃すことはなかった。つい一瞬前まで拗ねたように捲簾を見上げていた天蓬もまたすぐに刑事の顔になり、インカムに繋がれた携帯電話の短縮ダイヤルで上の者に繋ぐ。
「マルタイ、合流場所と思しきホテルから男と共に現れました。追いますか」
『可能な限り追尾を。但し気付かれる前に離れろ』
「了解」
 まだ会話を続けそうな気配を察して、天蓬を路地裏に置いたまま先に対象の後を追う。ポケットに両手を入れ、コートの襟に顔を埋めながら足早に一定の距離を置きながら対象者を追う。暫く歩いていると、後ろから足早に近づいてきた天蓬がトンと捲簾の背中に拳を軽くぶつけた。そして横には来ず、背後にぴたりとつけたまま捲簾にだけ聴こえる程度の声量で呟いた。
「定期的に向かう先を報告せよとのことです。気付かれそうになったらすぐに追尾は中止すること。よろしく」
 返事はせずに、自分の左肩を右手の指先でトントンと叩く。それで「了解」の意味だ。その後すっと捲簾の横に回ってきた天蓬はコホンと小さく咳払いした。彼の無表情を横目に見下ろし、そしてぐるりと周囲を見渡しながら思った。年末のこの時間、初詣に行く人々の中には腕を組んだり手を繋いだりしているカップルが多い。
「――――――お前、女のカッコしてくりゃよかったのに……そうしたらカップルの振りとかさ」
「幾らあなたよりも小さいとはいえその辺にホイホイ百八十近いの女はいないでしょう。悪目立ちしますよ。それともホモカップルの振りでもしますか」
「余程目立つわ。それに“振り”じゃねえし」
 それ以来むっすりと口を閉ざしてしまった彼に、釣られて捲簾も口を噤む。暫く寄り添い歩いていたが、ふと対象の二人が自販機の前で立ち止まった。その時丁度街灯の下にいることに気付き、天蓬の腕を引いて近くの家と家の間に身を隠す。影が出ていないことを確認しながら、対象の様子を窺う。そしてまだ臍を曲げているのだろうかとちらりと天蓬の様子を窺った。
「……そんな目しなくたって、別に怒っちゃいませんよ」
「……ホントに?」
「しつこいですね」
 そう言いながら再び追尾に戻る。その横を車が通り過ぎるその音に紛れて天蓬は、捲簾のコートの袖を引きながら呟いた。
「帰ったら、お汁粉が食べたいです」
 ちら、と、通り過ぎていった車のテールランプに照らされた天蓬の横顔を見た。しかし彼は既に仕事の顔に戻ってしまっている。少しだけがっかりするのに、その冷静な顔の下で照れているのだろうと思うとおかしくて仕方がない。笑ったらきっとまた彼の機嫌を損ねてしまうと分かっているので、捲簾はそのまま口を閉ざしたままでいた。そのまま、右手をすっと持ち上げ、人差し指で自分の左肩を二度、トントンと叩いた。その時見えた、手首の時計が差す時刻は丁度零時。
 言葉を交わすことも触れ合うことも今は許されないが、ちらりと差し向けた目でそれが彼にも分かったはずだった。ちらりと自分の時計に目をやった天蓬は、目を伏せ小さく溜息をついた後、そっと上目で捲簾を見上げて二度、小さく瞬きをした。その目に、職務中だということを忘れたくなったが結局は無駄なこと。湧きあがりそうになる身体を抑えて、彼の背中を拳で軽く叩いた。
 年の初めは一年の象徴である。きっと今年も一年仕事漬け、天蓬漬けで終わるだろう。
 明けまして、おめでとう。









うちの捲天はいつも行事の日は仕事してますな。
明けましておめでとうございます。このサイトに来てくださる皆様に幸せの念を送っておきます。