※「インペリアルシートは闇の中」の続きです。超パラレルで有り得ないこと続出です。覚悟が出来たらどうぞ。※
















 椅子に座って本を読んでいた。目の前には湯気を立てるコーヒーカップ。高い香りが鼻先をくすぐる。そしてふと、頬を撫で、髪の先を攫っていく暖かい春風に目を細めた。風の流れ込んでくる大きな窓へと視線を送ると、窓の外を、太陽の光をぎゅっと集めたような人が歩いているのが見えた。それを見ると何だか嬉しくなって、天蓬は本を手にしたまま窓辺へと歩いていった。
「金蝉」
 そう名前を呼ぶと、彼は不意を突かれたように顔を上げ、きょろきょろと辺りを見渡した後、自分のいる窓辺を見て目を瞬かせた。
「お散歩ですか」
「ああ、そんなところだ」
 幾ら宮殿の敷地内とは言え、皇帝がたった一人で庭をぶらぶらしていられるとは、と天蓬は笑った。しかしそれが、この国の心の豊かさを表しているようで嬉しくなって、本に栞を挟んで閉じ、窓枠に手を掛けた。そしてよっこらせ、と右足を上げ掛けたところに、金蝉が慌てて声を掛けてきた。
「おい、どうするつもりだ」
「え、お散歩だったら僕も一緒に……あ、僕がいると邪魔ですか」
「いや、そんなことはない! ……でもお前は読みたい本があったんだろう」
「本よりも金蝉の方が大事です。ちょっと待ってて下さいね」
 あっさりと恥ずかしいことを言ってのけた後、天蓬は片足を窓枠に掛けて、そのまま踏み切り飛び降りた。それも、地上四階から。最初の頃こそ肝を冷やした金蝉だったが、今ではもう大分慣れた。しなやかに黒猫の如く着地した天蓬は、そのまま立ち上がり全開の笑顔で金蝉の方へと駆け寄ってくる。金蝉はそれを呆れたような顔で迎えた。
「お待たせしました」
「待ってねえよ……」
「それはよかった。じゃあ行きましょうか」
 にこ、と笑う天蓬に毒気を抜かれたように、金蝉は溜息を吐いてから「ああ」と返事をした。

「春ですねぇ」
「ああ」
「頭の沸く季節ですね」
「ああ……あ?」
 確かに頭が沸いているようだ、と思わなくもなかったが、突飛な発言に流石の金蝉も眉根を寄せる。するとそれを見て天蓬は力の抜けるような笑顔を返した。この笑顔にはまるで敵った例がない。
「来週隣国に桜の木を贈る式典があるの、お忘れじゃないでしょうね?」
「面倒臭え」
「それ、僕行けなくなってしまったんですよ。だからその一晩金蝉と別れ別れになっちゃうんです。それが淋しくって」
 天蓬が来れなくなったと聞き、金蝉は僅かに落胆した。しかしそれを表情に出すことはせずに「そうか」と返事をするに留めた。今、内外で不穏な動きが広がっており、水面下で天蓬も帝国軍と連携してその対策に動いているのだ。心配だったが、口を挟めば天蓬は余計に金蝉の心配をしてしまう。だから彼が隠そうとすることには極力口を挟まないようにしようと決めているのだった。しかし。
「無理はするな」
「……ええ、ありがとうございます。大切な民のために頑張りますからね」
 一瞬金蝉の言葉にきょとんとした天蓬は、すぐに笑顔を取り戻してそう言い、明るく笑って見せた。金蝉も彼を不安がらせないように曖昧に笑い返す。金蝉の笑顔がおかしいことくらい彼ならすぐ分かるだろうに、彼はそのまま、ただ穏やかに笑ったままいた。
 それ以来二人は口を噤んで、いつもの散歩道を歩く。広い宮殿内の、皇族しか立ち入ることを許されない庭へと続く道。そこへ入ることを天蓬だけは許されていた。一度天蓬が立ち入りを躊躇った際、『俺に一人で行かせる気か』と金蝉がむくれたためだ。もう、金蝉が本当に小さな、丁度五、六の頃の話だ。暗について来いと言われたのだということに思い至り、きょとんとしていた天蓬が徐々に嬉しそうに少しだけ頬を染めたのを、今でも忘れられない。あの頃は彼の腰ほどまでしか背がなくて、抱き締めようとしても腰にしがみ付く形にしかならなかった。今はもう彼よりも背が高くなり、見下ろすことが出来るようにもなった。隣を歩く、綺麗な顔をした青年を見下ろす。
 早くに病で亡くなった父を継いで、金蝉は若くして皇帝となった。慣れない執務も疲労が重なっていく精神も、ずっと傍で支えてきてくれたのは彼だ。しかし、それは守護者という立場だからだ、と思っていた頃はあれこれ口を挟んでくる彼に反感を抱いたりもした。
「天蓬」
「はい」
「何でもない」
 俺のことが、好きか、と訊きたかった。だが、その言葉の恥ずかしさに声を掛けてから気付き、金蝉は顔を伏せる。天蓬は不思議そうな顔で金蝉を見上げていたが、次第に諦めたように顔を前へ向けた。
「ねえ金蝉」
「何だ」
「蒲公英の季節ですねぇ」
「あ?」
「上を見ればピンク色の桜、下を見れば青々とした芝と黄色の蒲公英。贅沢ですよねえ」
 そう言って天蓬は笑う。金蝉は暫く黙ってそれを見つめていたが、その後ぽつりと、そうだな、と呟いた。すると彼は嬉しそうに笑い返して、咲き誇る桜の並びを見つめる。その目の前で、ハラハラと薄桃の桜の花弁が散っていった。
「桜も好きだけど、蒲公英も好きなんです。蒲公英ってあなたに似てるでしょう、それで……あ、雑草とかそういう意味じゃなくて」
 そう話しながら進む二人の前に、緑の草原が広がった。他にも綺麗で高級な花々の植えられた庭があるにもかかわらず、二人ともいつもここに来るのが好きだった。こんなあまり手の入っていない庭が、一番四季の移り変わりが分かるからだ。季節外れの高価な花が咲き誇る庭も綺麗だったが、この場所は二人には特別だったのである。
 サク、と天蓬の足が芝を踏む。そして彼は手を後ろに組んでくるりと振り返った。
「ここを一面刈り取ろうとしたのをやめさせたの、あなたなんですってね」
 そう言って笑う天蓬の背後には、広い緑の絨毯の上に黄色の花弁を散らしたように蒲公英が沢山咲き誇っていた。雑草だ、と言ってそれらの花々を刈り取ろうとしていた業者がいることを知り、止めさせたのは確かに金蝉だ。照れたように顔を逸らす金蝉に悪戯っぽく笑って、天蓬は花の前にしゃがみ込んだ。春風が花々を草を、そして彼の長い黒髪を揺らしてから金蝉の頬を撫でた。
「皇帝の好きな花が蒲公英だなんて知ったら、国民たちが草刈りもおちおち出来ずに困ってしまいますよ」
 そう笑いながら言う天蓬の背中が小さく揺れた。確かに、そんな風に金蝉が言ったら国中が黄色で溢れてしまうだろう。
「別にいいだろうが、お前も好きなんだろう。……俺に似てるから、か」
 押されているばかりが悔しくてそうからかってみる。すると天蓬はしゃがんだまま、少し憎らしげに金蝉を見上げた。
「……酷い人」
「普段何も言ってくれないんだ。今くらいいいだろう」
「言ってます普段から、金蝉がだーいすきだって」
 恥ずかしいから態と茶化しているのだと金蝉でも分かる。天蓬だって誤魔化しきれているなんて思っていないだろう。しゃがみ込み、小さくなった背中を見つめていると、何だか不思議な気分になった。あの頃は小さくて、この背中に背負われたりしていたなんて信じられない。この背中に負われて、細い腕に抱き締められていたなんて。
 不意に、天蓬が立ち上がる。そして僅かに視線を強くして顔だけ振り返った。
「からかわないで下さい」
「知るか。普段はお前がしてることだ」
「すっかり可愛くなくなっちゃって。あの頃はあんなに可愛くて素直だったのに」
 天蓬はそう言って膨れる。その横顔を見つめていた金蝉は、無意識の内に腕を伸ばしていた。体術も魔術にも長けているというのに、この細さでは心配になってしまう。普段から何かに熱中すると食事も睡眠も碌に摂らないせいだ。そもそも、何も食べなくても死なないという彼だから仕方ないのかも知れないが。その身体を後ろから抱き締めると、息を呑む音が聞こえ、身体がびく、と震えた。
「駄目、です……誰かにみられちゃ」
「誰も入ってこれるはずがないだろう」
「でも」
 僅かな抵抗を見て取り、金蝉は眉を顰めた。そしてその小さな抵抗を封じるように、抱き締める腕の力を強める。抵抗しようとする彼の両腕を手で押さえ、目の前の黒髪に頬を寄せた。
「皇帝は愛しいと思うものに触れてはならないのか」
 図らずも耳元で囁く形になり、天蓬が肩を震わせた。俯いた顔は窺うことが出来ないが、黒髪から覗く耳朶が僅かに上気している。
「ずるい」
 いつもの堂々とした雰囲気は失われ、呟かれた言葉は弱々しかった。こうして、時々覗く彼の意外な表情が可愛くて仕方がなかった。それも、金蝉が時機を見て奇襲を掛けなければ見られないのだけれど。
 薄い肩を抱き締める。その度に身体が僅かに震えるのが、どうしようもなく愛おしかった。



++++



「あ……」
 八百鼡は紅孩児を探し、今日も宮殿を走り回っていた。いつもは軍施設で鍛錬を重ねている彼だが、軍棟には顔を出していないとのことだった。だったら宮殿内の書庫に違いない、と宮殿内にある幾つもの書庫を回っていた。そして、まさかここにはいないだろうという、古い本ばかりのあまり使われていない書庫へと足を踏み入れた。
 そこには探していた長く赤い髪は見当たらず、あったのは風に靡く長い黒髪だった。古いドアの立てる小さな音に、その黒髪の主はゆっくりと振り返った。そしてにっこりと八百鼡に向かって微笑み掛ける。
「……探し人ですか、八百鼡さん」
「あ、すみません天蓬様、騒がしくしてしまって」
「構いませんよ」
 中の本棚の前に立っていた青年は、穏やかに微笑んで手にしていた分厚い書物を閉じた。薄手のシャツの上から軍服の上着を肩に掛けて大きな本をゆっくりと視線で辿っている。人ではないそれは、ぞっとするほどの完成された姿で、乱雑な書庫の中立っている。その場から彼だけが別次元のものであるようにも見えた。
「紅孩児さんですか、それとも爾燕」
「紅孩児様です。頼まれていたお薬をお届けしようと思ったんですけど、朝から見当たらなくて」
 思わず溜息が漏れる。これまでずっと探し回っていたので少々疲れているのだ。それを見て取ったように彼は笑った。それに少しだけ恥ずかしくなって姿勢を正す。
「紅孩児さんでしたら、地下一階の書庫ですよ。探しものがあるそうで朝からずっと」
「あ……そうなんですか、ありがとうございます!」
 ぴょこんと頭を下げて、そのまま走り出しそうな八百鼡に天蓬は、あ、と声を掛けた。そして後ろの本の山の前へしゃがみ込み、何かごそごそと探し始めた。そしてやっと何かを掘り出したのか、大きな厚い図鑑のような物を引っ張り出して立ち上がった。そしてくるりと八百鼡の方を振り返る。
「これを届けてもらえませんか、ちょっと重いんですが……ああ」
 両腕で重い本を受け取り、一瞬よろめき掛けた八百鼡に、天蓬は思案するように人差し指で自らの顎をなぞった。そしてそのままその指先を八百鼡の抱える本の上に滑らせる。すると一瞬にしてその重い本が綿のように軽くなり、逆によろめいてしまいそうになった。彼は魔術にも長けているのだ。このくらい何でもないだろう。何度持ち上げてみてもふわふわと軽いそれに、思わずほう、と溜息を吐いた。
「これで重くないでしょう。お願い出来ますか」
「あ、はい! ……何も言わなくても分かりますか」
「ええ、多分中を見れば分かると思います」
「分かりました。確かにお届けしますね」
「ありがとうございます、じゃあ、お気を付けて」
 穏やかに微笑んで見送ってくれる彼に頭を下げて、八百鼡は音を立てないようにそっとドアを閉めた。しかしギシ、と大きな音がしてしまうそれに溜息を吐く。そして気を取り直し、本を胸に抱えて地下に繋がる階段へと向かって歩き始めた。

「……失礼します」
 地下の冷たいドアのノブを捻り、中を覗き込む。すると本棚の隙間から、赤い髪がちらりと見えた。それを見て八百鼡はやっと見つかった、と息を吐き、勢い付けてドアを大きく開き中に入り込んだ。
「紅孩児様!」
「……八百鼡か、驚いた」
 跳ね上がるように顔を上げた彼の眸が大きく見開かれる。彼へ向かって駆け寄った八百鼡は少し眉を顰めてみせた。
「いなくなるのならどこへ行ったのか教えて下さらないと」
「あ、ああ……すまなかった、薬だったな」
 彼は先日作ったばかりのまだ塞がらない傷を足に持っているのだ。その足でずっと立ちっ放しで探しものをしているのだろう。軍属の薬師として怒る前に呆れてしまう。小さく溜息を吐いた後、白衣のポケットを探って小さな紙袋を差し出した。受け取る彼を見て、「すぐに飲んで下さいね」と告げる。すると彼は苦笑して、分かったと言った後、中の錠剤を一粒口に放り込んで嚥下した。
「傷の具合はどうですか」
「平気だ。すぐに塞がる」
「夜にはまた消毒しますからね」
 そう少しだけ視線を強くして見せると彼は笑って、もう一度謝罪した。
「あ……そういえば」
 あまりにも軽いので忘れていたが、左腕に抱いた大きな本を思い出した。そしてすぐにその本を紅孩児へ向かって差し出した。きょとんと目を見開いた彼はそれを躊躇いがちに受け取り、一枚二枚とページを捲る。そして暫くすると顔色が変わった。
「これを、どこで」
「二階の書庫で天蓬様に会って、それでこれを届けるようにと」
 それからずっとページを捲っていた彼は小さく嘆息して口元を綻ばせた。
「もしかしてこれを探していらしたんですか?」
「ああ、ずっと朝からな。……助かった。彼はまだ書庫に」
「多分……あ、でもそろそろ陛下といつもお散歩に行かれている時間かも」
「そうか、後で礼を言わなければな」
 本のページを眺めながら薄く微笑む彼に、八百鼡は目を瞬かせる。地下の静かな書庫に、ページを捲る音だけが響いた。



++++



「お、天蓬」
 うとうとと中庭の百合園の前でまどろんでいる様子の青年に、面白がるように声を掛けて笑う。するとぼうっとしていたらしい彼は、ゆっくりと覚醒したようにゆるりと俯いていた頭を擡げた。夢を見るような目に段々と光が浮かび、ぱちぱちと瞬く碧の瞳に自分が映される。
「爾燕ですか、久しぶりですねえ」
「これはご無沙汰しておりました。ご機嫌麗しゅう」
 冗談めかして慣れない敬語を使ってみせる自分に、天蓬はくすくすと小さく笑った。
「似合いませんねぇ、全く」
「悪い悪い。ところで、今日はどうした、陛下は」
「陛下は今会議です。僕は献上花の様子を見に。成長が良くないとのことだったので……来週の式典に必要なんですよ」
 顔を上げた。園の中には沢山の白百合が咲いている。彼がきっと成長を少し速めたのだろう。これは皇帝の花と決まっていて、この種類の百合は他の人間は決して栽培することが出来ない。尤も、皇帝自身は特に百合が好きなわけではなく、勝手にすればいいと言っているらしいが、上の煩型が喧しいのだ。
「お前も大変だ、仕事とは言え……内外も穏やかじゃねぇしな」
「ええ。期待しています、大将」
「お前にそう呼ばれると痒くって敵わねえわ。……守るものもあるしな」
 そう言う爾燕に笑って、天蓬はふと目を見開いた。その視線がどこへ向かうのか辿ると、自分の右手へと向かっていた。
「怪我、してますよ」
「あ? あ本当だ。いいんだよ、すぐ治る」
 手の甲には引っ掻いたような赤い筋が出来ていた。しかしこのくらいの怪我なら気にする内に入らない。普段から生傷絶えないだけに、これくらいの怪我には無頓着になってしまうのだ。しかし彼はというとそうは思わなかったらしく、眉を顰めて爾燕の手を取り、手の甲の傷をじっと見つめた。そして徐にその手の甲へ顔を伏せる。思わず手を引こうとするも、思いのほか強い力で引っ張られる。
 ちゅう、と僅かな音がして思わず頬が熱くなった。そうして彼はそっと顔を上げた。僅かに伏せられた瞼から長い睫毛が流れ、何だか妙に違う行為を髣髴させる。
(何を考えてるんだ何を……)
 そんな軽い自己嫌悪に陥っていると、今さっき自分が口づけたばかりの傷口を彼の白い指がすっと撫でていく。……撫でていくにしたがって、傷は痕も残さずに消えていった。
「治りました」
「……どーも。それはいいんだけど……方法に問題がねえか」
 そう恨み言を呟くように言う爾燕に、天蓬は不思議そうに目を瞬かせた。
「これが一番綺麗に治る方法なんですが」
「あのね、俺は軍人なんだから傷痕の一つや二つあったって構わねーの。……ったく、女子供でもあるまいし」
 どこか抜けたことを言う彼に溜息を吐いた。彼は皇帝の守護者であり、魔術、体術その他に非常に長けている。それに加え、こうして簡単に怪我人や病人を治癒出来るヒーラーでもあった。尤も、それを皇帝陛下以外に使う必要は特にないのだが。
「でもまぁ、さんきゅ」
 そう素直に感謝すると、彼は少しだけ誇らしげに微笑んだ。それが、どうにも敵国に恐れられている存在とは思えないような無防備さで拍子抜けしてしまう。元々がこの、人外のものである美しい容姿だ。穏やかに笑っていれば、ただの美人でしかない。
「ところで、今日は何か用があったんですか」
「あー、ちょっとね」
 言葉に詰まったように視線を彷徨わせる爾燕に、天蓬は訝るような顔をする。暫くその視線を黙って受け止めていたが、次第に耐え切れなくなって唸り声を漏らした。そして喜びとも、困惑ともつかない表情で天蓬を見下ろした。
「あのさ、女房が妊娠したんだわ」
 恥ずかしそうに、それでも嬉しそうな目をした爾燕をじっと見上げていた彼は、ゆっくりと話を飲み込んだのか、次第に顔をぱあっと明るくした。そして爾燕の両手を掴んで、顔を近づける。
「本当ですか、おめでとうございます!」
 喜んでくれていることが分かり、爾燕もほっと一息つく。軍人の自分が、職人の家の娘と周りの反対を押し切って結婚して数年経つ。その彼女との、初めての子供だったのだ。親族から祝福して貰えなかった結婚を、ただ一人応援して後押ししてくれたのが天蓬だった。だから、一番に報せたかった、というのは内緒だけれど。
「あなたに似た女の子、見てみたいですねぇ」
「やめろよ、俺は女房に似た子供がいい」
「えー」
 爾燕子とか名付けてみたいのに、と彼は本気なのか冗談なのか計りかねることを口にする。しかしそれを勘繰るのは諦めて目を瞑った。彼との舌戦や精神戦なんて勝てる気がしない。
「でも、本当によかったです。きっと彼女のご両親も喜んで下さいますよ。最近は仲も良好なんでしょう」
「まあな。あの石頭も、俺を邪険にしても可愛い孫を足蹴にすることはないだろうしな」
 微笑む彼は、そう言って茶化す爾燕に少し肩を竦めた。そして徐に手を組み、ゆっくりと目を伏せた。それを見て爾燕も目を伏せる。

「――――次代の帝国を担う子供に、幸多からんことを」

 祝福の言葉に爾燕も少しだけ手を合わせる。そして先程と同じようにゆっくりと目を開いた。
「……守護者に祝福を受けられるなんて、皇族以外には有り得んぞ」
「ご利益ありますよ」
「そりゃあそうだろう。帝国の守護者がこんな一介の軍人の子供に祝福を下さるとは」
「やですねえ、僕は国に生まれる全ての子供を祝福していますよ」
 嘘くせぇ、と笑う爾燕に、天蓬も微笑む。

 麗らかな春の日の話。
 皇帝への反乱が起こる、僅か三月前のことだった。











皇帝が健在の時代の話、三連。八百鼡ちゃんは単品で好きです。カップリングでもいいですが。       2006/09/28