金髪の無愛想な子供がうちの島にやってきたのは、丁度俺と天蓬が五つの時のことだ。島の人たちは皆その子供に好奇の視線を向けていた。その子供には半分異人の血が混じっていたのだ。確かに綺麗な子供ではあったけれど身体は結構大きくて、明らかに男だった。だから自分は大して興味を持たなかったのだけれど、幼馴染の天蓬はそうではなかったらしい。元々、対象が危険であろうと安全であろうと興味を持ったらそのまま突っ込んで行ってしまう性格の持ち主だったから、いつもそのストッパーは自分が務めることになっていた。しかしその時ばかりは天蓬は言うことを聞かないで、ある日あの子と仲良くなってくる、と言ってにこにこしながら消えていった。そして次の日、本当に仲良くなってその子供を自分のところへ連れて来た。とっつきにくい仏頂面で、一瞬苦手意識を持ったけれど、そのうち少しは仲良くなっていったのである。
 その子供、金蝉は外国へ行ってしまう両親から、島に住む遠縁の親戚へと預けられることになってこの島に来たらしい。金蝉は心臓に先天性の疾患があって、走ったりするような急激な運動が出来ない。その療養も兼ねてこの島に来たのだった。金蝉の遠縁だという叔父さんは昔から島に住んでいる人で、優しくて物知りで有名だった。その叔父さんも、自分たちが高校を出る頃になったある日、静かに亡くなった。まだ五十代だった。
 最初こそ島の皆からじろじろ見られて、そのとっつきにくさから孤立していた金蝉は、天蓬と仲良くするようになってから段々と馴染んでいった。天蓬は可愛くて利発で島の皆から大事にされていたから、そのおかげなのだと思う。漁師をしてるうちの親父なんかは、自分の子供でもないくせに天蓬を溺愛していて、酔っ払ってはあの子は島の宝だとわけの分からないことを言いながら酔い潰れて寝る。それはお袋も同じで、寧ろ自分より天蓬が可愛いんじゃないかと思う。まあそれはいい。天蓬はお袋が早くに死んでいて(天蓬を産んだ時に亡くなったらしい)、その父親は普通の会社員で本土へ働きに出ていた。月の殆どは島にはいない。だから天蓬は食事をうちで摂ることも多かったし、そのまま泊まることも多かった。だから天蓬は殆ど俺の家に半分住んでるようなものだった。
 話は変わって、島のこと。勿論本土と島を繋ぐのは定期船だけ。島にあるのは、町役場と漁協、公民館、診療所、小さな商店に同じ校舎の小学校と中学校、それと体育館、それだけである。だけど遊ぶ場所はたくさんあった。ゲームセンターとかそういうものはないけれど、海に山に川、子供の頃はそれさえあれば日暮れまでずっと遊んでいられた。

 結局、十三年ほど一緒に過ごしてきた自分たちは高校卒業を期に別の道を選ぶこととなった。当たり前のことだ。なのにその当たり前が辛い。十八年間一緒だった幼馴染は、本土に渡ることになったのだ。
 金蝉は島に来てからも突然発作を起こして倒れることが少なくなかった。その度に金蝉を負ぶって診療所に運んでいた天蓬は、金蝉が苦しむ様子をいつも目の当たりにしていた。そしていつしか、天蓬は将来の夢として“医師”を挙げるようになった。自分では小さい頃からずっと親父の跡を継いで漁師になると決めていたし、金蝉は事務職に就くことが決まっていた。だから、自分と金蝉は島に残り、天蓬だけ本土の医大へ進学するために上京することになった。島の皆が淋しがったけれど、天蓬は「絶対に帰ってきますから」とそれだけを口にして定期船に乗り込んだ。一度も振り返ることなく。島は一瞬太陽を失ったようだった。
 結局丸六年間、夏休みも冬休みも天蓬は島に帰ってこなかった。奴は親も島にいないわけで、勉強だって忙しいんだし、と幾らか自分で慰めを口にしてみても何も起こらなかった。島の人たちは、本土の生活が楽しくて帰ってこられないんだろう、と言っていた。確かにこの田舎に比べたら楽しい生活に決まっている。しかしそれはあまりに薄情だった。誰も連絡先すら知らされていないのだから。
 天蓬がいなくなってから金蝉とはあまり話していない。話すことも思い付かない。天蓬のこと以外は。しかし口を開けば悪口になってしまいそうで、優しかったあの頃の記憶を封じ込めるように、いつからか金蝉と俺は話をしないようになっていた。

 島の診療所には、昔からよく世話になっていた。喧嘩をしたり野山を駆け回ったりで自分と天蓬は生傷が絶えなかったし、金蝉は倒れる度にそこに担ぎ込まれた。しかしそこにいる医者は通いの医者で、週末になると本土に帰ってしまう。島に住んでくれる医者がいればいいと皆言っていたけど、実際今はどこでも慢性的な医師不足だ。こんな島に来たがる者もそういないだろう、と半ば諦めていた。
 しかしある日、本土から医者が来ることになった。しかも島に住んで診察に当たるという。珍しいこともあるものだ、と漁が休みのその日、興味本位で定期船がやってくる港へ足を運んでみることにした。俺は二十四になっていた。
「おばちゃん」
「あら、捲簾君じゃない」
 港へ向かうと、既に何人かが小さく見え始めている船を見るためにか、集まっていた。その中の一人、漁協で働く馴染みの婦人に声を掛ける。年の頃、八十近いのだが元気なものだ。この島の人間は男も女も年老いても元気だ。
「もうすぐ?」
「そう、有り難い話よねぇ。こんな小さい島に若いお医者さん一人なんて」
「ふーん、若いの」
「残念だけど男の人らしいよ」
 ご愁傷様、と笑う婦人に苦笑いをする。この歳になるとそろそろ結婚を勧めてくる人も少なくない。是非本土に住んでるうちの娘を、と言われて写真を見せられ、即座にお断りしたこともある。顔がイマイチな子でも、ゆっくりと知り合って内面のいいところを知れば、付き合いもないとは言えない。しかし見合いとくれば、見た目が一番ではないか。暫くその人には恨み言を言われたけれど。
「女だとしたって手は出さないよ。もし俺と喧嘩して、その医者が癇癪起こして島を出てっちまったら困るだろ?」
「そりゃあ困るさ。女遊びもいいけど程ほどにね」
「あ、いいんだ」
「男は女と遊んで磨かれるんじゃないか」
 やだねぇ、と照れたように笑う婦人をからかった後顔を上げて、近付いてくる船を見つめる。いつもの定期船。あの中にこれからこの島に住む医者が乗っている。
(性悪じゃねぇといいけど)
 婦人からもらった飴を口に放り込みながら(おばちゃんというものは何故かいつでも飴を持っているものだ)そんな風に思った。そして暫く、飴を口の中で転がしながら漁船の様子を見ていた。だから港に集まっていた人たちの様子がおかしいことに気付くまで全くそれに気付かなかった。顔を上げれば、皆口を間抜けに開けたまま船を食いいるように見つめている。
 船から港に降り立った青年は、大きなボストンバッグを両手に、少し困ったように笑っていた。そして――――その両の目が捲簾を捉え、優しく緩められた。優しい鳶色は昔から変わらない。手が控えめに上げられて、小さく振られた。
「ただいま」
 奥歯が飴を噛み砕いていた。

「……ちょ、ちょっと」
 戸惑ったような声が聞こえたが対応する気も起きなくて、その更に細くなったような気がする身体を抱きしめる。すると、腕の中の彼が小さく唸った。そして腕から逃れようとするようにもがく。
「いたたたたた潰れますから! こら!」
 こら、と叱られて言うことを聞いてしまう辺りが、彼に昔から犬っぽいとからかわれる所以だ。しかしやっぱり言うことに従ってしまい、彼を抱きしめる腕を緩めた。すると、自分より僅かに背の低い彼は、少し困ったように自分を見上げて笑い、指先で額を突付いた。
「変わってませんね、捲簾は」
「馬鹿!」
「え?」
 突然怒鳴られて、天蓬をはじめ港に集まっていた島民が目を瞠る。
「どうして一度の連絡も寄越さねぇんだ!」
「あ……それはごめんなさい」
 そこは悪いという自覚があるらしく、彼はしおらしくすぐに頭を下げた。そして少しだけ頬を掻いて苦笑した。
「一人前になるまで島とは接触を持たないって心に決めてたので」
「それならそう言ってから行けばいいだろ!」
「あれ、言いませんでしたっけ」
「言ってない!」
「言ってないよな」
「聞いてないわねぇ」
「あらら?」
 捲簾に加えて島の皆にも次々に否定されて、天蓬は首を傾げた。そして記憶を辿るように視線を彷徨わせた後、何か拙いことにでも思い至ったのか唇を一度噛み、誤魔化すようにヘラヘラと笑い始めた。
「忘れてた、かも?」
「……天蓬ぉぉおおお!!!」
 島中に響きそうなその怒声に、天蓬はぴくりと肩を竦め、島民たちもびっくりしたようにぎゅっと目を瞑った。
「ふざけんな―――――!!!」
 港に留まっていたカモメたちが一斉に飛び立っていった。


 金蝉はいつものように役場で判子押しをしていた。ひた、と判子を紙に当て、ぐいと力を込める。これはいい写りに違いない、と気分良くなりながら、その判を紙から持ち上げようとした瞬間。
「金蝉君金蝉君!」
 役場の受付をしているころころしたおばちゃんが突然部屋に入ってきて、思わず金蝉は判子を取り落とした。慌てて取り上げるも、判子の転がった後が紙に残ってしまっており、折角の傑作が、と肩を落とした。しかし内弁慶な性格ゆえにおばちゃんを責められない金蝉は、そのままの表情で顔を上げた。
「……どうかしたんですか」
「どうもこうもないわよ! 判子押しなんて後でいいからちょっと行きましょ!」
 そう言って急に腕を引かれて、動転した金蝉は目を白黒させた。少し抗ってみるものの、おばちゃんの体力にも勝てずに金蝉は腕を引かれてずるずると部屋から引っ張り出された。そしておばちゃんは金蝉を引っ張ったまま役場から出て行こうとする。
「な、何……?」
「今日、本土から新しいお医者様が来ることになってたじゃない」
「は、はあ……」
「あれ、天蓬君らしいのよ! 金蝉君仲良かったでしょ」
 腕を掴んでくるおばちゃんの手を外させ、そして日差しの下、金蝉は走り出した。

「こ、金蝉〜助けてください〜」
 爆弾を抱えた心臓で必死に港に向かった金蝉は、脱力した。子供の頃のように、天蓬が捲簾に叱られている。いつも無茶ばかりやらかしては捲簾に怒られていた天蓬が、そのままそこにいた。……それにしても、凄い剣幕だが。唾が飛びそうなほど顔を近づけて説教されて、天蓬は肩を竦めて顔を顰めている。
「……何をやってるんだあいつらは……」
 荒れた呼吸を落ち着けつつ、金蝉は二人に向かって歩き出す。
「聞いてください金蝉、このくらいで怒るなんて心が狭いですよね」
「何をぉ? 十八年付き合ってきた相手に丸六年何の連絡も寄越さねぇで何言ってんだ!」
「……俺は捲簾に同感だが」
「なっ、やっと帰ってきた幼馴染に対してその言い草は」
「こっちの台詞だ」
「うっ……」
 二人ががりで責められて、言葉に詰まった天蓬は膨れて、それでも小さな声でもう一度「ごめんなさい」と呟いた。やっと溜飲を下げたように捲簾は鼻から息を吐き、金蝉はゆっくりと手を天蓬に伸ばした。
「……う」
 ぐりぐりと金蝉に頭を撫でられて、一瞬反応が遅れた天蓬は、戸惑ったように金蝉を見上げた。そのまま金蝉は暫くその黒い髪の毛を撫で続け、漸くぽつりと呟いた。
「無事に帰ってきて、よかった」
 言葉を噛み締めるように、暫く金蝉を見上げて黙っていた天蓬は、突然がしっと金蝉の腰に抱きついた。相も変わらず初な金蝉はそれだけで顔を赤くする(いい加減慣れた方がいい)。
「な、何だ!」
「金蝉、これからはいつ倒れても僕が助けてあげますからね!」
「縁起でもないことを……」
 顔を顰める金蝉に、捲簾は笑い、天蓬も嬉しそうにそれを見上げた。島民たちもそんな三人を見てほっとしたように、各々の家へと帰って行く。先程驚いて飛び去っていったカモメたちが舞い戻ってきて、波止場に留まる。
 姿形は変わってしまった親友たちを、照らす夕日だけはあの頃と全く同じだった。










続きは裏切ったり裏切られたり誘惑したり振られたり誤解したり逃亡したりのどろどろ感溢れる内容で、捲→←天、金→天、捲←八、三→天というくどい人間関係になる……予定でした。ちなみに金蝉はシャツ・ネクタイ・スラックスに+腕カバーと指サックです。       2006/09/02