「おはようございます、捲簾」
見知った背中を見付けて天蓬は声をかけた。天蓬のかけた声に前を歩いていた黒い逆立った髪をした男、捲簾が足を止めて振り返った。挨拶代わりなのか片手を上げる捲簾に天蓬はニコッと笑って駆け寄った。







年が変わり新しい学期が始まり、新しい環境が生まれるこの時期。ソワソワするのは何も生徒だけではなかった。
「おぅ、お早う」
返してきたのは高校から付き合いのある捲簾だった。隣に並ぶと香ってくる甘い芳香に天蓬は苦笑した。
「ねぇ捲簾」
「ん〜?」
「相変わらず女性の家を点々としているんですか?」
「あ?」
「貴方がその香水使う時って、残り香を消したい時でしょう?」
図星をつかれた捲簾は忌々しそうに眉を寄せた。下手な誤魔化しが通用するほど付き合いは浅くない。
「うるせぇ」
そんな風に返してくる捲簾に天蓬は微笑した。こういうところは可愛いなと思える。そんな事を本人に云ったら、どんな報復が待っているのか怖いから云わないけど心ではいつも思っていた。
「……ふふ、で?」
「あ?」
急に話を切り替えると捲簾は片眉を上げた。こうやって話をすぐに切り替えてしまうのは天蓬の悪い癖だが付き合いの長い捲簾は慣れたもので文句を云ってくる事はない。
「貴方はどこのクラス受け持つ事になるんです?」
聴くものの答えは大体分かっていた。何だかんだ云って人気のある捲簾は必ずクラス担任を持つ事になっている。
玄関までの道、天蓬は隣に並んで話しかけていた。捲簾はそれに歩き煙草をやめてフッと口の端を上げた。
「さぁな?けど多分三年のクラスだろうな」
去年、捲簾は二年を受け持っていた。だからそのまま持ち越しという事なのだろう。確かに三年のクラスを受け持つには信頼のおける教師の方がいいに決まっている。大学受験に就職活動、卒業などやらなければいけない事は山積みだ。新任などには頼めるものではない。
「………そうですか、まぁせいぜい頑張って下さいね」
天蓬はまるで他人事のようにニコッと捲簾に笑いかけた。それを見て捲簾は思わずドキッとした。天蓬の笑顔は相変わらず老若男女問わず惹き付けるものがあるようだ。
「………………」
「………、どうしたんです?捲簾」
「え?」
「ボーッとして、……らしくないですよ」
急に黙ってしまった捲簾に天蓬は覗き込むようにして首を傾げた。見た目に似合わない大きな眼が捲簾を見上げる。
「何でもねぇ」
捲簾はそう答えて先を急いだ。きっと今、捲簾の顔は真っ赤になっている事だろう。捲簾は久し振りに人の事、しかも男である天蓬を可愛いと思ってしまった。











「うわっ………ι」
靴箱を開けた途端、ドサドサと落ちてきたものに天蓬は声を上げた。白い封筒のものから、ピンクのハート型に折ったものまで靴を入れる透き間もないくらいに詰められていた。
「………何なんですか」
「相変わらず凄い人気だな、お前」
今日は始業式だというのに、昨日の内に入れておいたらしい天蓬へのラブレターの山。昨年の目安箱を前にした悟浄の気持ちが今やっと分かった。
「もう、そういう事云わないで下さいよ」
天蓬は床に落ちた分を拾いながら云った。それを無造作に鞄の中に入れながら小さく息を吐く。
「で、今日はどっちが多いんだ?」
笑いを含ませて云ってくる捲簾に天蓬は下からギロッと睨み付けた。無視すればいいものの、つい差し出された名を見てしまう。
「……………」
それを確認して天蓬はホッと安堵した。
「よかったな、男の方じゃなくて」
「……全くです…」
苦笑混じりに捲簾が云うのに天蓬もそう返した。
ラブレターをもらうのは嬉しいのだが毎日コレでは大変だ。職員室の天蓬の机の引き出しには返事用の便箋が沢山詰まっている。生徒相手にいちいち返事を書いてる天蓬が悪いのだが、そういうのを有耶無耶にできないのがいいところでもあるのだ。
「……人気者は辛いな」
「捲簾、貴方は……他人事だと思ってるんでしょう?」
「そりゃあな……お前、バレンタインに女から俺以上にチョコ貰ってたしぃ?あー、男からもだったか?」
「捲簾っ///」
天蓬は顔を紅くして声を上げた。捲簾もそれを見て笑っている。
「よし、行くぞ!!クラス編成と受け持ちが確認できるぜ」
「え?ちょっと待って下さいよ」
先に行く捲簾の背中を天蓬は急いで追った。













「何ぃ〜っ!!!!」
桜の木の下、悟浄の声が響き渡った。
「……………」
「……………」
思いっ切り視線を浴びているが全く気にしていない。叫びの原因である掲示板にはクラス編成と担任の名前が記されていた。
(………なんで天蓬が担任じゃねぇんだよ)
天蓬の名前が書いてあるクラスには悟浄の名前はない。何度も見返して確認しているが、やはり名前はなかった。
(………あんなに校長、脅したのに……)
悟浄はそう思って大きく嘆息した。
「………おい、うるせぇぞエロ河童」
落ち込んでいるところに背後から声がして頭を叩かれた。叩かれたというより常に持ち歩いているハリセンで殴られた。ムッとしながら振り返るとそこには眉間に皺を盛大に寄せた三蔵がいた。昔からの馴染みで悟浄が頭が上がらない相手でもある。
「三蔵っ」
悟浄は思わず三蔵の両肩を掴んで詰め寄った。その迫力に三蔵も一瞬たじろいた。
「な、何だ?」
「クラス変わってくれ」
真剣な顔で頼み込むと、三蔵は掲示板に顔を向けて大きく溜め息を吐いた。折りしも三蔵は天蓬のクラスだったのだ。
「………無理に決まってんだろι」
すでに決定している事を勝手に変える事なんてできるわけがないのだ。たとえ悟浄が生徒会長だとしてもだ。
「だったら、もう一度校長を脅して……」
「あ?バカな事云ってんじゃねぇっ!!」
本気で校長のところに行きそうな悟浄を三蔵は必死で止めた。悟浄が云い出したら聴かない性格なのはよく知っていた。
「生徒会長からの挨拶、始業式でするんだろうが?さっさと講堂に行けっ!!」
そう云ってくる三蔵の声は悟浄には届いていなかった。













始業式が始まるため、教師も生徒も講堂に集まり出していた。悟浄は生徒会長として、いろいろ忙しくなかなか天蓬と接触できないでいた。
(………ったく、イライラするぜ)
準備をしながら天蓬のいる方に眼を向けると、何やら捲簾と親しげに話していた。時折、捲簾の手が天蓬の頭などに触れ、そのたびに悟浄のイライラ度は上がっていった。
「何イライラしてるんです?悟浄」
風紀委員長をしている八戒がそう云ってきた。世話焼きな奴だが、悟浄のフォローは誰よりもしてくれて実際凄く助かっている。
「………何でもねぇ、さっさと済ませるぜ」
悟浄はそう云って怒りオーラ全開で準備を終わらせた。不純な動機だが折角悟浄がやる気になってくれているので八戒は何も云わずにいた。そのせいか、式自体も予定よりずっと早く終わって、あっという間に放課後になった。












「はぁー………」
「んだよ?溜め息なんか吐きやがって」
「だって、……僕なんかが三年の担任になっていいんでしょうか?」
職員室につくなり天蓬は盛大な溜め息を吐いた。新任では異例の抜擢だ。それもこれも天蓬の生徒からの貧気の高さからきている事なのだが。
「別にいいんじゃねぇ?気楽にやれって」
捲簾はあくまで楽観的に笑った。
「そういうわけにはいかないですよ」
「ったく、真面目だねぇ」
「貴方が不真面目なんです」
天蓬が云うと捲簾はそうか?と口の端を上げた。だが捲簾とのこんなやり取りが天蓬の心を凄く軽くしてくれるのも事実だった。
天蓬は小さく息を吐くと、自分に宛てられた机の上の資料を片付けだした。



明日からやる事は沢山ある。クラス全員の進路予定を聴いて、それぞれに合った勉強法を考える。大学へ進学する者、専門学校へ行く者、就職する者、それを全て把握しなければいけない。
「捲簾、分からないトコがあったら教えて下さいね」
「いいぜ、何でも聴けよ」
捲簾はそう答えて自分の席に戻った。折りしも隣同士だったので相談もしやすい。


はぁー………


天蓬はもう一度溜め息を吐いて、眼の前の資料を整理しだした。















時間がたつのは早いもので、始業式から十日がたった。やっと慣れてきたのか天蓬も忙しい合間に生徒と雑談もできるようになっていた。
「天蓬……、これウチのクラスの奴らから」
そう云って捲簾が差し出したのは数枚の手紙。可愛いプリントのしてあるものから、ハート型に折ってあるものまで様々ある。
「………はぁι」
天蓬は少し疲れた表情をしてそれらを受け取った。
「受け取らないで下さい、こういうのは……」
「可愛い生徒の気持ちを無駄にするなよ」
「心にもない事を……」
云いながら一つ一つ差し出し人を確かめると、いつもの名前から初めて見る名前もあった。
「……………」
眉を寄せながらもしっかりと差出人を確認している天蓬を捲簾はニヤニヤ見ていた。その視線に気付いてはいたが、天蓬はとりあえず無視をした。そこまで気にしていたら身がもたない。
「…………え?」
目立とうと主張している手紙の中、一枚だけ差し出し人に書いてない封筒があった。綺麗な紅をしたシンプルな無地の封筒。
「……………」
こういうものが実は一番気になってしまう。天蓬はその封筒にジッと見入ってしまっていた。
捲簾は指先でその封筒を突いた。それに天蓬が顔を上げるとニヤッと笑った捲簾と眼が合った。
「………生徒会長サンから」
「え?」
捲簾の言葉に天蓬は驚いて眼を丸くして封筒に眼を落とした。悟浄の髪と同じ色をした封筒は、確かにシンプルながらに心がこもっている。
「どうせ密会のお誘いだろ……」
「みっ………///」
捲簾だけは悟浄と天蓬の秘められた関係を知っていた。そして応援してくれている。だから赤面してしまうような事も平気に云ってくるのだ。
「今日は会議もないし、明日は休みだし……」
捲簾はニヤニヤ笑っている。何を想像しているのは分かる気がして天蓬は頬を一気に朱に染めた。
「ちょっとすみません」
悟浄からの手紙だけ持つと捲簾に断って天蓬は職員室を出て行った。誰も使っていない会議室の中に入って隅の方で封を切る。
本当にシンプルな便箋に書かれていたのはたった一言だった。






『午後二時、生徒会室』






こっちの都合や意見を聴くつもりはないらしい。確かに春休み以降、まともに話していなかったけど。こんな誘い方は照れてしまう。
「……………ふふ」
天蓬は自然に笑みが零れた。こんな一方的な誘いでも悟浄からだと思うと嬉しくて仕方がないのだ。
「………午後二時……」
ふと時計を見ると二時まであと一時間はある。それまでに急いで仕事を終わらせてしまおうと、天蓬は再び職員室に戻った。












「……おかえり」
「……………」
「で、生徒会長サンは何て?」
戻るなり捲簾に聴かれて天蓬は微笑した。周囲に聴いている人がいないのを確認して、そっと顔を近付ける。
「二時に、生徒会室………だそうです」
いつも協力してくれている捲簾だから天蓬は素直に話した。嬉しそうに笑う天蓬に捲簾は優しく笑って淹れておいたコーヒーを差し出した。砂糖一杯ミルクなし。
「じゃあ、三時の見回りは変わってやるぜ」
そう云って指差されたホワイトボードには、天蓬の名前が書かれていた。いつの間にか決まっていたらしい。
特別に用事のない生徒は二時には帰らないといけない事になっている。今日は部活も休みで、大会前の生徒が残るくらいだろう。
「………僕?」
「さっき決まったんだ」
捲簾は自分のコーヒーに口をつけて答えた。砂糖たっぷり、ミルクもたっぷり。相変わらずの甘党だ。
「今度、奢れよ?」
「はいっ、ありがとうございます」
天蓬は礼を云って机の上の書類を片付け出した。











多くの生徒と教師が帰宅していく中、天蓬は生徒会室に向かっていた。一応、他の教師には生徒会の今後について、と云ってあるから怪しまれる事はないだろう。そうでもしないと校内で逢う事は滅多にできないのだから悲しくなる。今は、どんなに頑張っても教師と生徒という壁が立ちはだかっているのだ。
天蓬はホゥーッと嘆息して生徒会室のドアを開けた。
「………お待ちしておりましたよ、天蓬先生」
いつもの不敵な笑みを浮かべて悟浄は会長椅子に座っていた。
「………悟浄クン」
天蓬もそれに返すように悟浄の名前を呼んだ。
久し振りの逢瀬。
「鍵閉めて、………こっち来いよ」
悟浄は椅子を軽く引くと、自分の前に場所を作った。膝の上に座れって事なのだろう。相変わらず悟浄は天蓬を自分の膝の上に乗せるのが好きだった。
天蓬はクスッと笑って、云われた通りドアに鍵をかけた。そしてゆっくりと悟浄に近付く。けど悟浄の膝の上には座らず、対面している机に腰をおろした。机の上に座るのはどうかと思ったけど悟浄の膝の上に座ってしまったら最後、シタくなってしまうから。
「………どうしてここに座らないんだ?」
天蓬の態度に悟浄は少しムッとして自分が立ち上がった。手を伸ばして天蓬の頬に触れる。それに天蓬は柔らかく微笑んで、そこに自分の手を重ねた。
「駄目です」
「だから、どうして?」
「………シタくなってしまうから」
天蓬の答えに悟浄はニッと笑った。出逢ってもうすぐ一年、抱き合った回数は数えられない程になっている。始まりは悟浄の膝に座る事から、という事が多かった。少なくとも、生徒会室でコトに及ぶ時は。
何度もしているため、すぐに反応してしまう身体に天蓬は仕込まれてしまっていた。
「いいじゃねぇーか、……シヨーぜ」
「駄目です」
天蓬はそれに即答した。
「こんな昼間になんて嫌です」
確かに日は高く、明るい中でスルのは悪趣味だ。もっとも、生徒会室でする事自体、問題なのだが。
「その代わり、今夜は………ウチに泊まって下さいますか?」
天蓬はニッコリ笑って悟浄の曲がっているネクタイを直した。
「……誘ってくれてるのか?」
「そのつもりですけど、そう聴こえませんでしたか?」
天蓬の答えに悟浄はギュッと身体を抱き締めた。悟浄の腕は力強くて、凄く頼りになる。
「俺が卒業するまで待っていてくれ、……そしたら一緒に暮らそう」
いつも悟浄が云ってくれる言葉。悟浄が卒業するまであと一年。
「はい、……待ってます」











この後、二人は暫くの間キスを交わして、互いの身体に触れて過ごした。他愛のない会話をして、捲簾にいい加減にしろとドアを叩かれるまでの間、時間すら忘れていた。勿論、この夜はずっと愛し合っていたわけだが……。
悟浄が高校を卒業するまで後一年。








∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵

三部作の最後でした。出逢いから、好きになって相談して、恋人になるまでのお話でした。




08/05/10