可愛いあの子の何たるか

「俺最近気付くといつも天蓬先輩のこと見てるんですよね」
 突然ミーティング中、主将のいる前でそんなことを言い出した黎峰に、劉惟は度肝を抜かれた。
 天蓬先輩、と呼ばれるのは先週この学校に転校して来たばかりの三年生だ。以前から主将が熱烈なアプローチを仕掛けていた相手で、どうやら漸くその誘いを承諾したということらしかった。しかし時期が時期である。もう夏季大会までそう日にちがあるわけでもないこの時期にやってきた新入部員に、部員たちはまだあまり近づけずにいた。綺麗な、整った顔をした人で、とても野球部に所属しているだなんて思えないような細い線をした人だった。しかしその実力は既に発揮されており、以前の正捕手を引き摺り下ろして代わりにその座に収まった。その能力も相俟って彼は、常に無表情で何を考えているのかが全く読めない、精密機械のような男だと認知されていた。
 その彼に唯一にこにこと楽しそうに話しかけるのが彼を引っ張ってきた張本人、この主将だったわけなのだが。
「は、何?」
「意外と可愛い人ですよね、天蓬先輩」
 その言葉に主将の表情が一瞬ぴりっと張り詰めるのに気付いた劉惟は無意識のうちに警戒した。しかしその表情をすぐにいつものものに擦りかえた彼に、置き去りにされたように劉惟は目を瞬かせた。
「この前着替えの時見たんですけど、あの人のパンツ……」
「パンツぅ!?」
「つぶらな眸のくまさん柄だったんですよね」
「ちょ、お前、人のパンツの柄チェックって、変態か!」
「それにこの間、昼飯食おうと思って屋上に行ったら先輩がいてさ」
「俺の話聞いてるかな」
「何食ってんのかなあと思ったら、メロンパンとあんパンとチョココロネと、いちごミルクだった。しかもデザートにとろーりクリームプリン」
「可愛いな……じゃなくって!」
「携帯ストラップはカエルとアヒルのマスコットで、待ち受けはだらだらしたクマだった」
「お前、流石にそこまで知ってるのはおかしくないか!」
「それは昨日朝練に行く途中に偶然会って、一緒に学校に来た時に聞いたんだよ」
 話をしている間うっかり忘れていた主将の存在を思い出し、ふっと振り返った劉惟は、その先で異様なまでの不機嫌なオーラを撒き散らしている主将を目の当たりにして言葉を失った。ふと頭を過ぎったある可能性は信憑性はあるものの、個人的にはあまり気付きたくないものだった。主将の彼への執着は部員なら誰もが知るものだ。しかしその対象である彼は今まで他の誰とも接触を持っていなかった。なのに今、その彼に別方向から矢印が向けられつつあるのである。
「あ……の、大将、そのー」
 何とか逸らす話題を探したものの頭は真っ白で何も思い浮かばない。こんな立場に立たされて一体自分に何が出来るのだろうと頭を抱え掛けた瞬間、カチャリと音がした。そして同時に外の喧騒が大きく聞こえ始める。ドアが開かれたのだ。しかもそこから覗いた顔に劉惟は肝が冷えた。と、同時に今まで沈黙を保っていた主将が突然乱暴な音を立てて立ち上がった。
「天蓬てめえ!」
 あわや修羅場か、と早合点し掛けたが、立ち上がった主将はツカツカと、部屋に入ってきた天蓬に向かって近付いた。
「昼飯は米中心にしろっつったろうが! 頭使って糖分が要るのかも知れねえけどそれにしたって甘いものばっかり食いすぎだ! その分だと夜も碌なもの食ってねえだろ、コンビニか? ファストフードか? だからうちに寄れって言ってんだ!」
 部室に入って突然叱られた天蓬は動転したように暫く目を瞬かせていたが、一方的に叱りつけられたのが気に入らなかったのか唇を僅かに尖らせた。しかし碌に言い返さないのを見ると全て図星らしい。その表情がうっかり少し可愛いと思ってしまい、慌てて頭を振ってそれをなかったことにした。
「だって……甘いもの好きなんです」
 うわ、本当に可愛い人だ、とうっかり再び思ってしまってテーブルに沈む。
「分かった、明日から俺がお前の分も弁当作ってくるからな。米を食え米を!」
「大将、押しかけ女房って知ってます?」
「あんだと?」
「いい言葉知ってますねえ黎峰」
「……何でそんなに親しげなんだよ」
「通学路の途中に彼の家があるんですよ。たまに途中で会ったりしてー……」
 その後真剣に下宿を勧め始める主将とそれを混ぜっ返す発言をする黎峰の横をするりと抜けてきた天蓬は、劉惟の方へと近付いてきて少し困ったように笑った。初めて目にした笑顔に、どう反応していいのか分からず曖昧に笑い返す。
「仲がいいですね、二人。ストレッチ付き合って貰おうと思って呼びに来たんですけど、当分無理そうです」
 俺は同類になりたくない。なりたくない。なりたくない。なりたくない、けど……。
「……よかったら俺が付き合いましょうか?」



西高七不思議そのいち

「で、夜その鏡を覗くと血塗れの制服姿の女の子がいるんだってよ……」
「何、楽しそうな話してるじゃん。何の話?」
 ダウンを済ませて天蓬と共に部室へ戻ってきた捲簾は、ミーティング用のテーブルのところに後輩たちが寄り固まって何か声を潜めて話をしているのに気付いた。興味なさげに天蓬がさっさとシャワールームに言ってしまいそうなのを腕を掴んで引き止めて後輩たちの元へ近付いた。捲簾の呼びかけに顔を上げた明珂は悪戯っぽく笑ってテーブルに置かれた紙を指差した。
「うちの七不思議を書き出してるんですよ。そういえば全部は知らないなあって」
「へえー。で、全部書けたの? 見してよ」
 そう言って後輩からその紙を受け取る。と、同時に、右手で掴んでいた天蓬の腕の抵抗が強くなった。しかしそれにも構うことなく捲簾はその七つ並んだ文を読み上げた。
「ええ……いち、中庭の首縊りの木。に、生首の跳ねる体育館。さん、血の滴る男子トイレ……」
 そう言った途端、掴んでいた天蓬の腕は一層大きく抵抗を示した。流石に驚いて顔を上げると、顔色を悪くした天蓬が焦ったような顔で捲簾の手を振りきろうとしていた。その必死さに、とても心楽しい可能性に気付いて捲簾は口角を吊り上げた。それと同時に、天蓬はきまり悪げに顔を逸らす。そのうち後輩たちの視線もじっと天蓬へと向けられ、諦めたように彼は顔を上げた。
「怖いの苦手なんだ? へーえ」
「……悪かったですね」
 そう下を向いてぼそりと呟いた天蓬は、突然ばっと顔を上げて捲簾をぎっと睨み付けた。
「一人でトイレ行けなくなったらどうしてくれるんですか!」
「そしたらついてってやるってば」
 捨て身の発言だったであろうそれにあっさりとそう返すと、天蓬はぽかんとした顔をして捲簾を見上げた。同じくぽかんとして爆弾発言をした先輩を見つめていた後輩たちは、次々に我に返って捲簾に負けじと各々口を開いた。
「じゃ、じゃあ俺も!」
「俺もっ」
 そして結局その場にいた全員から申し出が得られたところで、それまで沈黙を守っていた天蓬は、漸くぱちぱちと目を瞬かせてからにっこりと笑い、口を開いた。その笑みがよからぬことを考えているそれだと十分身に沁みているのにその笑顔には全てを従わせる、そして過去の痛手から得た学習をさっぱり忘れさせてしまうような魔力があった。
「じゃあせっかくなので全員にお願いします」

「そらぁ……男子便所にこんだけみっちり男がいれば怖くもねえだろうよ」
 それから天蓬がトイレに立つ度にぞろぞろとその後ろを野球部員がついて回る姿が見られるようになった。ある意味怖い話である。



西高七不思議そのに

「お化け屋敷とかは平気なんですよ。肝だめしとかは……怖い話した後だと、駄目ですけど」
「ふーん……でもよく言うじゃん、お化け屋敷とかって、本物の幽霊が寄り付きやすいって」
「……え?」
「ネズミーランドのボーンヘッドマンションとかもさ、あの鏡にいっぱい顔映るところ、あの中に本物の幽霊の顔も混じって映ってるって話。何でもあそこの建設作業中にさー……って、天蓬さーん?」
「捲簾の馬鹿! 今度ネズミーランド行ってもボーンヘッドマンション入れないじゃないですか!」
「何だそんなの、俺がついてってやるって」
「……本当に? 怖がってるところを遠くからにやにやしながら眺めてるだけとかじゃないでしょうね」
「ホントホント。ちゃんと隣にいてやるって」
「絶対ですよ!」
 けんれん は でーとのやくそく を とりつけた!



ウ―――ノ!

「うおーい、誰か今朝ここに置いたワックス知らねえ?」
「大将、今朝空になったからってケース捨てたじゃないですか」
 そうだった、と舌打ちをする捲簾を、汚れた頬をタオルでわしわしと拭きながら天蓬はじっと見つめていた。その視線に気付いて捲簾が振り返ると、突然目が合ったことに驚いたように、天蓬はぱちぱちと眼を瞬かせた。何でそんなにもじっと見つめられているのか分からず捲簾が一人首を傾げている間も、天蓬は顔を拭く手を止めないままで捲簾の方をじっと眺めている。
「……何かついてる?」
「いえ……あなたのいつもの髪型って、ワックスで整えてたんですね」
「え? ああ、物珍しかったのか」
 彼の前でワックスをつけずに普通の状態でいるのは初めてかもしれない。大抵は髪を洗いたてで濡れているか、きちんと整えた後だから。以前、この状態だとまるで別人だといわれたことがあったので、いつもああしていないと落ち着かないのである。新しいワックスを持って来ていただろうかと思いながらバッグを漁るがそれらしきものはない。これからは家に帰るだけなのだから別にこのままでいいといえばいいのだけれど、彼の物珍しげな視線が少し痛かったのだ。
 誰かに借りようかと思っている間も彼の視線は絶えることがない。シャワーに行こうとして腕にも服を抱えているのにそれを忘れたようにじっとこちらを見つめてくるそのあまりの熱烈さに耐え兼ねて、無視をきめ込んでいた捲簾もとうとう折れた。
「あのさ、今の状態がおかしいのは分かるけどあんまりじっと見るな」
 そう言うと、天蓬は驚いたように目を見開いて慌てたように首を横に振った。そしてふわふわと気の抜けるような笑顔を浮かべて捲簾の珍しく下がっている前髪に指先でそっと触れた。そして何故か嬉しそうに笑った。
「確かに珍しいですけど……何かちょっと好青年ぽくて格好良いですよ」
 そう言ってそのまま彼はふわふわとシャワールームへと歩いていってしまった。シャワールームに続くドアがばたんと閉まった瞬間、部室には妙な空気が流れ始める。その中央にいるのは非常に気持ち悪いことに薄らと頬を染めた捲簾がいる。
 その日、捲簾はそのままの髪で天蓬と共に帰っていった。
「この二年間、雨でも風でも嵐でも絶対に髪のセットは欠かさなかったあいつが……」



制服

「天蓬、そのまま卒業までずっと東の制服で過ごすわけ?」
「ええ……許可も出てますし、公式の場に出る時は他の生徒から借りてますし。あと一年もないのに新調するなんて馬鹿らしい」
「ふーん……」
「何ですか?」
(学生服もいいけど、ブレザー姿も見てみたかったんだけど)



気になること

「こら、人の股間ばっかり見ない」
「いや……あの、やっぱりカップつけてんのかなーって」
「勿論ですよ。あなたがいつ暴投するか分からないんですから。それに僕だって付くもの付いてますから当たれば痛……」
「いや、あんまり聞きたくないから。黙って」
「まあ付けてても響くもんは響くんですけどね」
「何かあんまり聞きたくなかった!」



マニキュア

 しゅ、しゅ、
 一定のテンポで掛けられるピンク色をしたやすりをじっと見つめていた天蓬は、ほう、と息を吐いた。静かな吐息は青空の元、飛んでいく飛行機の音で掻き消された。大きな駅にほど近い町中にあった東高と違い、町の外れで自然の多い西高は空気が澄んで、静かだった。紙パックに差したストローを咥えたまま、その動作を繰り返す男を見つめていた。彼はそれを人前ですることを好まない。男が爪を気にしているのをからかわれたくないのだという。しかし投手ならば自分の指先に気を遣うことなど当然だ。そう言うと彼は、決まり悪そうにその小さな可愛らしい瓶を目の前で振ってみせたのだった。それが今天蓬の掌の中にある。透明なとろりとした液体が入った、小さな瓶。どこかで見かけたことのあるそれは、男はあまり馴染みのないものだ。
「多分そこらの女の子より、綺麗ですよね。爪」
「るせ」
 つまらなさそうに唇を尖らせた彼は天蓬に向かってその爪やすりを投げてきた。それをキャッチして、代わりにその小瓶を彼の方へ放った。それを受け取った彼は、そのラベルを見て小さく溜息を吐いてから、嫌々といった様子でそのキャップを開けた。独特な匂いが広がる。まず、男の周りでは嗅ぐことのない鋭い匂いだった。刷毛の付いたキャップを手にして、彼はまず左手を広げた。短く切り揃えられて丁寧にやすりを掛けられ、綺麗にマニキュアを塗られた指というのはこの武骨な男には少し不似合いだった。こんなことをクラスでやれば、男も女も面白がって近づいてくるだろう。誰にでもオープンな体質に見えていた彼は、思った以上に人と距離を取るタイプであると最近漸く分かり始めた。一定の距離までは誰にでも許し、その一定の範囲内には誰一人寄せ付けない。そんな彼がぽっと出の自分をこうして近くに置いていること自体不思議なことだったが、どうせ放って置けば餓死しそうだからとか、下らない答えしか返って来ないだろうと天蓬はそれを訊ねてみることを止めた。鼻に届く匂いは慣れてくるとぼんやりしてくる。空を横切る飛行機雲を眺めて、レモンティを飲んだ。
「器用ですよねえ、本当に」
「こんなことで言われてもなぁ……」
 早速左手の指五本を塗り終えた彼は次には右手に移っていく。艶々とした指が、この男に似合わなくて少し笑ってしまいそうになる。しかし笑ってしまえば彼が拗ねてしまうのは目に見えていたので、それは堪えて再び空を見上げた。
「先に食ってていいよ、すぐ終わるから」
「はあ……じゃあ先に頂きますね」
 天蓬の不摂生を見咎めた彼は何と弁当を二人分持ってくるようになった。その弁当というのも、朝早い仕事をしている母親に代わって自分で作っているのだというからますます驚きだ。二段になった弁当箱の蓋を開ければ、バランスのいいおかずが綺麗に詰められている。綺麗に巻かれた出汁巻き卵を箸で割って口に入れた。
「……好き嫌いなかったよな」
「ないえふ」
「は?」
 自分の指を見下ろしたまま話をしていた彼は、天蓬の妙な返事におかしな表情をして顔を上げた。そして出汁巻き卵を頬張ってもごもごしている天蓬を見て顔を緩ませた。キャップを締めて、まだ乾ききらない手を振りながら「落ち着いて食え」と窘めてくる。お茶を飲もうとストローを吸うと、なくなりかけの「ズコー」という情けない音がして、パックを潰してコンビニの袋に入れた。そしてまた新しくペットボトルを取り出す。蓋を開けながら、ひらひらと振られる彼の手に目を奪われる。こんないかつい男の爪が、光を受けてちらちらと光るのはやはり不思議だ。すると天蓬のその視線の先に気付いたのか、彼は少し忌々しげに顔を顰めた。
「あんまり見んなっつの」
「だって」
「だってじゃない。そんなに気になるならお前の爪にも塗るぞ」
「いやですうー」
 ペットボトルのスポーツドリンクを口にして、再び弁当の箸を取る。最初の頃は幾ら器用とはいえ男の作る料理はちょっと、と思っていたが、彼の料理の腕前はそこらの女子生徒よりも断然上だ。調理実習がある度に多少微妙な味の料理を差し入れられてばかりいたため女子の料理は懲り懲りであることもあるが。朝から起きてよくぞここまで凝ったものを作る気になるものだと感心してしまう。インゲンの胡麻和えを口にしながら、自分の爪の先に息を吹きかけている男の顔を見つめた。ルックスも上級、スポーツが出来て、料理が出来て、愛想もよくて、頭も然程悪くない。文句のつけどころのない男だ。
「あなたって」
「ん」
「モテるんでしょう」
「そりゃあ当然だ」
「お昼に男二人って、淋しくありません?」
 そう言うと、彼は少し驚いたように目を瞠った。そして少々動揺したように視線を泳がせる。
「やあ、別に……何で?」
「彼女とかいないのかと思って」
「今はいねえよ。お前は?」
「あっちにいましたけど。ここに来る少し前に別れました」
 そう自分で言ってから、久しぶりにその快活な少女の顔を思い出した。それまですっかり忘れていた自分は相当薄情らしい。思えばその小さな小瓶に見覚えがあったのは、彼女が好んで使っていたからではなかったか。校則が厳しい学校ではなかったけれど、色付きを使うまでの勇気はなくいつも透明のマニキュアをつけていた。細い指に、桜色の小さな爪。元気かな、と思う。可愛らしい少女だったから今頃は新しい彼氏と仲良くやっているだろう。久しぶりに東高を思い出すと少しだけ感傷的な気分になった。東の方が少し授業時間が長いから、今頃漸く昼休みに入った頃だろう。中庭には静かな木陰があって、そこでぎりぎりまで昼寝をするのが好きだった。時々気紛れに友人や彼女が差し入れをしてくれたりして、穏やかな一時間を過ごしたものだ。
「折角の高校生活だっていうのに、恋愛がすっかり置き去りですよ。ねえ?」
「……そうだねえ」
 そううわの空で応えながら、彼はひらひらと手を振ったり、指先で爪の表面に触れてみたりしている。天蓬の話には全く興味がなさそうだ。その態度に少々ムッとしつつも天蓬は小さく溜息を吐いて空を見上げた。そのままぼんやりと空を見つめていると、ふと頭にある可能性が思い浮かんで、思わず「あ」と声を漏らした。
「ひょっとして里心が付いたとか思いました?」
「あ?」
「帰りたいって言い出すと思ったでしょう。僕だって流石にそこまで責任感のないことはしませんよー」
 そう言って彼の顔を見ると、思ったのとは違う複雑な表情をしていて、きっと図星だろうと思っていた天蓬は目を瞬かせた。
「どうか……しました?」
「……別に。どうでもいいけど時間なくなるぞ」
 殆ど手の付けられていない弁当を指差してそう言う彼に促されて弁当箱を再び手に取る。ちらりと上目で見上げた彼は、胡坐を掻いた自分の膝に頬杖を付いてどこかつまらなさそうな表情で遠くを見つめている。昔の彼女のことでも思い出させてしまっただろうか、と反省し、彼から目を逸らして、ご丁寧にカニ型に切られたウインナーを口に入れた。



先輩のおやつ、一日目

 日曜日。朝日が出る頃から開始した練習を終え、昼休み。弁当を食べ終えて午後の練習開始まではあと三十分ほどある。グラウンド脇の木陰で固まって話をしていた部員たちは、今部員の誰もが興味津々である新入部員であり先輩である人が嬉しそうにバッグを漁っているのを見て、今までの話をふと止めた。その綺麗な顔とほっそりした容姿に、鮮やかなまでに欺かれた瞬間は部員の誰もの記憶にくっきりと残っていた。
 当然のように彼の隣に陣取っていた主将の捲簾は、天蓬の手元を覗き込むように身体を乗り出した。
「何やってんだ?」
「おやつです、おやつ」
「おやつだ?」
 訝しげな捲簾の声に、「はいっ」と嬉しそうに返事をした彼が嬉しそうに取り出したのは。
「なにそれ」
「だから、おやつ」
「それ、プチトマトだけど」
「僕のおやつですってば」
 昨日近所のスーパーで一パック50円だったんですよ! と鼻息も荒く言う彼に誰もが脱力する。話を聴けば近所で仲の良いおばさんがお一人様三パックまでのそれを一つ譲ってくれたのだという。嬉しそうに言う彼の横で、捲簾はそっとバッグのポケットから、昨日女子から貰ってからそのままになっていた飴玉を二つ取り出して天蓬に差し出した。



先輩のおやつ、二日目

 あの衝撃から一週間過ぎて次の日曜日。午前の練習が終わり、そして再び昼休みが訪れた。誰もがバッグにお菓子を忍ばせている。また何かあの人が不憫なおやつを持って来ているのではないかと思っていたのだった。そして今日も食後に彼はバッグを嬉しそうにごそごそしている。既に何だかその様子が物哀しくて涙を拭う者あり、いつでも渡せるようにお菓子をスタンバイするものあり。
「あ、ああーその、天蓬、お前今日またおやつとか持って来てたり……」
「はいっ、今日はこれ!」
「天蓬」
「はい?」
「それ、ひょっとしてタダ?」
「そうなんですよー、最近近所のパン屋さんのお兄さんと仲良くなっちゃって」
 皆優しいです、と嬉しそうに言って彼が開けた袋の中にはたんまり入ったパンの耳。
「……先輩、よかったらこれ」
「俺もやるよ」
「あ、俺も」
 ここぞとばかりに差し出された菓子は、天蓬の膝元にこんもりと山を作った。きょとんとして段々大きくなっていく山を見つめていた天蓬は、ふにゃあと表情を緩めて再び、皆優しいですね、と嬉しそうに笑った。それだけのことで全ての苦労が報われたかのようで、その場の空気は一瞬にしてパステルカラーに染まった。

 しかし来週は、今度はランニングコースの途中にある畑のおじいさんと仲良くなったからと言って、タダで貰ったきゅうり(そして少しの味噌)を持ってくることを、この時点では誰も想像出来なかった。







後輩の名前は外伝小説で使ってるオリジナルのをそのまま持ってきました。ボーンヘッドは…うまい誤魔化し方が見つかりませんでした。